第33話 ドレス


 ふんふんと調子の外れた鼻歌が室内に響いている。


 間の抜けたテンポで、よく分からない歌を口ずさみながら、ポラが嬉しそうにクローゼットの中を物色している。

 朝食を済ませたあと、まだ食器も片付けていないというのに。

 様々な服を自ら体にあてながら、ああでもないこうでもないと、さっきからずっと鏡の前でポーズをとったりしていた。

 

 いつもニコニコと機嫌のいい彼女だが――

 今日は特に上機嫌だ。

 

「楽しそうですね」


 俺は食器を運びながら言った。


「あ、わかります?」


 ポラは微笑みながら俺を見た。


「そりゃ分かりますよ。なにか良いことあったんですか」


 俺が問うと、ポラはいかにも聞いてくれとばかりに「えへへ」と嬉しそうに微笑んだ。


「実は今日、船長とオペラ歌劇を見に行くんですよー」

「歌劇ですか。へえ。いいですね」

「いいでしょー。もう、今から楽しみで顔が綻んじゃいそう」


 言いながら、すでにへらへらと破顔している。

 よっぽどオペラが好きらしい。


 ふむ。

 たしかに、ポラはそういう芸術とか演劇が好きそうだ。


 でも――


「船長って、そういうの興味あるんだ」


 俺は思わずそう口にした。


 すげー意外。

 失礼だけど――あの人って、なんていうか、そういう格式高いものとか興味ないのかと思ってた。

 なんとなく。


「いえいえ、仕事で見に行くんですよ」


 すると、ポラは苦笑しながら否定した。


「仕事?」

「ええ」

「オペラを見るのが仕事なんですか?」

「まさか」


 ポラは短く首を振った。


「今日は偵知(ていち)です」

「偵知?」


 ええ、とポラは頷いた。


「なんでも、今日、フリジア第一区の劇場で行われるその演劇にとある国の政府要人が来るらしいんですよ。今後の仕事にも影響があるだろうから、船長が私も顔を見ておけって」

「はあ、政府の要人、ですか」

「それが誰だか、私もまだ聞いてないんですけどね」

「へえ。ポラさんにも内緒なんですか」

「そうなんです」


 ポラは子供のように少し頬を膨らませた。


「最近、船長ってば、ちょっと秘密主義なんですよねー。そういう時って大体なにか悪巧みしてるから、ちょっとぞっとしないんですけど」


 ミスティエの悪巧み、か。

 それは確かに嫌な予感がする。

 ものすごく。


「まあ、とにかくその男っていうのが滅多に公の場に姿を現せない人らしくて、ですね。一度見ておいた方がいいらしいです」

「な、なるほど。結局よく分かんないですけど、とりあえず今日は遊びに行くわけではないんですね」


 俺は短く数度、頷いた。


「でも、ともかくよかったですね。仕事とはいえ、オペラが見れるなんて。役得じゃないですか。いいですねえ。俺も行きたいなあ」


 俺は少し口をとがらせて言った。


 映画もゲームもないこの世界では、そういう俺には不釣り合いの趣向にも興味がわいてくる。

 演劇ってのは見たことないけど、きっと生で見たら感動するのに違いない。


「あ、私、オペラ自体はどうでもいいんです」


 だって言うのに、ポラはそう言って手刀を顔の前で振った。


「え?」

「私、ああいうの苦手なんですよねー。なんていうか、すぐ眠くなっちゃって」

「そ、そうなんですか。でも、じゃあ、それならどうしてさっきから機嫌がいいんです?」


 俺が聞くと、ポラはこちらへ体を向けて「決まってるじゃないですか!」と少し大きな声を出した。


「き、決まってるんですか」

「はい! 船長とオペラですよ! わかりませんか?」

「ご、ごめんなさい。分かりません」

「オペラ鑑賞にはドレスコードがあるんです」

「そ、そうなんですか」

「つまり、ドレスを着ないと会場に入れないんです」

「あ、それ、知ってます。男の人もスーツとか着ないと駄目なんですよね」

「そうですそうです」

「で、それが何か」

「あの、ここまで言っても、まだ分かりませんか?」

「え。それ、ヒントなんですか? えーっと、ちょっと待ってください」


 少し考え、そういうことか、と俺は頷いた。


「……あ、ああ、なるほど。そういうことですか」


 そこまで言われて、ようやく気が付いた。

 つまりポラは、“お洒落なドレスを着られること”が嬉しいわけだ。

 たしかに、この子はいつも同じメイド服を着ている。


 何のかんの言っても――彼女も普通の女の子なんだな。

 そう思うと、ちょっと微笑ましい。

 

「今日は、“ミスティエ船長のドレス姿”が拝めるんですよ!」


 などと思っていたら、ポラがそのように大声を出した。


「船長の――ドレス姿?」

「そうです! いっつもパンツルックのキャラコしか着ないあの人がスカート履くんですよ! ガーターベルト付けてパンプス履くんですよ! 鼻血出ますよ、これは!」


 ポラは手をくねくねさせながら悶えた。

 忘れてた。

 この人、ミスティエの大ファンなんだ。


 だが俺が真に驚いたのは、その時、彼女が本当に鼻血を出していたことだ。


 ほ、ほとんど変態だな、この人。

 こんなの漫画の世界の住人がやるリアクションだと思っていた。


「ああ! 船長! どんな御尊容を見せてくれるのかしら!」


 ポラはそうして、ティッシュを鼻に詰めたまま、しばらく一人で盛り上がっていた。

 

 でも――

 たしかにミスティエのドレス姿は見てみたいかも。

 少し想像してみて、しかし、俺はちょっと笑ってしまった。


 あの人ミスティエは傾国の美人だけど――じゃじゃ馬すぎてあんまりドレスは似合わないんじゃないかな。


 Ж


 昼過ぎになり、船のメンテにひと段落つくと、俺は港に近い倉庫街へ向かった。

 ここは朝一に漁師たちがとった魚貝を一時的に収める場所だが、昼間になると海の男たちの食事処に様変わりし、幌のついた移動式の屋台がところ狭しと林立する。

 今日行ったのはスパイシーな香辛料が大量に入った魚のスープに、芋の練りこまれた麺をぶち込んだ『ラトゥク』という料理を売っている、俺のお気に入りの店だ。

 錆びの浮いた包丁や鍋で調理し、洗っているのかいないのか分からない器に入れ、絶対に洗ってないだろうフォークで食べている。

 衛生面は甚だ怪しいが、味は間違いない。


 店のオヤジともすっかり仲良くなって、ここいらの裏情報なんかも教えてくれるようになった。

 治安の悪いフリジアでは、この口コミが意外と重要になってくる。


 絶対に近づいてはいけない場所。

 逆に、比較的安全な地域。

 さらには美味しい飯屋とか品揃いの良い商店、腕のいい医者、あとは夜の店の話なんかまで。

 そう言う情報は暮らしていくのに非常に役に立つ。

 ここでは医療の良し悪しは直接命に関わるし、食の良し悪しというのは思った以上に生きていく内で重要だ。

 夜の店の情報は――今のところは俺には関係ない。


 今のところ、は。


「それじゃ、ごちそうさまでした。今日も美味かったっす」


 オヤジとの他愛ない話を適当なところで切り上げると、俺は腰を上げた。

 これからどうしようかと思いながら、うんと体を伸ばす。


 海賊といっても、仕事がない日は結構暇だ。

 元の世界だと勉強に部活にゲームにと忙しかったが――こちらには授業もないし、野球もPS4もない。

 ひたすらトレーニングをするだけの日々だが、それにもやがて倦んでくる。


 よし。

 それじゃあ、今日もアレをやりにいくか。


 俺はそう思いつき、第17地区にある空き地へと向かうことにした。

 そこは俺が見つけた秘密の場所だった。

 ぐるりを工場に囲まれていて、街中にありながら喧騒を感じない。

 

 集中するには持ってこいの場所。

 俺はそこで、とても良いストレス解消法を発見したのだ。


 Ж


 平日のフリジアの街にはゴロツキが増える。

 店の軒先や無意味に置かれたベンチに寝転がり、昼間から酒を煽っているような奴らだ。

 

 この街に来た当初ならドキドキしてたまらなかっただろうけど、今ではもう慣れっこになった。

 いざとなれば、腰に下げた銃を抜けばなんとかなる。

 いつの間にか、そんな余裕が心に生まれていた。

 武器というのは人の心を少し鈍く横柄にするものだ。

 

「キミ、ちょっといい?」


 四つ辻を右に曲がり、人気のない赤茶けた土壁の通りに出たところで、背中から声をかけられた。

 振り向くと、カバンを肩からかけた女性が後ろ手をして立っていた。


 女性、と言ってもまだかなり若い。


 袖のない麻のチュニックとデニム生地に似たホットパンツを履いた、ショートヘアの女の子。

 肌の露出は多いけど、健康的で爽やかな感じなのでいやらしい感じは微塵もない。

 目鼻立ちがはっきりした、なかなか可愛い子だ。


「えーと、なにか」

「あなた、タナカ君、だよね。キャラコさんとこの」

「え、ええ、そうですけど」

「やっぱり! いやー、噂通り、変な服着てるわ」


 少女はいきなり失礼なことを言って、俺の服を眺めた。

 それから「どこで売ってるの、その服」と愉快そうに笑った。


 俺はちょっとムッとして「どなたでしょうか」と聞いた。


「ああ、ごめんなさい。私、『ペーパーカット』っていうタブロイド紙で記者やってるプリムって言います」

「新聞記者……さん?」

「そ。まだ新米なんだけどね。実は、あなたのこと、探してたの」

「俺のことを?」

「うん」


 プリムは大きくうなずいた。

 俺は首を捻った。

 新聞記者が俺を探してた?


「えーと、なんで?」

「なんでって、キミ、ここいらじゃ結構有名人だよ」

「は?」

「財界にも顔が利くキャラコさんとこの新人だもんね。それだけで耳目を集めるってもんよ」

「い、いや、新人っていっても、俺はただの雑用係で。掃除夫みたいなもんです」

「またまた。聞いてるわよ。ウェンブリー社のムンター奴隷制度告発の件。あれ、キミがキーマンだったんでしょ?」

「い、いや、まさか」


 俺はしどろもどろになった。

 別に俺がキーマンと言うわけではないが――たしかに、発案したのは自分だ。

 しかし、それは船上で行われたやりとりで、現場にいた人間以外からは漏れないはず。


 この女性(ひと)、そんなことまで調べたのか。


 プリムはふーん、と言って目を細めた。


「あらら。いっちょ前に、とぼけたりするんだ」

「と、とぼけるも何もないです。あれは船長が決めて、船長が実行してることです。俺は何もしてないですから」

「へえ。やっぱり、ってことは、キャラコさんが裏で動いてるんだ」


 やっぱりねー、とプリムは口の端をあげ、メモを取り出してさらさらと何やら書き記した。

 し、しまった。

 よくわからないが――何かまずいことを言ってしまった気がする。

 

「ねえ、他にも知ってることあったら教えてくれない?」

「知ってること?」

「そ。例えばさ、このタイミングでサヴァル中将が訓告処分を受けてるけど、今回のこととなにか関係があるのかしら」

「お、俺は何も知りませんよ」

「たしか、サヴァルさんは海軍の魔法兵団の長でしたよね。魔石開発の会社に勤めていた経歴もあるし、大学の専攻も魔法技術だったはず。ウェンブリー社と無関係とは思えないんだけど」

「知りませんってば」


 俺は踵を返して歩き出した。

 予想外の出来事すぎる。

 まさか――記者にインタビューを受けるなんて。


「まってまって」


 プリムはしつこく追い縋ってくる。

 俺は無視しようと決めた。


「これからどこ行くの? お茶でも飲まない?」

「ついてこないでください」

「いいじゃん。もう取材はしないからさ」

「じゃあなおさら、もういいでしょう」

「連れないなあ、キミ。言っとくけど、私みたいなのと仲良くしてたら何かと便利だよ」

「便利って、何がですか」

「うーん、まあ色々と、さ。この街のこともよく知ってるし、それ以外のこともそれなりに知ってる」

「俺、そう言うの別にいいですから。ついてこないでください」


 俺は繰り返し言った。

 だが彼女はまるで怯む様子もなく、


「ま、いいからいいから。とりあえず、その辺まで一緒に歩こうよ、ポッチー」


 そう言って、腕を組んできた。


「ポ、ポッチー?」

「知ってるよ。仲間内ではそう呼ばれてるんでしょ」

「そ、そうだけど」

「じゃ、いいじゃん。よろしくね、ポッチー」


 そう言いながら、満面の笑みを向けて、いっそう腕を絡めてくる。

 

 この野郎。

 すげー強引だな。

 こういう奴にははっきり言ってやったほうがいいだろう。


 俺は顔をしかめた。

 そして、どう説教してやろうかと、しばらくそのまま無言で歩いた。

 そうしている内、俺の脳裏に、全く別の思考が生まれ始めた。


 この子――意外と胸が大きいな。


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