第16話 合流
国境の街に着くと、俺たちは船を港へと接岸して、すぐにウェンブリー社の貨物船へと簡易の板梯子をかけ、全員で移動した。
実際に降り立ってみると、ウェンブリー社の船は思ってたよりさらに広かった。
甲板に船員が30人ほどおり、その中央に白いスーツを着た長身痩躯の男が立っていた。
黒髪をオールバック撫でつけ、神経質そうな細い眼鏡をかけている。
顔には皺が多く、30代半ばと言ったところだろうか。
彼の周りには体つきの良い迷彩服を着たボディーガードのような男たちがついている。
腰には物々しい銃が携行してある。
説明を受けなくとも、このツヴァイという男がウェンブリー社の責任者であることはすぐに分かった。
「初めまして。ウェンブリー社専務取締役のツヴァイと申します」
ツヴァイはにこりと笑うと、キースに向けて手を差し出した。
「リバポ商会のキースだ。よろしく」
キースは手を握り返した。
それから半身だけこちらの方を向き、俺たちを紹介した。
「こいつらが今回あんたたちを護衛をするキャラコ一味だ。女だが、腕は一流だから安心してほしい」
「女系傭兵のキャラコ海賊団さんですね。お噂は聞いてます」
ツヴァイは続いてミスティエに握手を求めた。
ミスティエはふんと鼻を鳴らしてから握り返した。
「船長のミスティエだ」
「よろしく。しかし、こんなに美しいかただとは思いませんでした」
「あんたは思った通りの容姿をしてるな」
「それは誉め言葉ですか」
「もちろんだよ。商売人らしく、賢そうな顔をしてる」
言葉とは裏腹に、ミスティエは口の端で嘲るような笑いを浮かべた。
「航海中に何かあれば、あいつに言ってくれ」
ミスティエはそう言うと、顎で後ろで控えているポラを指した。
ポラはその言葉で前に進み出る。
「ポラと申します。交渉人をさせていただいてます」
「ほう。これはまたお美しいお嬢さんだ」
「ありがとうございます」
ポラは胸にいつもの本を抱き、ぺこりと頭を下げた。
「あの、早速ですが、いくつかお聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんでしょう」
「現在この港にはウェンブリー社の船が3隻ほど停泊してますが、実際にフリジアへ向かうのはどの船でしょうか」
「この船だけです。あとの二つは別の国へ行きます」
「左様ですか。では、次に護衛の方法についてですが、我々は御社の船に同乗させていただきます。その際、我々の船はロープで繋ぎ、曳航させていただく形になりますが、よろしいでしょうか」
「ええ」
「敵影が見えたら、適宜船に乗り移ることもありますので、そちらも確認お願いします」
「護衛の仕方はそちらにお任せしますよ」
「ありがとうございます。それから保護の優先順位の確認ですが、ツヴァイさん、あなたが第一位の対象者という認識でよろしいでしょうか」
「もちろんです」
「他に優先する人物は」
「いません」
「了解しました。では最後に、あなたが人質に取られた場合の話をさせてください」
「人質?」
「ええ」
「あなた方がいるのに、私が人質にとられてしまうようなことがあるんですか」
「あくまで形式的な質問です。申し訳ありませんが、万が一ということもありますので」
冗談(ジョーク)ですよ、と言ってツヴァイは肩を竦めた。
「どうぞ。質問を続けてください」
そうでしたか、とポラは微かに愛想笑いを浮かべた。
なんていうか、社会人の微笑み。
こっちの世界にもビジネスマナーはあるらしい。
「ウェンブリー社は有事に備えた保険に加入してますか?」
「保険?」
「例えば、人質にされ身代金を要求された時のための誘拐保険など」
「ああ、入っていたように思う」
「保険会社はどこでしょう」
「入っているならM&T社だ。ムンター最大の保険機構だからね」
「了解しました。では後ほど、念のためその書類を見せてください」
「部下に持って来させますよ」
「よろしくお願いします」
ポラは短く頷き、半歩後ろに下がった。
それから、目顔で質問を終えたことをキースに伝える。
「よーし、それじゃあ、早速出発しようか」
キースは一つ頷くと、大きな声で言った。
「ツヴァイさん。もう出る準備は出来ているんだろう?」
「もちろんです」
「よし。では、30分後に出向だ」
そう言って、パン、と手を打つ。
それを合図に、一斉に全員が動き出した。
そうして、いよいよ俺の初仕事が始まった。
Ж
貨物船はゆっくりと動き出した。
大きな船に乗るのは初めてだったので、なにやら妙な気分になった。
まるで地面が動き出したような感覚。
船を動かすのは基本的にウェンブリー社の人間なので、俺たちはやることが無い。
シーシーは子供みたいに船の上を珍しそうに走り回っている。
ミスティエはキースと、ポラはツヴァイと、なにやら難しい話をしている。
そしてエリーは――いつの間にか勝手にハンモックを吊るして本を読んでいた。
俺は船尾の先へ行き、海を眺めた。
所在なく突っ立っていると、ポラに監視を始めてくださいと言われたのだ。
俺はドキドキしていた。
行きは海賊には出会わなかった。
だが、それは彼らがミスティエの船を襲う意味がないからで、これからは話が違う。
アデル湾にいる有象無象の海賊たちがこの積荷を狙っているかと思うと――緊張するのも仕方ない。
Ж
そのまま5時間が経過した。
航海は順調そのもの。
海も穏やかで、敵影などまるで見えない。
だが、俺は飽きもせずじっと水平線を見続けた。
それしかできないなら、それをやる。
言われたことをやるのは得意なのだ。
「よお」
船の縁に齧りついていると、いきなり横から声をかけられた。
目をやると――そこにいたのは煙草を咥えたキースだった。
「あ、こ、こんにちは」
俺はぺこりと頭を下げた。
「どうだ。なんか見えたか」
「い、いえ、今のとこは」
「そうか」
それだけ言い、キースは黙り込んだ。
ふう、と紫煙を吐く。
彼はそうして、しばらく俺の横にいた。
なにを言うでもなく、なにをするでもない。
正直、居心地が悪い。
この人、ミスティエには馬鹿にされてるけど――れっきとしたマフィアだ。
本来ならチビってしまうほど、めちゃめちゃ怖い人なのだ。
用が無いならどっか行ってくれないかな――
「……お前よ」
どういうことだろうと訝っていると、ようやくキースが口を開いた。
「は、はい、なんでしょう」
「あのよ」
「は、はい」
「……いや、いい」
なんだよそれは!
俺はずっこけそうになった。
そしてまた沈黙。
気まずい静寂。
波音と風の音以外、何の音もしない。
「……お前ってさあ」
もうこちらから移動してやろうと考えていると、再びキースが口を開いた。
「なんでしょうか」
「いや、いい」
「そ、そうですか」
「っていうかよ」
「は、はい」
「お前よ」
キースはそこでいきなり俺の腕を掴んだ。
俺は驚いてしまい、びくりと体を震わせた。
「ポラさんと一緒の部屋で寝てるって本当かよ!」
そう言って、思い切り睨みつけてきた。
「え? あ、ああ、そうっすね」
「なんだとてめえ! ぶっ殺すぞ!」
キースは懐から銃を取り出し、俺の首に銃口を突きつけた。
俺は震えた。
これ――絶対本物の銃だよな。
「す、すいません」
「すいませんじゃねえ!」
「せ、船長の命令なんです。それに、ポラさんにも同意してもらってて」
「知るか! おめえ、変なことしてねえだろうな!」
「してないですよ! それは絶対に、してないです!」
「嘘つけ! 男と女が同じ屋根の下で暮らしてて、間違いが起きねえはずがねえだろ!」
「ほんとですって! ポラさんに聞いてみてくださいよ!」
「そんなこと聞けるかバカヤロウ!」
キースは俺を突き飛ばした。
それからはあはあと肩で息をしながら、チッ、と舌打ちをしてから、銃をしまった。
「キースさん……ポラさんのことが好きなんですか」
「そうだよ。わりぃか」
「い、いえ」
俺は立ち上がった。
「でも……だとしたら、たしかに今の僕の状況は気に食わないっすよね」
「ああ。気に食わねえ」
「分かりました。僕、お金に余裕が出来たら、新しく部屋を借ります」
「あ? なんだよそれ」
「いやその……実を言うと、僕も結構困ってまして」
「困るって、何がだよ」
「だからその――ポラさんと一緒に暮らすの」
「んだとてめえ! 贅沢なこと言ってたらマジ許さねえぞ!」
どっちなんだよと口の中で言う。
「いやでも、本当に辛いんですよ。ポラさんって、結構夜は薄着なんです。だから目のやり場にも困っちゃうし」
「薄着……なのか?」
「ええ。あの人、なんていうか、無防備すぎるんです。自分がどんだけいい女かってのが分かってないんですよ」
「そ、そうか」
「そうなんです。だから、出来るだけ早く別の部屋で暮らすことにします」
「あ、ああ、そう」
そう言って、海に景色を見始める。
急に態度が変わった。
な、なんなんだこの人。
少し離れたところで、俺は監視を再開した。
「……一枚3万だ」
不意に、キースは海に目線を向けたまま呟くように言った。
「はい?」
「一枚3万出す」
「は? なんの話です?」
「だから、一枚当たり3万出すって言ってんだよ。下着姿なら5万だ。それ以上なら――言い値で買ってやる」
「いえ、あの、だから何の話――」
「だからポラさんの寝間着姿の写真の話だよ!」
キースは俺を遮り、怒鳴った。
「お、俺に盗撮しろって言うんですか?」
「そうじゃねえ。ちょっとカメラを隠して写真を撮ればいいだけだ」
「思いっきり盗撮でしょそれ!」
俺は呆れて海に目を戻した。
この人、マフィアなのに中身は中学生みたいだな。
はあ、と息を吐く。
するとその時、水平線の先に小さな影が見えた気がした。
なんだあれ――。
俺は身を乗り出し、目を凝らした。
「き、キースさん、大変です」
「馬鹿野郎。そりゃ、バレたら大変だよ。でも、盗撮なんてバレなきゃ誰も損しないんだから――」
「なんの話してるんですか! そんな場合じゃないですよ!」
俺は海の先を指さした。
「船影が見えます! 左舷、7時の方向です!」
「なにぃ?」
キースは小型の双眼鏡を取り出して覗きこんだ。
「たしかに……船のようだな。お前、良く見えたな」
「や、やっぱりそうですか」
鳥肌が立った。
マジかよ。
出航して数時間。
いきなり狙われるなんて――
世界一危険な海。
その名前は伊達じゃないようだ。
「船長! 大変です!」
俺は振り返り、ミスティエに向って大声で叫んだ。
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