第25話 有様


 甲板は血の海だった。


 古ぼけた服を着た人間の死体が床板の上に3体転がり、その向こうではウェンブリー社の人間が別の死体を海にドボンドボンと無造作に捨てていた。

 さらにその向こう、海の上には乗り手を失った漁船が3隻、漂流するようにてんでに浮かんでいる。

 

 あの死体たちは――この船を尾行していた奴らじゃないか?


 きっとそうだ。

 彼らはミスティエの船がいなくなったのを見計らって、この船に乗船してきた。

 奴隷商たちに連れ去られた、自分の家族を取り返すために。


 だが、この男に返り討ちにされたのだ。


 そう考えると、ポラの推理とつじつまが合う。

 つまり、あの予想は残念ながら当たってるんじゃないか。


 となると、このツヴァイを名乗る男はやはり偽物――


「やあ、キースさん」


 俺たちに気付いたツヴァイはこちらへ向かって歩いてきた。


「こいつら、キャラコさんたちがいなくなるといきなり加速して襲ってきましてね。まあ、大した武器も持ってなかったんで、我々だけでもなんとかなりましたよ」


 そう言って、両手を広げる。

 顔はうっすらと笑っていた。


「……この人たち、何者だったんですか?」


 ポラが問う。


「さて。何者だったんでしょうか。私にも分かりませんな」

「事情も聴かず、問答無用で撃ち殺した、ということですか」

「ええ。賊に慈悲など要らないでしょう」


 彼は愚問とばかりに切り捨てた。

 そして、キースに目を移す。


「しかし、キースさん。あなたの用意した護衛はまるで役に立ちませんな。肝心な時にいなくなる。これから先、こんなので大丈夫ですか」

「……それはすまねえな。なにしろ、想定外のことが起きちまって」

「言い訳は聞きたくないですよ。こちらは高い金を払ってる。ラングレーへの魔石の安定供給は、ウェンブリーの社運を賭けたプロジェクトなんだから」


 そう言って、ツヴァイは前髪をかきあげた。

 この間にも、彼の後ろでは追っ手たちの死体が海に捨てられている。


「……ツヴァイさん」


 と、ポラが言った。


「なんですか?」

「あなた、ウェンブリー社の企業理念は言えますか」

「なんですか、いきなり」

「どうなんですか」

「もちろん、言えますよ」

「ではすみませんが、ここで諳(そら)んじていただけませんか」

「なぜ?」

「理由はあとで話します」

「断ります。私は無意味な行動が嫌いでね」

「無意味ではありません」

「どういうことかな」

「あなたからは、血の臭いがするんです」

「血の臭い?」


 ツヴァイは眉をひそめた。

 ポラはさらに半歩、ツヴァイに詰め寄った。


「あなたは嘘を吐いている」

「嘘?」

「企業理念を言ってください。本物の取締役なら言えるでしょう」

「ポラさん。あなた、私を疑っているのか?」

「いいから言いなさいって言ってるのよ!」


 ポラはヒステリックに叫ぶと、懐から銃を取り出した。

 そして次の瞬間、ツヴァイの手を後ろに捻り上げ、こめかみに銃口を突きつけた。


「全員、動かないでください!」


 ツヴァイを盾にしながら、ポラは大声を出した。


 俺は驚いた。

 だが、すぐに悟った。

 これが合図だ。


 俺とキースはほとんど同時に銃を抜いた。

 そして、こちらに向かってこようとする船員たちに銃を向ける。


 相手もすぐに反応し、銃を構えた。

 ポラは「動かないで!」と叫んだ。


「全員、その場から動かないでください! 少しでも動けば、あなたたちのボスは死にます」


 船員たちは銃を向けたまま静止している。


「銃を降ろしなさい! 本当に撃つわよ!」

「お、お前たち……こいつのいうことを聞け。銃を降ろせ」


 ツヴァイが命じた。

 少し逡巡する様子を見せた後、彼らは指示に従った。


 それを見て、ポラはツヴァイを盾にしながら後ずさった。

 俺とキースは銃で威嚇しつつ、彼女を挟むようにしながら、ゆっくりと移動していった。


 Ж


「船倉へ案内してください」


 ツヴァイの心臓辺りに銃を突きつけながら、ポラは言った。


「船倉?」

「今さらとぼけないでください。上甲板の床下――あなたたちが隠している部屋です」

「……分かった」


 ツヴァイはそう言うと、ゆっくりと歩き出した。

 操舵室裏にあるハッチから船内に入り、警備員のいる部屋へと向かう。


 俺は前後を警戒しながら、夢中で銃を構えていた。

 手も体も汗でびっしょりだ。

 奴らが襲ってきたとき、果たして俺は引き金を引けるだろうか。

 

 しかし――と、俺はちらりとポラの横顔を見た。


 鬼気迫る表情。

 血走った瞳。

 完全に――ブチギレている。

 

「ぽ、ポラさん」

「黙ってなさい、ポチ」

「は、はい」


 ものすごい迫力。

 まるで――ミスティエが乗り移ったかのようだ。


「開けさせなさい」


 扉の前に着くと、ポラはツヴァイに命じた。

 ツヴァイはくっくと笑った。


「お嬢さん。あなた、こんなことして、タダで済むと思ってるのか」

「黙りなさい」

「悪いことは言わない。ここから先はやめておいたほうが良い」

「黙れ」

「誰も得しない行為だ。お金が欲しいなら都合する。だから」

「黙れッ」


 パンッ、とポラは銃の引き金を引いた。

 狭い通路で撃ったせいで、チュンチュンと壁に当たった跳弾が俺の足元を掠めた。


「……開けさせなさい。2度は言いません。次は頭を撃ちます」


 ポラはどろんと澱んだ目になり、低い声を出した。

 

 ツヴァイは頬から血を流しながら、顎をしゃくった。

 すると、警備をしていた二人はロックを外し、扉を開けた。


「あんたたちは遠くに行ってなさい」


 ポラは男たちに指示した。


 彼らはまるで双子のように揃ってツヴァイを見た。

 ツヴァイが目を瞑って頷くと、二人は廊下の奥へと消えていった。


 そうして、俺たちは室内に入った。

 キースの言っていた通り、部屋はすごく狭かった。


「船倉へはどうやって行くんですか?」

「突き当りの壁にボタンがある」


 ポラは俺を見て、顎をしゃくった。

 俺は右手で銃を持ったまま、壁を確認した。


「もう少し右だ。そう、その辺り」


 俺は壁を丁寧に調べていった。

 すると、ツヴァイの指示した辺りに小さな凹凸を見つけた。


 思い切って押してみると、ずずず、という音と共に扉が浮かび上がった。


「さあ、行くわよ」


 俺たちは互いに目を合わせながら、中へ進んでいった。


 Ж


 扉の中は短い廊下が続いていた。

 幅は狭く、天井は低い。

 灯りはあるが、あまりに頼りなくほとんど見えない。

 

 かび臭い臭いが鼻をつく。

 気温は急に高くなり、湿度も上がった。

 不快な空間だ。

 

 一番突き当りに行くと、小部屋に出てきた。

 そこには大きな丸い鉄扉が設えてあった。

 ポラが促す。

 俺は頷き、ホルスターに銃を戻して扉の取っ手を握った。


 思い切りまわすと、鈍い動きで扉は開いた。

 そのまま内側に引くと、途端にむせ返るような饐(す)えた臭いが鼻をついた。

 俺は思わず腕で鼻を抑え、空洞の中を視認した。


 その中の光景は、一生記憶から消えないだろうと思った。

 平和ボケした俺の脳みそを目覚めさせるのに、十分な景色であった。


 まず視界に入ったのは“目”だった。

 無数の瞳が、こちらを一斉に見たのだ。

 暗がりに真っ白なそれらが、まるで鬼火のようにぼんやりと浮かんで見えた。


 奴隷たちの瞳だ。


 教室3つ分ほどの大きさの倉庫に、彼らはぎっしりと押し込まれていた。

 みな粗末な服を着て、手には錠が嵌められ、首輪をつけられている。

 総じてガリガリに痩せており、生気がなく、今にも死んでしまいそうだった。


 不衛生な部屋に無理やり詰め込まれ、寝転がることさえ出来ない状態。

 まるで土嚢か何かのように、無造作に押し込まれている。


「ほ、本当にいた」


 俺は腰が抜けそうになってたたらを踏んだ。


 確定的。

 この男は――ツヴァイの偽物の奴隷商で間違いない。


「こいつぁひでえ」


 鼻を抑えながら、キースが呟いた。


 俺は身じろぎも出来なかった。

 目の前の光景が、この世のものとは思えなかった。


「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 突然、室内に叫び声が響いた。

 振り返ると、ポラが頭を抱えてうずくまっていた。


「ポ、ポラさん、どうしたんですか!? 大丈夫ですか!」


 俺はしゃがみ込んだ。


 彼女は背を丸めて体を震わせている。

 かと思うと、糸が切れたようにばたりと倒れこんでしまった。


「ポラさん! ポラさん!」


 俺は必死に彼女を揺らした。

 だが、返事はなかった。


「粋がっていた割には脆いな。よもや失神するとは」


 ツヴァイの声がする。

 振り返ると、奴はこちらに銃を突き付けていた。


 その横には、この部屋を警備していた二人。

 彼らも銃を持っていた。


 完全に――形勢逆転。


「馬鹿な奴らだ」


 ツヴァイは一歩、前に進み出た。


「この部屋さえ見なければ、死ぬことはなかったのに」


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