第35話磔刑の鳥へ捧ぐ祈りを

傷つくことにも倦み果てて、私は遠い絶壁の果てにある空を求める。そこを翔けゆく白鳥の一羽となって、この汚濁に満ちた地上から飛び立ち、二度とは帰るまい。失われた故郷を眼下に見下ろしながら、身を休める場所も持たず、ただたましいの赴くままに荒天をゆく。しとどに降る雨と、吹き荒れる風を受けて翼はもがれ、やがてふたたび地上に堕ちるまで。いつか誰かと交わした体温さえも失せて、体はどんどん冷えてゆく。凍蝶いてちょうのように朽ちてゆく身体に、いつかの弾痕の疼く傷を秘めて、やがて羽は散り、たましいばかりが天を目指すが、そこにあるべき主の姿はなく、雷鳴ばかりが無声の言葉となって地上に降り注ぐ。人間たちは逃げ惑い、私を痛めつけたものたちも裁きを受けるのだろう、と憎しみをたぎらせても、不在の神は差し伸べる手をもはや持たない。雷として与えられた手には一切の情もなく、ただ自然の摂理として、雲行きの導くがままに災厄をもたらす。そうして一撃の雷光が走り、私の身は貫かれて、磔刑、とそれを称するにはあまりに遅い。たましいは霧散する。すでに滅びた村々から火の手が上がり、雨がそれを慰撫することもなく炎はすべてを焼き尽くす。やがて萌え出る若葉に、あらたな命のかがやきを見出す者もなく、すべては緑に押し包まれて、眠る人々の身に、家々に茂ってゆく。ある日旅人が訪ねてきて、ある家に残された日記を紐解くだろう。そこに記された肉体の記憶をそっとその無骨な指先でなぞり、彼は祈りの形に手を組んで、瞳をゆっくりと閉ざす。


BGM:Kenji Kawai - The Sky Crawlers

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