第5話 ゴーホーム。

小学校の頃の私はとにかくひねくれていた。

ひねくれていたというより、ひねくれなければやり過ごすことができなかったんだと思う。

修学旅行に行った時もそう、なぜかクラスの女の子たちは家にいる家族を思い出し、涙ぐんでいた。

ホームシック状態なのだろう。

私からしたら、修学旅行であろうが普段の生活であろうが、いつもと変わらない。

旅行にきただけ、あとは、集団で寝たりご飯を食べるという習慣には慣れっこだ。

誰を思ってホームシックになればいいのか。

誰を思って涙ぐめばいいのか。

そんなことを考えながら、眠ったことを思い出す。

養護施設では、面会といって、施設に親族が会いに来て、一部屋を設けてそこで、交流を深めていく。

もちろん里親というものも存在する。

孤児が、養子縁組をしてもらうまでに、その大人たちと過ごすということにも使われる、面会。

ほとんど、お家の事情で預けられた子たちだったので、今日は誰のお母さん、お父さんがくるのかと、バタバタしてる様子を眺めては予想していたものだ。


私には客人はない。

小学校のころというより、物心がついたころにはここにいて、お父さん、お母さんという存在の意味すらわかってなかったのだ。

面会の時間が終わり、またくるからと言われた仲間は帰らないでと泣くことはなかった。

というより、姿が見えなくなってから、しくしくと与えられている部屋で泣いているのを何度も見ている。

大人は子供に期待を持たせすぎだと思う。

大人の事情なんてわからなかったから、常にそう思った。

会いに来ても、どうせ連れて帰ってくれないなら会いにこなくていいのでは?なんて思ったりもした。

それは私に客人がこないことで嫉妬心があったのかもしれない。


私にはそのころからの宝物があった。

それは預けられたとされる日にもたされていたらしいクマのぬいぐるみ。

このぬいぐるみにべあと名付けて、可愛がっていた。

寝るときはもちろん抱きかかえて寝ていた。

べあは小さい頃からの私をすべて見守ってくれていた。

と、思っている。

誰が買ってくれたのか、誰から与えられてのか、それはわからないが、ずっと持っていたものだから、物心ついたときから持っていたものだから、一生大切にしようと決めて、汚れてきたらみずをかけて洗ったり、一緒に日向ぼっこをした。


べあがいるから、寂しくない、寂しくない、と、呪文をかけていたのかもしれない。

心の闇はすごく深いものだったと思う。






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