第26話 正体


 俺たちは縛り上げられ、上甲板へと連れていかれた。

 3人が一つに、てんでの方向を向くように結び留められている。


 甲板には銃を持ったツヴァイの部下がずらりと並んでおり、俺たちはその真ん中に座らされた。


 俺たちの銃は全て取り上げられた。

 ポラはまだ気を失ったまま。


 絶体絶命。

 万事休す。

 文字通り、手も足も出ない状態だ。


 そしてそのまま、しばらく放置された。

 炎天下の午後。

 真上から少し傾いた太陽が、潮風に晒された肌をジリジリと焼いた。


「ポラさん……大丈夫でしょうか」


 全身にじっとりと汗をかきながら、俺はキースに聞いた。


「まあ、気を失ってるだけだろう」

「一体、どうしたんでしょうか。急に叫び出すなんて」


 俺は強引に首を捻り、斜め後ろで気を失っているポラを見た。

 密着しているせいでよく見えないが、どうやらまだ首を垂れている。

 意識は戻ってないようだ。


「あの様子はただ事ではなかったですよね。たしかに、船倉の様子は衝撃的だったけど、それにしたって」


 キースは黙り込んだままだった。

 俺は「キースさん?」と声をかけた。

 すると彼は顔を上げ「ああ」と口の中で呟いた。


「どうしたんですか。キースさんまで」

「ああ、いや、ちょっとな」


 それだけ言って、キースはまた黙り込んだ。

 俺は眉を寄せた。

 様子がおかしい。


「なんですか。何かポラさんのことで思い当たることがあるんですか?」


 キースは黙り込んだ。

 長い時間、沈黙していた。


 よほど言いにくいことなんだろうか。

 そのように判じて、俺も黙っていた。

 彼の判断に任せようと思った。


「……実は少し気になっていることがある」


 やがて、キースが重い口を開いた。


「気になること?」

「ああ」


 キースは自分の影を眺め、それから項垂れるようにして頷いた。


「昔、ミスティエからポラさんの過去を聞いたことがあるんだよ」

「ポラさんの……過去?」

「そうだ」

「なにかあったんですか?」

「彼女はかつて金持ちの家で飼われていた隷人(れいじん)だったらしい」

「隷人?」

「奴隷だよ」


 心臓がどくん、と跳ねた。

 ポラさんが――奴隷だった?


「詳しいことは聞いてねえ。聞きたくもねえしな。だが、あの娘が奴隷商人を心から憎んでいるのは間違いない。さっきの態度はそういう態度だった」


 俺の脳裏に、ツヴァイを睨んでいたポラの眼差しが瞬いた。

 怒りに我を忘れたような、あの瞳。

 だがよく思い出してみれば、その表情は泣き顔のようにも見えた。


 あの時点で、もっと冷静になるように説得するべきだった。

 彼女の話を聞いておくべきだった。


「……くそっ」


 俺は呟いた。

 結局、また何にも出来なかった。

 俺は状況にただおろおろするばかりで、いつも何もしていない。

 

 ポラを頼むぞ。

 船長にそう言われていたのに。


「情けねえ顔するんじゃねえ」


 キースが言った。


「間抜けな状況だが、俺たちはまだ生きてる。顔を上げろ。気合を入れなおせ」


 その通りだ。

 まだ終わってない。


 俺は歯を食いしばり、はい、と答えた。


 Ж


「やあ、お待たせしてすまないね。奴らの死体処理にもう少し時間がかかってしまった」


 やがて現れたツヴァイはスーツの上着を脱いでいた。

 ラフに袖をまくり上げ、右手には拳銃を持っていた。

 死体、とは漁船に乗っていた追っ手たちのことだろう。


「さて、早速だが、少し聞きたいことがある」


 ツヴァイは俺の目の前まで来た。


「船倉の奴隷のことは誰から聞いた」

「誰にも聞いてません」

「では、なぜ気付いた」

「……」

「言え」


 ツヴァイは俺の額に銃口を当てた。

 俺は少し躊躇った後、これまでのことを話した。


 船が傾いていたこと。

 積荷が空っぽだったこと。

 そして、ツヴァイの言動に不審な点があったこと。


 その際、わざと要領を得ないように、馬鹿のフリをして話した。

 時間を稼ぐんだ。

 俺はそう考えていた。


 とにかく――ミスティエたちが帰ってくるのを待つんだ。


「……なるほどね」


 すべてを聞き終えたツヴァイは苦笑した。


「面倒くさい人たちだ。どうしてそんなにまでして私の邪魔をするのか。見てみぬ振りは出来なかったのか。その好奇心が自らの命を落とすことになるというのに」


 ツヴァイは忌々し気に呟いた。


「……まあいい。しかし、話が君たちで完結してるのは幸いだ。それなら予定は変更せずに済む」

「予定?」

「悪いが、君たちには死んでもらう。ミスティエさんたちが帰ってくる前にな」

「殺す? 俺たちを殺すのか?」


 キースが口を挟んだ。


「お前、何を考えていやがる。俺たちを殺したら、人質にならないだろ」

「人質?」

「そうだ。お前はこれから、俺たちを人質にしてどこか他の国へ亡命する気だろう。ここまで来たら、それ以外にお前たちが助かるすべはない」


 キースは挑発するように言った。

 そのようにして、向こうが話をするように仕向けているんだろうと思った。

 口裏を合わせたわけではなかったが、彼も同じ考えらしかった。


 ツヴァイは首を傾げた。

 それから訝しそうにキースを見つめ、「いいや」と首を振った。


「いいや、そんなことはしない。私たちは予定通り、このままフリジアへ向かう」

「フリジアへ?」

「そうだ。ミスティエさんには、お前たちは追っ手の賊に殺されたと説明する」

「……お前、何を言ってやがるんだ?」

「賊に乗りこまれてしまったのは彼女(ミスティエ)の落ち度だ。どんな理由があるにせよ、仕事中に持ち場を離れたんだ。文句は言わせない」

「いや、そんなことはどうでもいいんだよ。そんなことより――お前……フリジアへ一体何をしにいくつもりだよ」

「何をするって――決まっているだろう。まずはサヴァル中将に会う。船倉にいる奴隷たちのことはそのあとだ」

「ちょっと待て」


 キースは意外そうに目を丸くした。

 俺も目を見開いて驚いた。


 ツヴァイの言っていることはめちゃくちゃだ。

 奴は偽物のツヴァイのはず。

 ウェンブリー社の人間でもなんでもない、ただのムンター奴隷農場の奴隷商のはずなのだ。


 であれば――

 そんな身分でラングレー海軍の中将に会うなどと、ありえない話ではないか。


 ただの時間稼ぎのつもりだったのに、話が思わぬほうへ進んでいく。


「……お前、中将に会うつもりなのか」


 と、キースが問うた。


「何だ、その顔は。もともと、そう言う予定だったはずだろう」

「お前――何者だ?」

「何者? どういう意味だね。それは」


 俺とキースは目を合わせた。

 ここに至り、何かがおかしいことに気付く。

 どうにも話がかみ合わない。


 俺はもう一度、ツヴァイに目を移した。


 まず、キースの話では本物のツヴァイは奴隷商ではない。

 彼らはウェンブリー社を調べ上げているから、ここに間違いはない。

 となると、船倉に奴隷が乗っている以上、この男はツヴァイ本人ではなく、偽物(なりすまし)であるとしか考えられない。

 ポラの推理でも、この男はツヴァイに成りすましたムンターの奴隷商だった。

 その憶測には論理的な矛盾はなく整合性がとれていた。


 しかし、ここでまた齟齬が生まれている。


 ツヴァイ本人でもない。

 奴隷商人でもない。


 この男は――一体何者なんだ。

 

「お前はツヴァイに成りすました偽物だろう」


 と、キースが言った。


「偽物?」

「そうだ。偽物だろうが。テメーはツヴァイに成りすましたクソ奴隷商人だ」

「なんだと?」


 ツヴァイは眉を寄せ、少し考えるそぶりを見せた。

 そしてやがて「なるほど」と得心が入ったように頷いた。


「なるほどね。そういうことか。だから君たちはこのように行動をとっていたのか」

「どういう意味だ」

「では、改めて自己紹介をしておこう。今度は、誤解のないようにはっきりと」

「誤解、だと」


 キースが訝る。


 ツヴァイは自らの胸に手を当てた。

 それからゆっくりとした口調で、


「私はツヴァイだ。ベント=ツヴァイ。ウェンブリー社で取締役専務をやっている。無論――」


 正真正銘の本物だ、と言った。


 Ж


「馬鹿な!」


 キースは唾を飛ばしながら怒鳴った。

 それから、早口で次のようにまくしたてた。


「テメーが本物のウェンブリー社の専務なわけがねえ。どう考えたって違う。船倉にいた奴隷たちが証拠だ。お前が本物のツヴァイで、かつ奴隷商をやっていたとしたら、絶対に痕が残る。そして俺たちが気付くはずだ。いいや、俺たちだけじゃねえ。ムンターの警察だってマルサだって、絶対に感づく。ウェンブリー社の役員でありながら、奴隷売買なんてでかい商売の所得を完全に隠すなんてことは出来ねえ」


 ツヴァイは黙って耳を傾けていた。

 そして、「それはそうだろうね」と呟いた。


「たしかにあなたの言う通りだろう」

「そうだろうが。舐めたこと抜かすんじゃねえ」

「ただしそれは、私が“奴隷で商売”をしていた場合の話だ」

「なんだと?」


 キースは顔を顰めた。


「どういう意味だそりゃ」

「私は奴隷を売りもしていなければ買いもしていない。故に、そのような証拠が残ろうはずがない」

「……大した厚顔野郎だ。今さらしらばっくれようってのかよ」

「そうじゃない」

「じゃあ、あいつらはなんなんだよ! 首輪をつけられ、値札が付いてる奴もいたじゃねえか。あいつらみんな、お前らがどっかから誘拐(さら)って来た奴らだろうが! あれ以上の証拠がどこにある!」


 キースは声を荒げた。


 ツヴァイは目を伏せ、首を横に振った。

 そしてキースを見据え、「逆なんだよ」とぴしゃりと言った。


「それは全くの逆なんだ」

「逆?」

「そう。私は彼らを誘拐したわけじゃない。彼らは、私がムンターの奴隷農場から逃がした・・・・人たちなのだ」

「逃がした?」

「そうだ」


 ツヴァイは頷いた。


「今回、私の航海(たび)の目的は二つあったのだよ、ミスターキース」


 そう言うと、彼は指を二本立てた。


「一つはラングレー海軍サヴァル中将へプレゼンテーションを行うこと。そしてもう一つは――」


 奴隷たちをフリジアへ密入国させ保護することだ、とツヴァイは言った。


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