第17話 追手
「たしかに船だな」
ミスティエは自身の派手な双眼鏡を覗きながら言った。
「1、2……3艇ほどいる」
「やけに鼻が利く野郎どもだな。どこの海賊だ。やっぱりジュベの野郎か?」
キースが不機嫌そうに問う。
ミスティエは「いや、違う」と短く首を振った。
「あれは海賊船じゃねえな」
「海賊船じゃない? じゃあなんだ」
「漁師の船だ」
「漁船?」
キースは拍子抜けしたように笑いを浮かべた。
「なんだそれは。ただの民間人か」
「海賊じゃ……なかったんですね」
俺ははあと深い息を吐いた。
一気に体から力が抜けた。
ああ、よかった。
「しかし妙だな」
だっていうのに、ミスティエはまだ緊張の面持ちで船影を睨み続けている。
「妙? 妙って、一体なにが」
「あの船の動きだよ。あいつら、ポチに見つかるまではこの船よりスピードを出していたはずだ。それなのに、一向に近づいてこない。かといって、引き離されることもない。ずっと一定の距離を保っている」
「この船のあとをついてきてるってことですか?」
俺は思わず横から口を出した。
そうだ、とミスティエは頷いた。
「ただの漁船がこの貨物船を追いかけるなんて――目的はなんでしょうか」
「さてな。だが、やつらがこちらの様子を窺っているのは間違いない」
「どうします? 念のため、追い払いますか?」
「問題ねえだろ」
今度はキースが口を挟んだ。
「相手はただの漁師だぞ。なにか妙な目的があったとしても、返り討ちにすればいい」
「でも、一般人を装ったプロかもしれませんよ」
俺は思い付きを口にした。
「いや、プロは民間船など使わねえ」
だが、一瞬でミスティエに否定される。
「追跡をするなら海に紛れるような迷彩船を使う。それに尾行の仕方も素人そのものだ。海賊が尾けるなら、太陽を背負うようにして追ってくるはずだ。奴らはセオリーを知らねえからこちらから丸見えだ。距離の取り方もまるでなっていない。こんな中途半端な位置で尾行するのは玄人じゃない」
「では……彼らは本当にただの漁師なんですか?」
「漁師かどうかは分からん。ただ、戦闘のプロではない」
「ほらな。やっぱり問題ない」
キースは両手を広げて肩を竦めた。
「そもそも、だな。天下のミスティエ一味がド素人の漁船にビビッてどうする。なあ?」
「ビビってるわけじゃねえよ、ボケ。ただ――」
ミスティエは言葉を止め、しばらく追っ手の漁船を見つめた。
それからやがて双眼鏡を下ろし、「ポチ」と俺に向かって言った。
「念のため、お前は監視を続けろ。動きがあったらすぐにあたしに報せるんだぞ」
「アイサー!」
俺は敬礼をした。
「どういうことだ? そんな警戒をすることでもないだろ」
キースはまだ訝っている。
「あの漁船の正体はどうでもいい。気になるのは――あのツヴァイという男だ」
「なんだ。あの男がどうした」
ミスティエは短い間キースを見つめた。
それから「話しておくか」と呟いた。
「……キース。お前、ウェンブリー社のことはどこまで知っている」
「どこまでって――魔石の採掘、分析、抽出、研磨、そして輸出までを一手に請け負う企業だろ。とても健全な会社だ」
「それだけか」
「それ以上あるのか?」
「全く、お前らは間抜けだな。取引相手の素性も調べないのか」
「調べたさ。だが、それ以上のことは何も出てこなかったぞ」
「甘いやつらだ」
ミスティエは肩を竦めた。
キースは「どういうことだ?」と目線を強めた。
少し長くなるが、と前置きをしてミスティエは語り出した。
「ウェンブリー社は元々、ガンボア出身の男が起業した企業だ」
「ガンボア出身? ちょっと待てよ。ムンターはガンボアからの難民・移民の受け入れはしてないはずだろ」
「不法移民だよ」
「不法移民?」
そう、とミスティエは頷いた。
「ムンター国はその昔、酷い内戦状態にあった。ガンボアで不遇だったその男は、終戦の混乱に乗じて密かに入国したのさ。そしてその男は成り上がるために色んな悪事に手を染めた。その甲斐あって奴の会社はどんどんでかくなったが、やりすぎちまってほどなく同業者に殺されちまった。だがその後、その男の興した会社の一部がウェンブリー社と名前を変えて生き残った。そして今はまともな商売だけをやるようになった。お前らが調べた通り、現在のウェンブリーはとても健全だよ。その男が牛耳っていたのはもう何十年も前の話だし、会社の名前や経営者も幾度も変えた。もはや、すでに全くの別会社だと言っていい。しかし――その始まりは悪だったのさ」
ミスティエはポケットに手を突っ込んだまま、一気に説明した。
「お前……よくそこまで調べたな」
「大したことじゃねえ」
「いいや、大したことだぜ」
キースは額に汗を滲ませて首を振った。
「ウェンブリー社を調べたのは俺たちだけじゃねえんだ。何か月も前から、海軍だって調べを入れてる。しかし、そんな情報は出てこなかった。それなのに、俺たちが依頼をしてから一週間のうちにお前はここまで――」
恐ろしい奴だ、と言い、ごくりと喉を鳴らす。
どうやらかなり彼女を見損なっていたようだと、俺も驚いた。
ミスティエは適当で大雑把で、いい加減な人だと思っていた。
でも――本当はとても理論的な人間なんだ。
腕っぷしが強くて情報戦にも長けているなんて――この船長(ひと)、ホント最強だな。
「で、その男がどうした。今はもう死んで何十年も経つんだろう」
と、キースが聞いた。
「そうだ。そいつ自身は今はもうウェンブリー社とはまるで関係のない男だ。だから、私ももう無関係だと思っていた。あの男の目を見るまで」
ミスティエは顎をあげ、睥睨するように海を見た。
「どういう意味だ?」
「ブロー=ツヴァイ。それが、ウェンブリーの創始者だった男の名だよ」
「なんだと?」
キースは思わず、前のめりになった。
「つまり、さっきのツヴァイって野郎はガンボア出身の悪党の一族ってことか?」
「まあ、偶然ってことはねえだろう。しかし、そうだとしても、あたしはもう現在専務をやっているツヴァイは無関係だと思っていたんだ。現に今、ウェンブリー社は優良企業のままだしな」
「違うのか?」
「分からねえ。だが――あの男はなにか隠している」
「隠してる? どうしてそう思う」
「勘だよ」
「勘、か」
キースは後頭部を搔いた。
「お前の勘は当たるからな。ってことは、今の会社も表向き通りの優良企業というわけでもねえのか。だとすると、かなり恨みも買ってそうだ。もしかすると、あの漁船は積荷というより、ツヴァイ本人を狙ってるのかもしれねえな」
「移民は泥棒と思え。労働階級の口癖だ。まだ真実は分からねえよ」
そう言って、ミスティエは口の端で笑った。
「何にしても、そいつは大事なことを聞いた」
キースは顎に手を当てて考え込んだ。
「ブロー=ツヴァイ何て名前は初めて聞いたぜ。よし。向こうに着いたら、親父にもう一度、ウェンブリーを調べるように言っておこう」
「さて」
ミスティエはそう言って踵を返した。
「では、ポチ。船に動きがあったらすぐに教えろよ」
「アイサー!」
俺は敬礼した。
「お、おい、ミスティエ。どこに行くんだ」
「ちょっとツヴァイの奴に話を聞いてくる」
「ツヴァイに?」
「探りを入れるだけだ。杞憂だといいがな」
手をヒラヒラさせながらそう言って、ミスティエは甲板の方へと戻っていった。
Ж
それから、俺はミスティエの言いつけ通り何時間も監視を続けた。
陽は頂点を過ぎ、すでに傾き始めている。
遥か後方にいる影はぴたりと張り付いて動かない。
やはり、ミスティエの言った通り、奴らがこの船をマークしているのは間違いない。
「お疲れ様です」
ふと、背中から声をかけられた。
振り返ると、ポラがパンを差し出していた。
「ああ、ポラさん」
「お昼ご飯、まだでしたよね」
「ああ、ありがとうございます。そう言えば、まだでした」
ぐー、と腹が鳴る。
意識すると、急激に空腹を感じた。
俺はパンを受け取り、思い切り齧った。
「随分、集中していたんですね」
「はい。何かあったら、すぐに伝えようと思いまして」
「ふふ。ポチ君って、真面目ですねえ」
「他に取り柄がないもんで……少しでもみんなの役に立ちたいですし」
「良い心がけですね」
ポラは海の方に目を向け、額に手を当てて遠くを眺めた。
「それで、どうです? まだいます? 例の漁船」
「はい。ぴたりと着いてきてます」
「おかしな船ですねえ。海賊船じゃないなら、この船に一体なんの用なんでしょうか」
「ポラさんにも分かりませんか」
「うーん。そうですねえ。ちょっとわかりませんねえ」
ポラは小首をかしげた。
「そう言えば、なにかこの船の積み荷のことでキースさんに聞くことがあると言ってましたよね」
「ええ。この積荷、リバポ商会の倉庫に保管するかどうか、ですね」
「あれはどうだったんですか? 解決しました?」
「うーん。そっちも要領を得ないんですよね。キースさんはそんな予定は一切ないって」
「それじゃあ、この大量の魔石はどうするんでしょうか」
「さて、どうするんですかね」
「もしかして、海軍以外にもフリジアに売る相手がいるとか」
「考えにくいですね。そんな話、聞いたことないですし」
……ふむ。
なんだかチグハグな感じだ。
「ポチ君の方はどうなんです? 今朝、この船に違和感があるって言ってましたよね」
「ああ、あれですか。いえ、相変わらずモヤモヤしたままです。っていうか、今もなんか変な感じはあるんですけど」
「そうですか。少し気になりますね。どれもこれも大きな問題ではないんですけど、違和感の数が多い。こういうときって言うのは、大体、トラブルが起きるもんなんです」
「そうなんですか」
俺は眉をひそめた。
うーん。
あの追っ手の船と言い、なんだかきな臭い。
「おい、ポチ」
いきなり背中に重みを感じて、俺はのけ反った。
首を捻ると、シーシーが張り付いていた。
「あ、シーシーさん」
「ポチ」
「なんですか?」
「暇だ」
「暇って……我慢してくださいよ。仕事中ですよ」
「うるせー。暇なもんは暇なんだよ」
遊ぼうぜ、とシーシーは言った。
「無理ですよ。僕は監視中ですから。それどころじゃないですって」
「別にそんなことしなくていいだろー。どうせ相手は漁師なんだろー?」
「でも、船長の命令ですから」
「ぶー。お前、ミスティエとうち、どっちの命令が大事なんだよー」
「そ、そりゃ船長――」
言いかけたとき、後頭部に何やら硬いものが突きつけられた。
銃口だ。
「なあ、どっちが大事なんだ?」
「そ、それは――」
俺は答えに窮した。
船長の言いつけは絶対だ。
だけど――まだ死にたくはない。
「いいですよ」
様子を見ていたポラが、少し困ったように笑いながら言った。
「ポチ君も、少し休憩したほうがいいでしょう。監視は代わりに私がやっておきます」
「大丈夫ですか?」
「うん。双眼鏡があれば見えますから」
俺はうーん、と考えた。
その間も、背中ではシーシーが遊ぼう遊ぼうと喚き散らしている。
「それじゃあ、30分だけ」
「分かりました。くれぐれも、船長には見つからないようにしてくださいね。勝手に行動すると殺されますから」
「……そうします」
俺はうなずいて、シーシーに顔を向けた。
「それじゃ、何をして遊びます?」
「探検しようぜ、探検! 船を探検」
「探検、ですか」
正直、それは悪くないと思った。
大きな船って、なんかワクワクして色んな所を見て回りたくなる。
「分かりました。それじゃあ、怒られない程度に見て回りましょう」
「うん。それが終わったらかくれんぼな。そのあとは鬼ごっこ」
はいはい、と俺は返事をした。
なんか、小さい子どもを持つお母さんの気持ちが少しわかった。
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