第38話 子供たち


 彼らは「地下道の子らアンダーグラウンド・チルドレン」と呼ばれる少年たちだと、プリムは語った。


 フリジアにおける最貧困層である彼らは、住居を持てずこの地下道に共同で済み、少ない収入でお互いに幇助しあって暮らしている。

 決まった仕事を持つものもあれば、鉄くずを拾って売り歩いているもの、それから非合法に稼いでるものもいる。

 人種や性別・出自もてんでバラバラだが、共通しているのは、彼らはみんな15歳に満たない未成年であるということだ。


 子供らの多くは親から捨てられたスラムの少年たち、或いは政府からの経費・助成金を不正に受け取るような孤児院(キンダーハイム)から追い出されたような子供だ。

 社会に見捨てられた人間たち。

 行き場を無くした子供たちは雨風を凌ぐため、やがて地下道に行きついたというわけだった。 


 かつて、「地下道の子ら」は凶悪で、ほとんど暴徒と言ってもよかった。

 まるで自分たちを捨てた大人たちへ復讐するように、彼らは犯罪に手を染めていった。

 彼らは大人よりも捨てるものがない分、一時期は躊躇いなく重篤な犯罪に手を染めていた。

 まるで野生の動物のように、法律を無視し、本能的の赴くままに生きていた。

 その捨て身の行動はマフィアや警察も手を焼き、深刻な問題となっていた。


 そこに光を当てたのが『フリジア自警団』の団長、タガタ=ユゾであった。


 彼はまず子供たちに仕事を与えた。

 海で漁業を手伝うことを覚えさせ、荷を運ばせた。

 それから次に文字の読み書きを教えた。

 それから簡単な算数や文章の書き方を覚えさせた。

 自分のお金で教師を雇い、時には自らが教鞭を振るった。

 

 そうして時間をかけ、地下に住む彼らを動物から人間へと戻していったのだ。


 プリムは「アンダーグラウンド・チルドレン」と懇意にしていらしい。

 それはひとえに、彼らが「フリジアという街」に詳しいからだ。

 市井の巷間で流れる噂や与太話。

 街の情勢を見極めるには、そういうものが意外と役に立つようだ。


 翻って地下の住人からしても、プリムは貴重な情報源となっている。

 実質的に不法占拠をしている彼らは警察の動きに敏感でなければならず、条例の改正や裁判所の判決など、リアルタイムの情報が命綱なのだ。

 この街を根城にする彼女とは、まさにウィンウィンの関係と言える。


 そのような利害関係が成り立つ程度には、彼らは更生したのである。


 しかし、ここの子供たちには明確なルールはない。

 罪も罰もないし、上納金のようなノルマもない。

 暴力での支配は決してしない。

 それでもヨシュアを中心に秩序だっており、もめ事はあまり起こらない。

 それは偏に、彼らが心に傷を持つ者たちだからだろうと、プリムは言った。


 ――仲間だけは裏切らない。


 ここでは、そのような不文律だけが絶対的に存在しているという。

 彼らは、「ここより落ちこぼれたらもはや生きていく術はない」ということを本能的に知っているのだ。


 リュカは食べるも忘れ、プリムの話に聞き入っていた。

 自らの生い立ちとあまりに違う子供たちに衝撃を受けているのか、それとも彼らを憐れんでいるのか。

 その表情からは判然としなかった。


「リクタ」


 話を聞き終えたリュカが、俺を見た。


「こやつらと余は、一体何が違うんだろうの」

「え?」

「余とここの人間とはあまりに違う。生まれながらにして、与えられたものがあまりにも違う。この差は何だ」

「そ、それは、えっと――」


 情けない話だけど、俺は答えに窮した。

 なんと答えてよいのか分からなかった。

 

 生まれた場所。

 血筋。

 それですべてが決まってしまう。


 運命として割り切るには、この世は本当に不平等だ。

 

「この子たち、リュカ君にはどう見える?」


 俺が黙ってると、プリムが代わりに口を開いた。

 リュカは少し考えた。


「そんなに哀れに見えるかしら?」

「いや……どうかな。そうは見えんか」

「不幸には見えない?」

「ああ。いっそ楽し気だ」

「そう見える?」

「見える」

「どこが」

「どこ……だろうの」


 リュカはまた考えだした。

 それからやがて、地面を見つめながら、「ああそうか」と一人ごちた。


「こやつらは余が持っていないものを持っている。それが妬ましいのだ。そのことが、持たざるこやつらを美しく見せている」


 やがてリュカは顔を上げ、プリムを見た。

 プリムは小首をかしげた。


「リュカ君が持っていないもの?」

「そうだ」

「それはなに?」


 リュカは自嘲気味に口の端を上げ、「自由だ」と言った。


「自由?」

「そうだ。そしてそれは、きっと人間が人間であるために必要なものなのだ」

「リュカ君には、自由がないのかしら」

「余にあるのはただ“責務”だけだ」

「責務」

「そうだ。余は人としてある前に、君主としてあらねばならぬ」


 リュカは目を伏せ、寂しそうにつぶやいた。

 君主? と、プリムは眉根を寄せた。


「それはどういう意味? 君主っていうのはどこの国の話かしら?」


 プリムは矢継ぎ早に問うた。

 リュカは返事をせず、俯いたままだ。


「リュカ君。悪いんだけど、質問に答えてくれる? あなたはもしかしてどこかの――」

「プリム」


 俺はプリムを遮った。


 プリムが俺を見た。

 俺は無言で首を振った。

 プリムは少し目線を強めたが、俺はもう一度、今度は顔をしかめて大きく首を振った。


「……分かったわよ」


 彼女は小さくはあと息を吐き、力なく持っていたパンを一齧りした。


 Ж


 リュカは食事を食べ終えると、急に眠くなったと言って横になった。

 よほど疲れていたのか、長椅子に寝ころぶとすぐに寝息を立て始める。


「プリム、どう思う?」


 彼の寝顔を見ながら、俺は小声で聞いた。


「どうって、何が?」

「決まってるだろ。リュカのことだ」


 プリムは少し笑い、はあ、と短い息を漏らした。


「どういう地位なのか正確には分からなけど――精神的にはまだまだ子どもね。無垢な少年だわ。それに、言っていいことと悪いことの区別もついてない」

「どういうこと?」

「身分のことを隠す癖に、ジュベ海賊団との関係を隠さない。あまつさえ、うっかり君主なんて言葉を漏らす。情報の管理が杜撰すぎるわ。要するに世間ずれしていない、純粋培養で育てられたお子さまなのね。きっと、あのまま問い詰めたら彼の正体は判明したはず」


 プリムは少し口惜しそうに言った。


「駄目だよ」

 と、俺は言った。

「リュカが言いたくないことを無理に聞くのはよくない。こいつが自分から言いたくなるまで待つべきだ」


 はいはい、と言って、プリムは後頭部をがりがりと搔いた。


「私、だいぶあんたって人間が分かって来たわ」

「どういう意味?」

「甘ちゃんの癖に死ぬほど頑固。それから、損得勘定が出来ない直情人間」


 当たってる。

 俺は思わず苦笑した。


「ていうかさ……そもそもプリムは、この子が言ってること、どこまで本当だと思ってるの?」

「そうねぇ」


 プリムはうんと伸びをした。


「ま、ほとんど本当でしょうね。子供の与太話というには、リュカ君は真剣すぎる」

「でも、君主ってのはいくらなんでも」

「状況的にはあり得るわ」

「しかし、こんな小さな子が王様だなんて」

「即位に年齢なんて関係ないもの」


 プリムは肩を竦めた。


「天運が重なればそういうことも起こり得るでしょうよ。歴史的に見ても、王制を敷く政治体系では稀に見られることだわ」

「そ、そうなんだ」

「それより気になるのが、リュカ君のあの言葉」

「あの言葉?」

「ほら、私たちが追われてる時に、追っ手を見ながら言ってたでしょ。『ハズレだ』って」

「ああ、言ってたな」

「これってつまり、追っ手には“アタリ”もあるってことでしょ?」

「まあ……そうなるな」


 要するに、とプリムは人差し指を立てた。


「彼は今、二つの組織に追われてるってことになる。そして、ヨシュアはこう言ってた。今日の貧困層地域(ゲットー)には“見覚えのない海賊がいる”」

「つまり、追っ手はその“見覚えのない海賊”だと」

「ええ。ヨシュアはこの街に精通してるから、その情報はかなり信憑性がある。で、問題はそいつらがどの組織の海賊かってことだけど――」


 プリムはそこで言葉を切り、リュカに目を移した。

 目線の先は、リュカが貢物としてもらったという首飾りに向いている。


「ジュベ海賊団、か」


 と、俺は言った。


 この首飾りは、ジュベ海賊団からもらったものだ。

 リュカと3大海賊団につながりがあるとすれば、それはジュベだと考えるのが妥当だろう。


 だが――彼女は「いいえ」と言って首を振った。


「え? ち、違うの?」

「たしかにリュカはジュベと繋がりがある。でもきっと、それと追っ手とはまた別だわ」

「どういうこと? リュカを追っているとしたら、貴重な魔石を献上したジュベが最有力だと思うんだけど」


 プリムはチッチッチ、と人差し指を揺らした。


「そうじゃないわ。いい? さっきも言った通り、リュカの追っ手は2種類いるの。アタリとハズレ。となると、ジュベはリュカに貢物をするような仲なんだから、この場合、ジュベはリュカにとっては「アタリ」の追っ手であるはずでしょ?」

「そ、そうか」


 俺は思わず膝を打った。

 ジュベはリュカにとって、決して敵ではない。

 その彼らを、「ハズレ」などと呼ぶのは道理に合わないわけか。


「それじゃあ、フリジアを根城にしておらず、ジュベと関係のあるリュカを追う海賊とは一体誰か」

「……チェスターかミュッヘン、か」

「ま、そのどちらかになるでしょうね」


 プリムは頭をがりがりと搔いた。


「いや、本当に、これはデカいヤマになってきちゃったわね。フリジアに“アデル3大海賊団”の内の2つが上陸してるとなると――これは歴史的な事件だわ」


 彼女は冷や汗を滲ませながら、不敵に笑った。


「嬉しいの? それとも怖い?」

「ま、半分半分ってとこね。死ぬほど怖いけど、死ぬほど面白そう」


 プリムはぶるりと体を震わせた。


 うーん。

 記者、というのはすごい人種だ。

 今のこの状況を“面白い”だなんて、一般人の俺には絶対に言えない。


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