第32話 結末
「さあ、出来ましたよ! 一緒に食べましょう」
ポラはそう言うと、俺の向かい側に座って手を合わせた。
フリジアの港。
俺たちが暮らす船の船室内だ。
あれから5日経った。
すごく長い航海だった気がするけど、終わってみればあっという間だった気もする。
俺はいつもの暮らしに戻った。
毎日筋力トレーニングをし、銃の練習をし、船の手入れをし、マストの出し入れと操舵の練習をする。
大体、そのルーティーンで一日が終わった。
ツヴァイはすぐに新聞記者たちを集めて会見を開いたそうだが、それ以降のことはよくわからない。
奴隷たちのことに関しても、ミスティエからも何の報告もない。
なんにせよ、時間がかかるんだろう。
俺はそのように判断して、続報が入ってくるのを待っている。
目の前にはいつもの昼食が置かれていた。
パンと目玉焼き、それから魚の切り身をソテーしたものが狭いテーブルに窮屈に乗っている。
「あ、この魚、美味いっす」
一口食べて、思わず唸った。
「そうなんですよ。市場ですごく脂が乗ってたから、ちょっと奮発して買っちゃいました」
「そういうの、見たら分かるんですか?」
「素人なりに、ですけどね。あ、ポチ君も覚えておいたほうが良いですよ。脂ののった魚というのは背中が丸みを帯びていて、実はお腹の方はすっきりしているもんなんです。それから、新鮮であるかどうかを判断するのは目です。美味しい魚は目が黒く澄んでいるので、今度から気を付けて見てみてください」
「へぇ」
俺は感心しながら、もう一口、がぶりと食いついた。
この人、魚の目利きまで出来るんだ。
ほんと、ウィキペディアみたいな人だ。
「ポラさん、午後からどうするんです?」
「んーっと、ちょっと船長からトートルア王国について調べるよう言われているので、ちょっと新聞社へ行ってきます」
「トートルア王国って、例の独裁国家の?」
「ええ。ディアボロはいつ武装蜂起が起こってもおかしくないと言ってましたけど、船長の見立てだともう少しかかるようなんです」
「もう少し、というのは」
「少なくとも半年はあとになると思います。革命軍が今の時期戦うには、少々暑すぎますから」
なるほど、と俺は頷いた。
「どちらにしても、やっぱり船長は武装蜂起に参加する気なんですね」
「仕方ないでしょう。請け負った以上、仕事ですから」
ポラはそう言って眉を下げた。
おそらく、彼女も本意ではないんだろう。
ミスティエがチェスター海賊団の海賊船に乗り込んだとき。
彼女は、ディアボロの「部下になれ」という提案を断った。
いくら相手が3大海賊団のトップとはいえ、その配下につくことを拒否したのだ。
これは英断だった、と後にポラが振り返っていた。
海賊というのは一度主従関係が出来上がってしまうと、それを覆すことは非常に困難らしい。
そしてキャラコ海賊団がチェスターの下についたと噂が回れば、海の力関係にも支障を来たす。
だからミスティエは対等な関係を主張した。
内戦に手を貸すことはしてもいい。
だが、それはあくまで傭兵として、仕事としてなら請け負ってやる、と。
ディアボロはこれを飲んだ。
報酬は目が飛び出るほどの金額だったことから、最初からカマをかけていただけなんだろうとミスティエは語った。
それでも、ポラからすると「足もとを見られた」というのだから、その仕事の規模の大きさが分かるというものだ。
「でも――正直、怖いっすね。内戦とはいえ、紛争に介入するなんて」
「まだ先の話ですよ。その前にも、危険な仕事は山ほどあります」
「そ、そうっすよね。まずは、それまでに強くならなきゃ」
「そうですね。ふふ。期待してますよ」
そう言って、天使のスマイル。
やあ。
ほんと、この人の笑顔を見たときだけは、海賊になってよかったと思える。
「でも、この前はごめんなさい。大事なところで気絶しちゃって」
「ああ、いえ、大丈夫ですよ。ちょっとびっくりしましたけど」
「実は私、奴隷と聞くとちょっと後先考えられなくなっちゃって」
「そ、そうなんですか」
「危うくツヴァイさんを殺しちゃうところでした。今度暴走したら、銃で撃ってでも止めてね」
あははー、と笑いながらポラは言った。
いや……あんまり笑えないっすけど。
というか、この人、たしか銃弾を視認して避(よ)けてたような――
「ま、まあ、なるべくキレないようにお願いします」
「うん。そうするね」
そう言って、微笑む。
彼女は本当によく笑う人だ。
しかし、彼女のこの笑顔の裏には壮絶な過去がある。
こうして笑えるようになったことが奇跡だと思えるくらいの歴史が。
ここに至り、俺はポラがなぜ船室に住み続けるのか、なんとなく理解した。
彼女にとって、狭い船の部屋というのはきっとトラウマなんだと思う。
しかし、海賊になるためには、船室での寝泊まりが出来なくては話にならない。
それを克服するためにここに住み始め、それを今でも続けているんだろう。
「よお、邪魔するぜ」
と、その時。
船室の扉が開いて、キースが現れた。
「あ、こんにちは、キースさん」
ポラは食事の手を止め、わざわざ立ち上がって頭を下げた。
「やや! ポラさん、食事中でしたか」
「構いませんよ。よかったら、キースさんもどうぞ。今、コーヒーを淹れます」
「いやはや、すいませんな」
キースは薄い髪の毛を撫でつけながら、俺の横に座った。
「オラ。もっと向こうに寄れよ」
俺ははあと息を吐いた。
ほんと、よく来るなあ、この人。
「それで、今日は何ですか」
と、俺は聞いた。
「んだよ。テメーなんかに用はねえよ」
「知ってますけど」
「でもちょっとこれを見ろよ」
キースは懐から、新聞を取り出した。
どっちだよ、と俺は思った。
「こりゃ、明日発売の新聞記事だ。ほら、ポラさんも見てください」
「へえ。どれどれ」
キースが紙切れを広げる。
俺とポラは同時にそれを覗き込んだ。
『ラングレー海軍、ウェンブリー社へ魔石供給を依頼へ。本格検討開始』
一面に、そのようにデカデカと書かれてある。
「わあ、すごい」
「マ、マジですか」
俺とポラは「やった!」と同時に言い、思わず手を取り合った。
それを見て、キースはこの世の終わりのように不機嫌な顔になる。
「海軍は、あくまでウェンブリーを独立した会社として判断したんですね」
「ま、そもそもあそこの会社の魔石採掘能力は他と比べても群を抜いてるからな」
「こうなると、ムンターの奴隷たちはどうなるんでしょう」
「政府がこのような判断を下したってことは、正式な難民受け入れも時間の問題だろう。つかポラさんから手を放せよ」
「よかった。それは、はあ、本当によかったです。それじゃ、ツヴァイさんはクビにはならないんですね」
「当面は大丈夫だろうがな。奴が大変なのはこれからだ。しばらく、ツヴァイの醜聞が紙面を賑わすだろう。お前ら手を繋ぐなって」
「そうですか……俺も、何か力になりたいな」
「そう言うと思ったぜ。奴は当分の間、第3国の大使館にいる。あとで住所を教えてやるよ。向こうもテメーには会いたいだろうからな。あといい加減にマジで手を放せ。殺すぞ」
ああ、と言って、俺はそこでようやくポラの手を放した。
「興奮してて、つい」
すいません、と俺はポラに謝った。
すると彼女は、逆にもう一度、ぎゅっと俺の手を握り返してきた。
「謝らないでください。今回のことはポチ君の提案のおかげなんですから。キミがいなかったら、今頃奴隷さんたちは元の奴隷農場に戻されていたんです。胸を張ってください」
ね? と言いながら目を少し潤ませる。
くら、と来た。
か、可愛すぎる。
この人、本当に魔性だ。
たぶん本人にその気はないんだろうけど――女性に全く免疫のない俺は勘違いしてしまいそうになる。
「そ、そうですか。大したことは出来なかったですけど――そう言ってもらえると嬉しいです」
俺は慌てて手を放した。
「デレデレしてんじゃねえ」
こめかみに銃を突きつけられる。
この人――感情の起伏どうなってんだ。
俺は「すいません」と言いながら両手を上げた。
そのやり取りを見て、ポラはうふふと微笑んだ。
「それで、奴隷さんたちの身柄は今、どうなってるんです?」
ポラがきいた。
「ああ、奴らはツヴァイと同じ大使館にいますよ。全員は入れねぇから、残りは自警団のタガタのところで保護されているとか」
「タガタさんのところに?」
「ええ。これから、彼らが難民として暮らしていけるよう、住居の確保や仕事の斡旋にせいを出すらしい」
「タガタさんらしいですね」
「あの野郎はフリジアでは絶滅危惧種のお人好しだから。ったく、金にもならねえのに、よくやるぜ」
「そうかもしれないですね」
ポラはそう言うと、また俺を見た。
「でも、絶滅危惧種と言えば、ポチ君もそうですよね」
「な、なにがですか?」
「底なしのお人好し。船長から聞いてますよ」
「え……船長、俺のこと何か言ってましたか?」
どきりとした。
あの一件以来、俺は船長とろくに会っていない。
船上での非礼もちゃんと謝ってない。
「厄介な奴を拾ったって。苦笑いしてました」
う、うーん。
それは褒められているのかなんなのか。
でも、とりあえず怒ってないみたいでホッとした。
「まあ、いずれにしても、ミスティエの野郎が裏で動いてるのは確実だな」
キースは少し難しい顔を作って言った。
「これだけ話がスムースに進むなんてのは出来すぎだ」
「そうでしょうね」
ポラは肩を竦めた。
「船長、最近はいつにも増して悪そうな顔をしてます。なにをやっているのかは私にもあまり教えてくれませんけど、少し前にはタガタさんと会ってましたし。ああ、そう言えば、サヴァル中将は今回の件、何か言ってましたか」
「なんてことをしてくれたと、文句言ってたよ。どうやら、近いうちに査問されるらしい」
「あらら。サヴァルさん、左遷させられちゃうんですかね。もしかしたら降格とか」
「内部の反対派による嫌がらせだろう。あのおっさんは優秀だが、敵も多い」
「どうやら、お上はお上で一枚岩というわけにはいかないようですね。海軍にとっても清濁併せ吞む覚悟ということなんでしょうか」
「まあ、魔石の安定供給は海軍にとって最優先事項のようだし、悠長なことは言ってられないんじゃねーかな」
「キースさん、海軍の動きについて、何か知ってます?」
「なにかって言うのは」
「いえ、実は私、ずっと疑問に思ってたんです。海軍はどうして急に魔石に力を入れ出したのか」
「それに関しては、少し話が長くなるんだが――」
キースはそこで言葉を止め、俺をチラと見た。
それから、思い切ったようにポラを見た。
「ポラさん、あの、その辺の話は散歩でもしながらにしませんか」
「散歩?」
「外はいい天気ですよ。室内にいるのは勿体ないくらい。邪魔者もいませんし」
「いいですよ。少しだけなら」
「あ、ありがとうございます」
キースは嬉しそうにそう言い、小さく「し」とガッツポーズをした。
それから俺の耳元に口を寄せ、ポラに聞こえない程度の小声で「テメーには負けねぇ」と言った。
いや――いつの間に勝ち負けの話になったんすか。
Ж
それからしばらくして、キースとポラは出かけて行った。
きっと、彼の目的は最初からポラとのデートだったんだろう。
全く、あの人の熱意には困ったものだ。
フリジア1のマフィア幹部の癖に、妙なところで純情なんだから。
俺はちょっと笑いながら、席を立った。
「よー! ポチ!」
そうして俺が食事の後片付けをしてると、入れ替わりにシーシーがやってきた。
あれ以来だから、結構久しぶりだ。
「元気してたかー!」
「ああ、シーシーさん」
「今から飯いくぞ! それから銃の練習を見てやる! 今日はリボルバー持ってきた!」
「あー、すいません。飯はもう食っちゃいました」
「うるせー! もっと食え!」
そう言って、俺の背中に張り付く。
「わ、分かりましたよ」
俺は背中を振り返りながら言った。
「その代わり、もう少し待ってくださいね。すぐ洗い終わりますから」
「よし! 待ってやる!」
シーシーはテーブルに戻り、足をぶらぶらさせながら持参した馬の人形で遊び始めた。
彼女が黙ると、急に室内は静かになり、カチャカチャと食器が擦れる音が室内に響いた。
「あの、シーシーさん」
と、俺は口を開いた。
「んー?」
「聞きましたよ。ディアボロたちと戦おうとしたらしいじゃないですか」
「おー。あいつら、マジで強そうでなー。戦いたかったぜー」
「無茶しないでくださいよ」
「うるせー。うちはぬり絵の次にバトルが好きなんだ」
どういう基準だよ。
「でも、時と相手は選んでくださいよ。殺されちゃいますよ」
「別にいいだろー」
「よくないです。死ぬのが怖くないんですか」
「怖くねーな」
シーシーはニッカと笑った。
「お前、うちがどれだけの人間を殺してきたと思ってんだ。あれだけ殺(や)っといて、自分だけ死にたくねーなんて、ムシが良すぎるだろー」
俺は思わず手を止め、シーシーを見た。
この人――自分のことをそんな風に思っていたのか。
シーシーは馬の人形で「とりゃー」「ほんぎゃー」とか言って無邪気に遊び続けている。
「……でも」
と、俺はその横顔を見ながら言った。
「でも、俺は悲しいですよ。シーシーさんが死んじゃったら」
シーシーはぴたと手を止めて、俺を見た。
そして無垢な瞳で、きょとんとしながら小首をかしげた。
「なんだそれ」
「なんだそれって――まあ、なんでもないですけど」
「なんでもないのか」
「はい。すいません。妙なこと言って」
「そうか」
「忘れてください」
「お前、もしかしてロリコンってやつか?」
「ぶっ」
俺は吹きだした。
「ち、違いますよ! 俺は仲間として言ってるだけです。シーシーさんも、エリーさんもポラさんも、それから船長も、みんな死んでほしくないです」
「そっか」
シーシーはにこりと笑った。
それから椅子から降り、トコトコと歩いてきた。
「ん」
そう言って、グーの手を差し出す。
俺はエプロンで手を拭き、手のひらを出した。
シーシーが手を開くと、中から飴玉が一つ、落ちてきた。
「やる。甘いぞ」
「あ、ありがとうございます」
シーシーはにへらと笑った。
そして、強引に俺の手をとり、もう一方の手を天に突きあげて「行くぞー!」と言った。
「い、いや、ちょっと待ってください。まだ後片付けが」
「うるせー! もう充分待った! もう無理! これ以上は絶対無理!」
「ど、どんだけ短気なんですか」
抵抗空しく、強引に外に引っ張り出される。
すると、目も眩むようなまぶしい光が俺たちを包み込んだ。
キースの言った通り。
いい天気だ。
「さ、行くぞ」
シーシーが手を引っ張る。
俺は目を細めて天を仰いだ。
からりとした空気に、なんだか気持ちが上がってくる。
ま、後でいいか。
「それじゃ、行きましょうか。びっくりしないでくださいよ。俺、結構上手くなってますから」
「なんだと! うちよりか!」
「い、いや、なわけないでしょ」
「うむ!」
シーシーは大きく頷いた。
なにが「うむ」なのかよくわからないが、俺は彼女と一緒に歩き出した。
血と油と屋台の匂いがする町。
ゴミだらけの汚い往来を、強面たちが肩で風を切って歩いてる。
いつもの「フリジア」だ。
俺はポケットから先ほどシーシーにもらった飴玉を取り出した。
包装をとり、体に悪そうな、着色料たっぷりの真っ赤な飴玉を口に放り入れる。
すると、バカみたいに甘い味が口内中に広がった。
ジャンクで安価で、不純物だらけの味。
以前だったらきっと、気味が悪くてすぐに吐き出していた。
「どうだ? 美味いだろ?」
シーシーが見上げて聞いてくる。
ふふん、と鼻を鳴らし、いかにも得意げなドヤ顔だ。
そうだな。
こういう日々も、意外と悪くないかもしれない。
俺は彼女に笑顔を向け、親指を立てながら、「美味いっす」と答えたのだった。
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