第22話 船倉
「ヨーソロー!」
ミスティエが操舵輪を握り、高らかに発声した。
ほとんど同時に、シーシーがすべてのヤードのマストを降ろす。
そして、船尾楼には気だるげなエリーが現れた。
――キャラコ船は思うままに加速できる。
ポラはそう言っていた。
そして、それを果たすのはエリーの役割だとも。
これから、その状況が開始される。
俺は目を見開き、少しも見逃すまいと船縁に齧りついた。
エリーはゆっくりと両手を広げ、少し顎を上げて目を瞑った。
そして次の瞬間。
彼女の体は薄暮色のオーラに包まれ、周りの風が逆巻き始めた。
かと思うとエリーの背後に円い巨大な魔法陣のようなホログラムが顕現し、一方向にだけ吹き荒れる嵐のような苛烈な突風が発露した。
3つのマストは一気に風を孕み、波の上を飛ぶように加速していく。
速い――いや、疾(はや)い。
まさに疾風だ。
あれが――魔法。
「……すげえ」
俺は目を丸くして口をOの字にあけた。
それから横にいるポラの腕を掴み、「すごいっす! あんな風に加速するんですね!」と興奮気味に揺すった。
「……ハッ!」
ポラはそこで我に返ったように目をぱちくりさせた。
この人――まだミスティエに見惚れていたのか。
「……大丈夫ですかね」
チェスター海賊団の船へと向かうキャラコ船を見ながら、俺は言った。
「大丈夫です。きっと、船長なら」
ポラは吹きすさぶ風に黒髪を抑えながら、そう言って頷いた。
Ж
「それで、これからどうしますか」
と、俺は聞いた。
この船のことは俺たちに任せられた。
ポラ、キース、そして俺。
この3人でトラブルに備えなくては。
「もちろん、この船の謎を調査します」
ポラは頷いた。
「船長は私に後は頼むと言いました。だから、みんなが戻ってくる前に、出来るだけ調査をしておきます」
「分かりました」
船長(ミスティエ)からの命令だ。
俺は彼女を全力でサポートする。
それが仕事だ。
「それで、どこをどう調べるんです?」
「なにはともあれ、例の秘密の部屋です。ポチ君が見たという、船の内部にある厳重に警備された謎の部屋」
「ああ……たしかに、あの部屋は気になりますね」
「はい。実は私、今この船にあるたくさんの齟齬、違和感、そう言ったものの全ての答えが、あそこにあるんじゃないかと思ってるんです」
「すべての答え、ですか」
「ええ」
ポラは躊躇いなく頷いた。
確信めいた瞳をしている。
彼女にはすでにツヴァイとこの船の全容が見えているのかもしれない。
「しかし……あの部屋に入ることは不可能ですよ。シーシーさんが言ってました。あの扉の前には警備員が二人いるんですが、彼らはプロ中のプロだと。僕らで二人を倒すことは無理です」
「もちろん、腕力で押し入ることは出来ません。だから、キースさんの力を借りるんです」
「キースさんの?」
「はい」
「どうやって」
「力ではなく、権力(ちから)を使うんです」
ポラは頷き、キースを見た。
「ということで、キースさん。力を貸してくださいませんか」
「え、ええ。まあ、ポラさんの頼みなら何でもやりますよ」
キースは胸をドンと叩いた。
ありがとうございます、と言って、ポラは天使のように可愛い顔で微笑んだ。
彼はぶるりと体を震わせ、「任せてください!」と大きく頷いた。
好きな女(ひと)からあんな笑顔で頼まれたら嫌でも奮い立つ。
ポラさんって……ちょっと魔性かも。
「それで、一体なにをしようと言うんです?」
「話は至極単純です。キースさんの立場から『あの部屋を確認させてほしい』と頼んでほしいんです」
「部屋を確認、ですか」
「はい。キースさんはウェンブリー社の正式なビジネス相手です。だから、船を調査する正当な権利があります」
「まあ、そうなりますね」
「ちょっと待ってください」
そこで、俺は口を挟んだ。
「それって、ツヴァイさんに頼むんですよね? 正直に言って、それは厳しいと思いますよ。そんなに簡単に見せてくれるなら、最初から隠したりしませんでしょう」
「もちろん、ツヴァイさんに頼めば断られるでしょう」
「どういうことです?」
「頼むのは、“警備員”の二人です」
「警備員? いや、それはもっと無理じゃないですか? 彼らがキースさんのいうことを聞くとは思えません」
「そうですね。キースさんのいうことは聞かないでしょう。でも――ツヴァイさんの指示なら動くかもしれません」
「そ、それ、どういう意味です?」
「こういう意味です」
ポラはそう言うと、懐から羽ペンを取り出した。
「私、公文書偽造が特技なんです」
「こ、公文書偽造?」
「はい」
ポラはにっこりと笑って小首をかしげる。
い、嫌な特技だ。
「これから、ツヴァイさんの簡易委任状を作ります。キースさんに船の中を調査を許可する文書です。ツヴァイさんのサインがあれば、彼らも信じるはず」
「サイン、書けるんですか?」
「一度見れば完璧にトレースできます」
そう言ってドヤ顔をする。
その顔を見て、俺は思い出した。
そうである。
ポラはいつもニコニコしてておおよそ悪人には見えないけれど――
彼女も海賊なのだ。
「……うまく行きますかね」
「あとは、キースさんの演技力が鍵を握ると思います」
「演技力ね……あんまり自信はねえな」
「お願いします」
ポラはキースの手を取った。
キースは急に鼻の下を伸ばし、分かりやすくデレた。
「やってみましょう!」
男って、こういうもんだよね。
俺は苦笑しながら、キースに親近感を覚えたのだった。
Ж
それから、ポラはあっという間に船の詮索に関する免状を偽造(つく)り上げた。
俺たちはそれをもって船の内部に入り、謎の部屋の扉が見える位置から首を出してヒソヒソと話し合った。
(あそこです)
(本当だ。強そうな人たち)
(実際、相当強いらしいですよ。シーシーさん曰く、プロの戦闘員だとか)
(そのようだな。佇まいが本職のそれだ。だが、胆力なら負けねえぞ)
(キースさん、素敵です。頑張ってくださいね)
(頑張ります。好きです。付き合ってください)
(どさくさに紛れて告白するのはやめてください。早く行ってきてください)
(はい)
キースは髪を撫でつけ、ちょび髭を整えてから、よし、と気合を入れて二人の警備員へ向かって歩き出した。
「なんだ、貴様」
向かって右側の男が、キースに声をかけた。
「俺はリバポ商会のキースだ」
「リバポ商会?」
「そうだ。今回、ウェンブリー社とラングレー国海軍の仲介を請け負っている」
「そうか。それで、何の用だ」
「その扉の向こうの部屋を確認させてほしい」
「駄目だ」
男たちはけんもほろろ、全く取り付く島もない。
帰れ、とキースの胸を押した。
「そうはいかねえ。俺たちは海軍に信用されてるんだ。ウェンブリー社の船に未知の部屋があるなら、確認しておく義務がある」
「駄目だ」
「何故だ? やましいことがなければ見せられるはずだろう」
「中を見せるかどうか。俺たちは判断しない。ただ扉を守るだけだ」
「では、判断するのは誰だ?」
「専務だ」
「そうか」
キースはそこでスーツの内ポケットに手を入れた。
そして、先ほどポラが急造した偽造許可証を見せつけた。
「先ほど、そのツヴァイ専務から許可をいただいた」
「なんだと?」
男たちは許可証を奪うように取った。
それをまじまじと見つめ、二人は目を合わせた。
「……室内を確認するだけだな」
「もちろん」
「いいだろう。しかし、中にあるものには一切触れるな」
「中にあるもの?」
「この中には最も高級なS級の魔石が入っている。その箱には触れるな」
「分かった」
「それから、中に入ったら1分で出て来い。確認だけならそれで充分だろう」
「ああ。それでいい」
「怪しい動きをしたら撃つぞ」
「うるせえ。オラ、どけよ。こっちだって、こんな面倒なことさっさと済ませてぇんだ」
男たちは互いに頷きあうと、ロックを外し、扉を開けた。
キースは二人をひと睨みしてから、中に入っていった。
(う、うまく行きましたよ!)
その様子を見ながら、俺は言った。
(本当ですね)
(しかし、高級な魔石が入っているだけだったんですね。正直、拍子抜けって言うか)
(まだ分かりませんよ)
(どういうことです?)
(彼らが本当のことを言っているかは、中を確認するまでは分からない)
ヒソヒソ話していると、やがてキースが中から出てきた。
早い。
まだ1分も経っていない。
どういうことだろう、と眉を寄せた。
キースは男たちに紳士的に挨拶をして、こちらに戻って来た。
その顔からはなにも察せられない。
(ど、どうでしたか!)
戻ってくるなり、俺は興奮気味に聞いた。
だが――キースは無言で肩を竦め、首を横に振ったのだった。
Ж
「どうやら予想は外れちまったな。室内には宝石箱のような箱が一つあるだけだったぜ」
積荷のある上甲板に戻ると、キースは言った。
「他には何もなかったんですか?」
と、俺は腕を組んだ。
「ああ。なにもなかった」
「見落としたんじゃないです?」
「広い部屋じゃねえんだ。見落とすわけがねえだろ」
「え? そ、そうなんですか」
「そうだ。シングルベッド3つ分ほどの、懲罰房みてえな小せぇ部屋だったぜ」
そんなに狭いなら、確認が一瞬で終わるのも頷ける。
どうやら――あの部屋に全ての答えがある、という予想は外れだったようだ。
「狭い部屋、ですか」
だっていうのに、ポラは一人ごち、上甲板の端の方へ歩いて行った。
そして、一歩二歩と歩数を数えながらこちらに歩いてくる。
「ポラさん、何をやってるんです?」
「ちょっと待ってください。今、数えているので」
よくわからないことを言いながら、結局、彼女は上甲板から船首楼までの歩数を数えた。
それから、「やっぱりおかしいわ」と呟きながら、懐から羽ペンと羊皮紙を取り出した。
そして、何やら船の図解らしきものを描き始める。
少しすると、それが何だか分かってきた。
横から見たこの船の簡易の断面図だ。
「ほら、やっぱりおかしい」
画が出来上がると、ポラはうんと頷いた。
「おかしいって、一体なんの話ですか?」
「ちょっと見てください、これ」
俺とキースは彼女の描いた画を覗き込んだ。
「先ほどの部屋の扉は船内へ入るハッチから約100歩でした。つまり、船の上で言うと上甲板の入口よりもずっと手前です。それなのに、室内は猫の額ほどに狭かった」
「そうなりますね」
俺は頷いた。
すると、俺の横でキースは「なるほどな」と呟いた。
「ど、どういうことです? そのことが何か?」
「つまりですね」
ポラは断面図の上甲板の下をぐるりと丸で囲った。
「機関室は船尾側にあります。そうなると、ここから先、今私たちのいるこの上甲板の下がまるっきり空洞になるんです」
「ああ、確かに」
俺は短く数回頷いた。
「でも、それが何か問題でもあるんです?」
「まだ分かりませんか?」
ポラはそう言って、積みあげられたコンテナをぽんぽんと叩いた。
「この積荷は空なんです。にもかかわらず、この船は船首側へ傾いている。そして、空っぽの積荷の下には大きな空洞。これはつまり――」
ポラはそこで一旦言葉を止めた。
そして、俺たちの足元へ目線を落とした。
「この下の空洞に、何かたくさんの荷が積まれている、ということになります。それ以外に、船が前に傾く理由は考えられないんです」
「こ、この下に?」
俺は甲板の板に目を落とし、ごくりと息をのんだ。
「隠し扉か」
キースが眉を寄せて口を開いた。
「ええ、そうでしょうね」
ポラは大きく頷いた。
「おそらく、キースさんが見た狭い部屋には奥へ続く隠し扉があったんです。高級な魔石は私たちを納得させるためのただのフェイクでしょう。部屋の奥には大きな船倉があり、そこに“ナニカ”を隠している。私たちにばれてはいけない“ナニカ”を」
ポラはそう言うと、まるで痛みに耐えているような悲痛な顔つきになった。
俺は察した。
やはり――彼女はそのナニカに見当がついているんだ。
「ポラさん。教えてください。この下の船倉には、何が乗ってるんです?」
ポラは沈黙した。
だがやがて意を決したように息を吐くと、俺たちに向かってこう言った。
「多分――『奴隷』だと思います」
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