第27話 ブロー ツヴァイ
「ちょっと待ってください、ツヴァイさん。あなたは――倉庫にいるあの人たちを助けようとしているんですか」
考えるより先に言葉が出ていた。
たしかに、それならば辻褄は合う。
ツヴァイが個人で奴隷を逃がしているだけなら、いくらミスティエやキースが調べても奴隷売買の書類なんて出てこようはずもないんだから。
だがそれは、全く予想外の出来事だった。
悪人だと思いこんでいたら――この人物はとんでもない善人だった、ということか。
いや、しかし。
だとするなら、この状況はどう説明すればいいんだろうか。
ツヴァイは今、俺たちを縛り上げ、銃口を向けているのだ。
あまつさえ、殺すと脅しさえしている。
彼は一体、どういう人間なのか。
展開が早すぎて理解が追いつかない。
彼は善か。
それとも悪なのか。
「この期に及んで嘘など言わんよ」
ツヴァイは俺を見た。
「私は奴隷を解放する運動をしている。金儲けなどしていない」
「それじゃあ、あの追っ手たちは」
「奴隷農場の主からの追っ手だ。商売道具である奴隷を取り返しに来た奴らだよ」
俺たちが思っていたこととまるで反対だ。
「それが本当のことだとして、だ」
キースが口を挟んだ。
「お前さんの動機はなんだ? そんなことして、なんの得があるって言うんだ?」
「損得の問題じゃない」
ツヴァイは肩を竦めた。
「それが私の使命であり、贖罪であるからだ」
「贖罪?」
キースが右眉を上げて怪訝そうな声を出した。
「ますますわからねえな。あんたが奴隷たちに何かしたってのか」
「私じゃない。私の曽祖父だ」
「曽祖父?」
「ブロー=ツヴァイだよ」
ツヴァイは何かを憎むように顔を顰めた。
「数十年前にこの国にやってきた悪党だ。彼は詐欺師の高利貸しで人殺しだった。それ以外にもありとあらゆる犯罪に手を染めたクズだ。その中でも、奴が遺したもので最も害悪なものは、ムンターに残る奴隷売買のビジネスモデルだ。奴がやってきたことのノウハウは非常に狡猾で、現代に至っても摘発が難しい。まさに最悪なプラットフォームだった」
「ムンターにおける奴隷商売のビジネスモデルか。興味あるね」
と、キースは言った。
「この近代的な法治国家で、どうやって奴隷商売が成り立っているのか」
「法治国家だと?」
ツヴァイはせせら笑った。
「は。それは一体どこの国の話だ」
キースは眉間に皺を寄せた。
「あんた、この国が嫌いなのかい」
「いいや。そんなことはないよ。私はこの国の良いところもたくさん知っている。悪いのは国ではないんだよ。諸悪の根源は私の先祖、ブローなんだ。奴は戦後のドサクサに紛れて、とんでもない負の遺産を残していった」
「とんでもない負の遺産?」
「そうだな。それじゃあ手向(たむ)けに教えてやる。うちの爺さんが、どれほどこの国を狂わせたかを」
そのように前置きをして、ツヴァイは語り始めた。
「まず、ムンターの奴隷農場にいる人間のほとんどは、厳密に言えば“奴隷”という立場にはない。彼らには名前があり、戸籍もある。そして、各々の職場と正式な労使契約を結んでいるんだ。だが、彼らには自由も人権もない。賃金というのは形だけで実際支払われることは絶対にない。もちろん休日などない。殴られてもムチで打たれても治療は受けられない。性的搾取をされても誰も取り合わない。首輪を着けられ、腐った野菜のスープを飲み、不衛生なベッドで寝ていても誰も手を差し伸べない。その状況を恐怖と暴力で作り出している。ここで問題なのは、彼らが書類上は“奴隷ではない”ということだ。だから普通に暮らしている一般市民は何も言わない。自分たちの暮らすすぐそばで彼らが奴隷のように働かされていても、理不尽な暴力を受けていても、誰も彼も見て見ぬふりを決め込んでる。耳をふさぎ、目をつむり、彼らは奴隷ではなくただの一般人だと言い聞かせてるのさ」
「そ、そんな馬鹿な」
俺は口を挟んだ。
「みんな気付いているのに、助けない? そんな状況があり得るんですか」
「助ける、と言ったって、どうやって助ける」
ツヴァイは両手を広げた。
「法的に彼らは奴隷じゃないんだ」
「だけど――それが形ばかりの嘘だってことは警察や軍隊が調べればすぐに分かるんじゃ」
「奴らは調査などしない」
ツヴァイは断じた。
「今、ムンターの経済成長を支えているものの多くは地方にある外資系企業の工場や農場だ。そして、奴隷たちが働かされているのは、まさにそう言った海外の企業がほとんどなんだ。奴らは彼らを使い、タダ同然の労働力で食べ物を栽培し商品を作り、売りさばくんだ。そうやって莫大な利益を上げているのさ。君やキースさんが食べているフルーツやコーヒーも、使っている時計も靴も、もしかしたら彼らが作ったものかもしれないね。ともかく、そうやってせっかく上手く軌道に乗っている経済成長を、警察が、いや、国がわざわざ止めるような真似をすると思うか?」
するはずがない、と言ってツヴァイは首を横に振った。
「そして、そのような体系(システム)の礎を作り出したのが私の曽祖父だったというわけだ。地方自治組織や警察と癒着してな。それによって、もはや誰も奴隷たちを助けることが出来なくなってしまった」
「だから、あんたは無理やり奴隷たちを攫って外国へ逃がそうとしてるわけか」
「そうするしか方法がない」
「ウェンブリー社の力を借りようとは思わなかったのか。外資ではない純国産(ドメスティック)の大企業が告発すれば、或いは世論も動くかもしれない」
「ウェンブリー社は営利団体だ。金にならないことをすると思うか」
「は。あんたのとこは御大層な社会貢献を理念に掲げていたじゃないか」
「あんなものは質の悪いジョークさ。形だけでも先進国に追いつきたい、未熟な会社が上辺だけ繕った戯言だよ」
なるほどね、とキースは肩を竦めた。
「で、あんたはそんな爺さんとウェンブリー社が許せないと」
「私が許せないのは曽祖父と、曽祖父の会社でのうのうと役員をやっている自分だけだ。現在のウェンブリー社に罪はない」
「素晴らしいじゃないですか、ツヴァイさん!」
俺は思わず大声を出した。
「ツヴァイさん。あなたは損得勘定抜きにして、リスクを冒して苦しむ人たちを助けようとしている。僕はあなたを応援しますよ。是非、この船で一緒にフリジアへ行きましょう」
ツヴァイは俺を見下ろした。
「私を応援する? 命乞いにしてはくだらないな」
「命乞いなんかじゃないです。本気です」
俺はツヴァイの目をじっと見つめた。
「……キミ、名前は」
「田中です。田中陸太」
「タナカ君。見たところただの末端労働者のようだが、あなたにそんな権限があるんですか」
「権限なんてものはないです。でも、船長を説得すれば、きっと分かってくれます」
「キミがミスティエを説得する?」
「はい。船長、ああ見えて悪い人じゃないんです。正直に言えば、きっと協力してくれる」
俺は大きくうなずき、目線を強めた。
短い付き合いだけど、ミスティエのことは分かって来た。
あの人は怖いけど、人道に悖(もと)ることはしないはずだ。
「……キミを見ていると、昔の自分を思い出すよ」
ツヴァイは嘲るように笑った。
「呆れるほどのお人好しだ。青臭くて世間知らずで、この世界は愛と希望に満ちていると思っている。正しいことは正当に評価され、悪は正義の名のもとに滅びると思っている。いかにも挫折を知らぬお坊ちゃまの手前勝手な考えだ」
俺はぐ、と下唇を噛んだ。
しかし、言葉を返せなかった。
たしかに俺は世間知らずで青臭いガキだ。
けど――それでも、俺は正義は勝つんだと言いたい。
「だがね。現実は違うんだよ、坊や」
ツヴァイは目を細めた。
「キャラコ海賊団はプロ中のプロだ。もしも船倉にいる奴隷のことがバレてしまったら、船長のミスティエはウェンブリー社とラングレー海軍を騙した私を許すはずがない。私は誘拐犯として警察に突き出され、奴隷たちは奴隷農場へ逆戻りだ。逃亡を図った彼らは酷い罰を受けることになるだろう。見せしめに数十人は殺されてしまうかもしれない」
だから――と、ツヴァイは銃を持つ手に力をこめた。
「だから、私は君たちを殺さねばならないんだ。200人の奴隷と君たちの命。天秤にかけることは出来ない」
ミスティエさんには、君たちは賊にやられたと言っておくよ。
そう言った彼の目から光が消えた。
トリガーに指がかかる。
殺される――
俺は銃口から逃れようとジタバタと身を捩った。
だが、きつく縛られていてほとんど動けない。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「恨むなら、無知なくせに厄介ごとに首を突っ込んだ自分を恨むんだね」
「無知はお前だよ、ミスターツヴァイ」
その時、キースの声が甲板に響いた。
「なんだ? まだ何か言い足りないのか。それとも、苦し紛れの命乞いか」
「随分な物言いだな。俺はお前のために言ってやってるんだ」
「なんだと?」
ツヴァイは眉根を寄せた。
「……最後だ。聞いてやる」
「お前はミスティエを見損なっている」
「どういう意味だ」
キースはにやりと口の端を上げた。
「あの女はな、お前が思っているよりずっと有能で、ずっとイカレてやがるんだ。例えばお前が俺たちをここで殺し、それを賊のせいに見せかけ偽装したとする。そんなもの、あいつは一瞬で喝破(かっぱ)するぜ。そして真実に気付いたら、もうお前は
「……苦し紛れの脅しにしてはまあまあだ」
「脅しだと思うか? なら、やってみろよ」
“白木綿(キャラコ)のミスティエ”を舐めるなよ、とキースは不敵に笑った。
この脅し。
真偽のほどはともかく――効いたのは間違いなかった。
ツヴァイはぐ、と怯んだ。
「ツヴァイさん。こいつの2枚舌に騙されちゃいけません」
「私もそう思います。早くしないと、ミスティエが帰ってくるかもしれない」
2人の警護人がツヴァイに口添える。
「あのな、てめえら――」
キースはさらに何か言おうと口を開いた。
だがその瞬間、ぶちっ、という音と共に、俺たちを縛っていたロープが切れた。
刹那、何が起きたのか分からなかった。
しかし――すぐに異様な殺気を感じて、俺は振り返った。
そこには、怒りに髪を逆立て、ツヴァイを睨みつけるポラの姿があった。
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