第36話或る情景を旅するもの

永遠に繰り返されてゆく景色の中に、不穏な一点があり、その扉を開くとあなたがいる。己の悲嘆にも気づかないまま不明な言語で喚き立てるあなたの哀しみを、あらゆる人間が扉を閉ざしてやり過ごし、その本質にはいつまでも辿りつかない。ひとり取り残されたあなたは、扉を開けようと必死に叩くが、誰もその音を聴こうとはしない。素通りしてゆく人々には顔がなく、ぼんやりとかすんでいる。喉から迸ったあなたの悲鳴はやがて雷鳴に変わり、天を突いて激しい雷雨がもたらされる。扉は堅く閉ざされたまま、大雨の最中を人々は逃げ惑い、やがて扉の前からひとり残らず消え去ってしまう。わたしはついに傘を差し出すことはできなかった。ただ傍観し、そしてあなたの前から去ったひとりに過ぎなかった。わたしたちが交わす言葉は、その意味が解体された言語であり、怒号であり、叫び声だった。原初的な感情を交わすことがあなたにとっての共同体のテーゼであり、わたしはそこから去って、遠い都市の片隅で、眠れない夜をひとり越えてゆく。あなたの怒声はギターの轟音とボーカルのシャウトへと変わり、耳の奥にしまわれた記憶が、かすかなあなたの痕跡を示す。おおよそ解体されたロジックを、ふたたつなぎ合わせるために、わたしは夜の底をひとり歩く。その先に海があり、その彼方にあなたにつながる扉があることを知りながら、迂回したまま13年の月日が過ぎた。旅人が二度と同じ景色に戻ることはない。この景色もまた繰り返しながら、その都度少しずつ変奏される。2049とネオンが表示された扉は、経年劣化で歪み、二度と開かなくなる。ドアノブは錆びつき、やがて侵食する水に沈んで、物言わぬまま閉ざされる。わたしはたどり着いた水没都市をゆく舟に乗り、ついになぐさめられることのなかったあなたの魂として飛び立った白鳥を見上げて目を細める。

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