第42話春の翼
ふるえる声で、おまえの名を呼ぶも届かず、延々と吹き荒ぶ風雪の只中でひとり立ち尽くす。言葉は風にちぎられ、一字一字が解体されて雪の重みに押しつぶされる。おまえを求めていたはずだった。唯一のよりどころとして、無辜の魂の容れ物として。それもだんだん歪んで、おまえは欲望の器となり、巨きな化鳥となってこの雪山の奥に佇んでいる。かつて人であったおまえの、そのかすかな証を探しあぐねてこのようなところまで来てしまった。足はすでに凍傷によって痛みすらも失せ、拠点としていた洞窟を朝に出たはずなのに、辺りは白く染め上げられて何も見えない。まもなくおまえの言葉が天から降り注ぐ。きみを、待っていた。だれよりも失意にまみれ、友を失って醜態を晒し、ただただ生きるだけの骸となったきみを。きみの魂だけが最後の美味なる供物としてわたしに捧げられるだろう。その先導者となった巫はすでに屠った。美味かったよ。やがてきたるこの世の終末にふさわしい贄となってくれた。歌声で祈りを紡ぐ、その愚かしさをきみたちはどうしても捨てられないまま、とうとう最後のひとりになり果てた。その希望の潰えた魂、貰い受けてやろう。のろのろと立ち上がり、進もうとするが一歩も歩みを進められない。おまえを葬るまでは、この命をだれにも渡せない。おまえの望んだ終末の世界は凪いで、静寂ばかりが世界を押しつつみ、おまえはそこで永い眠りにつくだろう。やがて目覚めるとき、世界は黎明をふたたび迎え、獣は地に満ち、春に招かれて木々は芽吹くだろう。そしてそこにおれたちの居場所はない。世界は自然のことわりによって正しく再起動され、緑の中にすべての遺物は朽ち果てて、おれが父から書き継いだ日記のデータも、先人たちが紡いだ書物も、すべてが抹消される。それを痛苦からの解放だとおまえは歌いつづけてきた。その甘い歌声によって。だが、この星の痛みが、土地に刻まれ、人々の生に書き継がれてきた哀れな苦難の道こそが、人の道に他ならなかった。その痛みを鎮めるため祈りつづけてきた巫を、おまえは喰らい、そして糧とした。いずれおまえの腹のうちに浄めの旋律があふれ、おまえは羽毛一枚残らぬ光となって霧散するだろう。それがきみの望みか。愚かなものだな。ここに一条の光を宿した杖がある。その中に秘めたコードが巫と共鳴しておまえを無に帰すだろう。最後に伝えておく。おまえはおれの友だった。唯一にして分かち難い、魂の双子そのものだった。いつしか分たれた道を進んでなお、おまえを忘却の果てに追いやったことはない。だが、おまえは忘れられるだろう。この星に刻まれた痛みのうちの無数の傷跡のひとつになったとしても、その名を呼ぶものはもはやおれが最後となった。だからルティアン、その名の通り光となれ。おまえの身からあふれる木々の種をおれは蒔き歩く。世界を司牧する神の、その指先の命ずる庭師となって、静かに歩む。おまえの光によっておれの足は癒えるだろう。眠れ、ルティアン。静かに掲げた杖の呪石から、旋律に乗ってコードが流れだし、おまえの身を取り巻いてゆく。永い別れだ。最後におまえの口で、おれの、……言葉は形にならないまま、光に満たされた雪原はまばゆい光を放ち、おれの意識は薄らいでゆく。おまえは光となってほどけ、巨きな鳥の羽毛の中から、やがて青年の肉体が表れ、それも光に溶ける。さあ、ふたたび目覚める時まで、眠れ、レディメード。おまえの唇で紡がれる声を聴きながら、おれは沈黙のうちに瞳を閉ざす。
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