第31話 ポチとミスティエ 2
俺はミスティエの目を見つめた。
彼女の完璧なシンメトリーに整ったその瞳は、それだけで威圧感がある。
吸い込まれそうな綺麗な碧眼。
空を映して、一層に美しい。
こうして見つめあっているだけで、思わず無条件に平伏してしまいそうになる。
だが――今この時の刻、ここに至っては。
絶対にこの瞳から目を逸らしてはいけない。
今、この3分間だけは――俺とミスティエは対等なのだ。
親分も子分もない、論破すべき宿敵。
俺はよし、と気合を入れ、そう自分に言い聞かせた。
ミスティエの意思を変えるには感情論だけではだめだ。
端的に、齟齬のないよう、順序だてて説得する。
そう。
あのポラのように話を進めるんだ。
とはいえ、相手は百戦錬磨のミスティエ。
交渉のド素人である俺にとっては高すぎるハードルだが――
やるしかない。
この船で知った情報を思い出し、組み立て、そしてロジックを構築するのだ。
「俺の考えを言わせてもらいます」
俺は少し顎を引き、真っ向から彼女の眼を見た。
ミスティエは不機嫌そうに腕を組んだまま、「言えよ」と言って顎をしゃくった。
「まず第一に、今回の仕事、キャラコ海賊団には落ち度があったと思います」
「落ち度?」
「そうです。それは、自分たちの都合で職場を離れた、ということ。そしてそのことにより、依頼主であるウェンブリー社の船を危険に晒した」
「そいつはディアボロのことを言っているのか?」
「ええ、そうです」
俺は頷いた。
「彼らはキャラコに用があった。ウェンブリー社にはなんの関係もないのに、キャラコ海賊団が――いいや、ミスティエ船長、あなた自身が、あのような化け物を呼び寄せてしまった」
「そりゃそうだな。だが、特に被害はなかっただろ」
「それは結果的にそうなったというだけであって、あの時、ウェンブリー社の船は別の賊に追われていた。それなのに、あなたは自分の都合で持ち場を放棄し、危険に晒した。大事なのはこの一点だ。言い換えるなら、あなたはこの船の責任者――ツヴァイ専務に“貸し”があると、俺は考えます」
ミスティエは頬をさすりながら「ほう」と唸った。
「なるほどね。思い付きの割には、まんざら筋が通ってないわけではねぇな」
「思い付きではないです。俺はずっと考えてましたから。どうすれば、全員がハッピーエンドを迎えられるのか、を」
「ハッピーエンド、か。は。ゼリービーンズのように甘ったるい考えだ。海賊には向いてねえ」
「向いてなくても俺は海賊です。あなたに拾われた」
言い返し、ミスティエの目を見つめる。
ミスティエは顎をほりほりと掻き、口の端をあげた。
「いいぜ。続けな」
はい、と俺は頷いた。
「ですからまず、その“貸し”で、先ほどのツヴァイさんの言葉を取り消してあげてほしいんです」
「ツヴァイの言葉?」
「“契約をすべて破棄する”という言葉です」
ミスティエは眉根を寄せ、小首をかしげた。
「どういうことだ。今さらそんなことをして、なにか意味があるのか」
「取り消すのか取り消さないのか。それだけを答えてください」
ミスティエは不機嫌そうな顔になった。
「……いいだろう。取り消してやる」
「ありがとうございます」
「だが、それがなんだ。そんなことで、何がどう変わる」
「全然違います」
俺は短く首を振った。
「契約が破棄されていない以上、キャラコ海賊団はまだフリジアへ向かう義務がある」
「まあ、そうなるな。しかし、ツヴァイは依頼主であるラングレー海軍を欺こうとした。それは、十分契約破棄の事案たりうる。結局は同じことだ」
「欺こうとすれば、そうなりますね」
「どういう意味だ?」
訝るミスティエに、俺は一本指を立てた。
「そうならないために、ツヴァイさんに今回の仕事の目的を一つ、加えてもらうんです」
「目的を?」
「そうです。そうすれば、海軍を騙したことにはならなくなる」
「意味が分からん。分かるように言え」
「つまり」
俺はそこで言葉を止め、ツヴァイを見た。
それから、彼を見つめたまま、
「フリジアについたら、ツヴァイさんには海軍との交渉とは別に――“ムンターの奴隷農場を正式に告発してもらう”んです」
と、言った。
ツヴァイは驚愕の表情を見せた。
船上がざわついた。
一体何を言い出すんだ、とその場にいる全員の顔が言っている。
俺はミスティエへと視軸を戻した。
「要するに、下の奴隷たちは最初から“フリジアで奴隷制を告発するために乗せていた”ということにするんです。別に隠していたわけではない。これなら、ツヴァイさんはラングレー海軍を騙したことにはならないでしょう。“ついで”の別件がある、ということを取引相手に知らせる義務なんてないですからね」
「フリジアでムンターの奴隷制を告発するだと?」
ミスティエはいよいよ顔を顰めた。
「……テメー、自分が何を言っているのか分かっているのか」
「分かってます」
俺は頷いた。
「もちろん、そんなこと大それたをすればムンターは国を挙げてツヴァイさんを潰しにかかるでしょう。国益を損なった悪人として、悪評を書き立てられ、つるし上げられることになる。……だが、そうでもしなければルールは変えられない」
そうでしょう? と俺は聞いた。
ミスティエはイエスともノーとも答えなかった。
その代わりに、すごく目つきが悪くなった。
「告発の成否はどうでもいい。あたしには関係ないことだ。だが、そんなもの、ウェンブリー社が許すわけがねぇ。ツヴァイは社の取締役なんだぞ」
「許すも許さないもない。これはツヴァイさんが勝手にやることだ」
「てめぇ……会社ごと巻き込ませるつもりか」
「そうです」
「そんなこと、これまでずっと社に迷惑がかからぬよう動いていたツヴァイが望むと思うか」
「分かりません。でも、望むべきだと、俺は思います」
「望むべき?」
「ツヴァイさんは俺にこう言った。“ウェンブリー社に罪はない”。けど、俺はそうは思わない」
「何を根拠にそう言える」
「ブローの存在です」
俺はすーと息を吸い込んだ。
「ムンターに奴隷制度を根付かせたウェンブリー社の始祖『ブロー=ツヴァイ』は、ウェンブリーにとって呪いのような存在だ。いくら会社の名を変えて逃げようとしてもどうしても逃れられない。まるで原罪です。それならいっそ、その事実を受け入れ、立ち向かうべきじゃないかと思うんです。皮肉なことだけど、ツヴァイさんはまさにそれが具現化した姿だ。今回の因果は偶然なんかじゃない。放っておくと、またいずれ、別の形で問題が表出する。ウェンブリー社は、真に近代化した企業になるために、ムンターの奴隷制と戦う運命にあると思うんです」
ミスティエの顔から、これまであった余裕の色が消えた。
それから「小癪なことを言いやがる」と言って真剣な眼差しを向けた。
「だが、言っていることは一応の体裁がとれている。かなり強引だがな。それなら海軍にもリバポ商会も納得するだろう。一旦告発すれば、あとはツヴァイとウェンブリー社の問題だからな」
「納得どころじゃねえな」
と、キースが口を挟んだ。
「おそらく、海軍はむしろ喜ぶだろうよ。自分たちのリサーチ不足を棚に上げて、大手を振ってウェンブリー社との交渉を決裂させることが出来るんだから」
「決裂、させますかね」
と、俺は聞いた。
「それはそうだろう。いくら優良企業でも、自国を敵に回すような会社と手を組むのはリスキーすぎるぜ」
キースはさも当然だろうという風に肩を竦めた。
ここで、予想外のことが起こった。
この船に乗っている、誰もが予想しなかったこと。
「いいや、そうとは限らねえ」
ミスティエが、キースに反論したのだ。
俺は目を見開いた。
潮流が――変わろうとしていた。
「海軍(おかみ)というのは何より体裁を気にするからな。この場合、少なくとも国際法的な正義はウェンブリー社にある。それに、ラングレーとの繋がりが出来れば、ウェンブリーはさらに巨大な企業となり、おいそれと潰すことも出来なくなるしな」
「だが、それにしたって賭けには変わりないだろう」
「奴隷制はムンターのアキレス腱だ。いつか解決しなくてはならない問題だということは、あっちの議会だって本当は分かってるはず。そうなら、時流はどう転ぶか分からない」
「しかし、国外での告発が、どれほどムンターに影響を与えるか」
「国外だからこそ、効くんだよ」
「どういう意味だ?」
「これまで、ムンターの奴隷制議論は常にドメスティックなものだった。しかし、既得権益やコネクションでがんじがらめなのに、内向きでいくら話し合ったって埒が明かないのは当然の話だった。最初から、奴隷支配廃止について建設的な話をするなら、外に向けて発信するしかなかったんだよ。とはいえ、そうは言っても普通は第3国での告発などおいそれと出来ない。どの国もよそのごたごたに巻き込まれたくねぇからな。その意味で、フリジアはまさにうってつけだ。あそこは国からの干渉が希薄で、ほとんど治外法権だ。通常の常識が通じない、何でもアリの肥溜めだからな」
「そ、そうか。フリジアは諸国連合に指定された経済特区。故に、混沌の割に世界の関心度も高い。告発するに不足はない場所だ。なるほど……確かに言われてみれば“これしかない”って感じがするな。しかし――」
キースは言葉を止め、眉根を寄せて俺を見た。
「このガキ、よもやそこまで考えて」
「まさかな、それはねぇだろう。おそらく、無知からくる発想(おもいつき)だ」
ミスティエはククッと笑った。
「だが、面白れぇ。あたしたちには絶対に出てこない考えだ。こんな頭の悪いアイディアは、な」
「まぐれ、か」
「そうだ。だが、偶然ってのは悪いことじゃねえ」
「随分と嬉しそうじゃねえか」
「そうか?」
「そう見える」
「気のせいだよ」
「ガキの説得に応じるのか」
「ああ」
ミスティエはあっさりと頷いた。
キースは目を丸くした。
「こいつは驚いた。らしくねえじゃねえか」
「かもな。だが、ポチの提案は及第点だ」
「は。このクソガキ、なかなかどうして、大したタマじゃねえか」
キースは俺を見て、苦笑しながら首を振った。
「まぐれだろうがなんだろうが、本当にミスティエの意向を変えちまいやがった」
「さあ、どうするよ」
彼女はそう言うと、ツヴァイに目をやった。
「青臭ぇガキが捻りだした最後のチャンスだ。あとはツヴァイ、お前が決めろ」
ツヴァイは目を大きく見開き、ごくりとつばを飲み込んだ。
それからそのまま、金縛りにあったように、しばらく動かなくなった。
迷うのは当然だ。
これは彼一人の問題ではない。
ウェンブリー社には、百人以上の従業員がいるのだ。
取締役であるツヴァイには、彼らと、彼らの家族のことを第一に考える義務がある。
彼がまだ良い人であろうとするなら――会社を巻き込むようなことはしない。
俺は固唾を飲んで彼の一言を待っていた。
彼は、どのような答えを出すのか。
「さあ、答えを聞こうか。もう、3分はとうに過ぎてる」
ミスティエはポケットに手を突っ込み、ツヴァイに問うた。
「ベント=ツヴァイ。お前に、この“泥”を被ることが出来るか?」
ツヴァイはふっと短い息を吐いた。
その表情は、逆光のせいで俺の方からよく見えない。
彼は少し歩き、近くに落ちていた銃を拾い上げた。
そして、おもむろにそれを天に向け、引き金を引いた。
パァン、という銃声が空に響き、その残響はすぐに波の音に飲まれ消えていく。
「編み込まれた血染めの糸を引き抜き、その全てを白日(はくじつ)の下に晒せ、か」
ツヴァイは一人ごちた。
それから目を上げ、ミスティエを見ながら「当然でしょう」と言った。
「ならば、もはや隠しておく必要はない。メドア。船倉にいる彼らを今すぐ甲板(ここ)にあげ、食事と休息を与えてやってくれ」
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