第36話 街


「で、これから行くのはどのような“れすとらん”だ」


 少し前を歩くリュカが、振り返りながら言った。

 すっかり日は傾き、西日で景色はオレンジに染まっている。

 リュカの上等そうな服は砂まみれになっていた。


 気のせいか、少しウキウキしているように見える。


「レストラン?」

「そうだ。貴様ら民草はそのような名の場所で食を済ませるのだろう」

「そんな大層なところには行かないよ」

「ほう」

「これから行くのは大衆食堂だ。それも、かなり汚くて格安の」

「たいしゅうしょくどう」

「そう。任せといて。安いけど、味は保証するからさ」


 そう言って、俺は親指を立てた。

 リュカは不思議そうに小首をかしげた。


 結局、俺は自分が行きつけの食堂へ行くことにした。

 第13地区にある裏路地のボロボロに破けた幌の食事処。

 いつかシーシーと行ったところだ。


「リュカ君、そう言うとこ、行ったことが無いの?」


 プリムが口を挟んだ。


「うむ。余はいつも宮で食っておる故」

「宮? 宮って宮廷ってこと?」


 プリムの目がきらりと光る。

 カチリ、と音がしそうなほど目つきが変わった。

 取材モードに入ったのだ。


「あのさ、それってどこの国のこと? リュカ君ってラングレー人じゃないワケ? この国には宮廷なんてないわよね」

「それは言えんといっただろう」

「何故?」

「言えんと言ったら言えん」

「分かった。でも、リュカ君は、宮廷で食事をするような身分の人間ってことね」

「そうだ。貴様らも弁えておけ」


 プリムはちらりと俺を見た。

 俺はうんと頷いた。

 この子、やはり只者ではない。


「それじゃあ、もう一つ聞いても良い?」

「なんだ」

「ズバリ、リュカ君とジュベ海賊団って、どういう関係なの?」


 プリムの言葉に、リュカは初めて不愉快そうな顔を見せた。


「なんだ貴様、どうしてそんなことを知りたがる?」

「え? あ、いや、別に」

「好奇心ならやめておけ。要らぬ詮索は命を縮めるぞ」

「……それ、どういう意味かしら」

「そのままの意味だ。分からぬなら言い換えてやろうか。要するに――」


 死にたくなければやめておけということだ。


 リュカは背を向けたままぴしゃりとそう言った。


 プリムは額に汗を滲ませた。

 それから、ごくり、とつばを飲み込む。


 この言葉、ただのガキの戯言ではない。

 プリムが質問を始めてから、リュカからは何か得も知れぬオーラが感じられる。

 冷や汗だらけの彼女の顔は、それを雄弁に物語っていた。


「まあ、とりあえずはもういいじゃん」


 と、俺は努めて明るい声を出した。


「まずは飯を食おう。それから、ゆっくり話そうぜ」

「……」


 返事をしない。

 顔を顰め、不服そうだ。


 どうやら、モヤモヤしたままだと我慢できない性質らしい。

 それとも、こんな小さな子供に気圧された自分が悔しいのか。


 いずれにせよ、気の短いプリムらしい。


「リュカ。お前もそのほうが良いだろ?」


 と、俺はリュカの両肩に手を置いた。


「うむ」


 リュカは顔だけこちらを向き、微笑んだ。


「だよな。ま、俺は結構どうでもいいんだけど」

「どうでもいい?」

「ああ。お前が何者でも、わりとどうでもいいね」


 リュカは今度は半身ごと振り返った。

 それからわずかに目を大きくして「そうか?」と言った。


「ああ。時々、野球に付き合ってくれたら、それでいい」

「そうか」


 今度はハニカムように言った。


 嬉しそうだ。

 運動した後だからだろうか。

 少し頬が上気している。


 うん。

 こいつ、多分良い奴。

 俺の直感がそう言ってる。


「――うん?」


 と、その時。

 リュカの目線が俺から少し背後にずれた。

 俺は釣られるように首を捻って後ろを見た。


 なんだあいつら。

 思わず、顔を顰めた。

 いやな予感に、全身に鳥肌が立つ。

 

「な、なあ、プリム」


 俺は目線を前に戻し、小声で言った。


「なによ」

「あの、ちょっといいか」

「だから何よ。言っとくけど、取材はするわよ」

「いや、その、今はそれどころじゃないと思うんだよね」

「どういう意味?」

「いや、あの、なんつーか、変な感じなんだよね」

「だから何が」

「だからその……俺ら、尾行(つけ)られてねーか?」

「は?」


 プリムは俺の言葉で立ち止まった。

 それから、ゆっくりと振り返る。


 視線の先には――5,6人ほどの男たちが横一列で歩いていた。

 タンクトップを着て、腕にはびっしりと刺青の入った男たち。


 全員、手には何やら紙切れを持っていた。

 そしてそれと俺たちを交互に見やっている。


 俺たちが立ち止まると、それに気づいた奴らも止まった。

 歩き出すと、すぐに歩き出す。


「……みたいね」


 プリムは前を向いたまま、引きつったように笑った。

 それから「どうやらこの子、すでにお尋ねものになっているみたい」と言った。


「ど、どうする?」

「どうするもこうするもないわ。あんた、あいつらに敵うと思う?」

「……無理だな」

「そうね。それじゃあ、私の言う通りに動いて」

「どういうこと」

「今からワンブロック先の右手に大きなホテルが見えるかしら」


 少し先に看板の突き出た白い土壁で出来た縦長の建物が見える。


「……ああ」

「あそこの手前の路地に飛び込むわ。リュカはあなたが担いで」

「か、担ぐ?」

「そう。そして、路地に入ったらとにかく私についてきなさい」

「プリム、キミ、この街に詳しいの?」

「小さいころから過ごしてるもの。フリジアは庭みたいなもんよ」


 わかった、と俺は頷いた。


 目印のホテルまではあと50メートル。

 心臓がどくんどくんと大きく鳴り出した。

 

 そしてそのまま前を向いて歩いていると、今度は向こうの方からも、男たちが数人、歩いてくるのが見えた。

 彼らはやはり手に紙切れを持っており――辺りをキョロキョロと見回している。


 胸が早鐘を打ち始める。

 こ、これ、やばくねえか。

 このままだと――ホテルに着く前にすれ違ってしまう。


 つと、男たちが立ち止まるのが見えた。

 そして何やら叫び声をあげながら――


 リュカの方に向けて、指をさした。


「作戦変更! 左! 入るわよ!」


 ほとんど同時にプリムが叫びながら左の民家の間にある小路へ飛び込んだ。

 俺はリュカを抱え込み、彼女に倣って走り出した。


 その刹那――男たちがこちらに向かって駆け出すのが、目の端に映った。


 Ж


 俺たちは大人一人がようよう通れる小径を全力で走った。

 何度も角を曲がり、ゴミ箱を飛び越え、洗濯ロープをくぐった。


「やべえ! やべえ」


 俺は走りながら何度も振り返った。

 徐々に近づいてきている。


「お、おい、リュカ! あいつら誰だ」


 走りながら聞いた。

 リュカは手で望遠鏡をつくりそれを覗きながら「ふむ」と唸った。


「ふむ。どうやらハズレの方だの」

「ハズレ?」

「うむ。手下(てか)ではない」

「どういう意味だよ!」

「つまり、逃げないと殺されるということだの」

「こ――」


 殺される?


 その言葉を聞いて、膂力が増した。

 俺はぐんとスピードを上げた。


 確定的。

 リュカというこの子供。

 正体は不明だが――完全に大物だ。


「ほうほう。はよぅせんと、追い付かれるぞ」

「うるさい! なにを楽しそうに」

「ポッチ! マジでヤバイよ! 追いつかれる」


 プリムが振り返りながら言う。

 俺は半身だけ振り返った。

 すると、一人足の速い男がすぐ目の前まで来ていた。


「食らえ!」


 俺は咄嗟に持っていたバットを投げた。

 するとそれはうまい具合に足に絡みつき、男は前のめりに倒れた。


「やった!」


 小さくガッツポーズをして目を前に戻す。

 すると――プリムが消えていた。


 俺は思わず足を止めた。

 と思うと同時に、腕を強引に引っ張られて壁と壁の間に引きずり込まれた。


「こっちよ」


 さらに狭い通路に入り込んだ。

 今度は本当に窮屈だ。

 俺はそこでリュカを肩車に変更し、両肩をレンガ壁にぶつけながら強引に進んだ。


「待て! このガキども!」


 追っ手のおっさんが手を伸ばしながら怒鳴る。

 だが、かなり太っているせいで思うように歩くことが出来ない。

 それでも、にじり寄るように体を揺らしながらちょっとづつ前へと進んでくる。


「おっちゃん、無理しないほうが良いよ」


 俺はそう言い残し、ガシガシ前へ歩いた。


 短い道を抜けると、今度は緩やかな下り坂に出た。

 両脇を赤茶けて破けた塀に挟まれた、何もない路地。

 その袋小路にはぽっかりとあいた穴があり、地下へと続く入口となっていた。

 

「な、なにこれ」

「大昔の遺物で、かつてこの街に『フリジア聖十字兵団』が存在していたころ、弾圧を受けた彼らが秘密裏に使っていた地下道。今でも迷路のように街中に張り巡らされてるわ」

「大昔のって――今でも使えるの?」

「もち」

「今にも崩れそうだけど」

「大丈夫よ」

「暗いんじゃ」

「うだうだ言ってる暇ない!」


 俺は蹴飛ばされるようにして走り出した。


 正直、こんな穴倉に突っ込んでいくのは気が引けるけど――

 俺達にはもはや選択権はない。

 

 俺はリュカと手を繋ぎ、トンネルの中へ下って行った。

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