第15話 月夜


 それから、船は丸3日かけてムンター領の国境の街へとたどり着いた。


 航海は順調そのものだった。

 絶えず風が吹き、海賊船は一度も止まることなく進んでいった。

 ただしその分、雑用係の俺は帆の出し入れや操作、それから食事の用意など雑用で大変だった。

 

 毎日やることに追われ、クタクタになる。

 ドジやミスをやらかすとミスティエやシーシーに怒鳴られ、時には蹴飛ばされた。


 キースは毎日楽しそうに酒を飲んでいたりしたが、下っ端の俺には娯楽もない。

 食事も俺だけ硬い米や小麦粉を焼いたものなど、粗末で味気ないものだった。


 港を出て半日もしない内に俺はすっかり疲弊してしまい、航海はきっと辛いことばかりだろうと思っていた。


 だけど――嫌なことばかりではなかった。


 俺はこの3日で、海のことを知った。


 これまで、自然というものに縁も興味もない人生を歩んで来た。

 しかし、船の内で過ごすうち、次々と表情を変える景色の美しさに心が揺さぶられたのだ。


 朝一番の見渡す限りの紺碧の海。

 澄み切った空に、潮を含んだ爽やかな風を胸に吸い込んだ。


 昼には炎天下の翠色に代わり、その水平をトビウオが飛びクジラが潮を噴いた。


 夕方になれば景色は一気に橙(だいだい)に染まり、大きな落陽が水平線に沈んでく。

 その時、海はブルーとオレンジが混じった不思議な色になって、その中で波状する白波がクリームみたいに溶けて消えていった。

 

 夜には今にも降り注ぎそうな満点の星たちが船の頭上に現れ、まるで夜空に無数の穴が開き、こちらの世界に光が漏れこぼれているようだった。

 またある夜にはイルカが飛び跳ね、月明りを反射して煌めく静寂の海をいっそ幻想的に彩った。


 世界は美しい。

 船首に立ち、目の前に広がった光景は問答無用に俺にそう教えてくれた。


 だが同時に、静かな夜は色々なことを思い出させた。

 例えば、元の世界のことだ。


 家族や友達は元気にしてるだろうか。

 大事になってしまっているのではないだろうか。

 俺がいなくなったことで、色んな人に迷惑がかかってるんじゃないだろうか。

 

 母さんや父さんはきっと悲しんでいるに違いない。

 そう思うと胸が痛む。

 二人を想うと、自然と涙が浮かんだ。


 野球部のみんな、週末に予定されていた練習試合には勝っただろうか。

 俺の代わりに、後輩の吉田が投げたんだろうな。

 プレッシャーに弱いあいつのことだ。

 きっと、得点圏にランナーが出ると、制球が定まらずボールが先行して苦労したのに違いない。

 俺がいれば、アドバイスの一つも与えてやれたのに。


 ああ、野球やりてえな。


 俺は自分の手のひらを見ながら思った。

 素振りで出来たマメででこぼこだ。

 このマメも、いずれは消えてしまうんだろう。


 きっといつか、元の世界へ帰る。

 今度は、その手をぐっと握りしめた。


 何かの理由でこちらに飛ばされたんだ。

 何かのきっかけがあれば、また元の世界に戻ることも出来るはずだ。

 

 そのためにも――なんとしてでも、こちらの世界で生き抜いてやる。


 静寂の月夜。

 俺は一人、そう決意したのだった。


 Ж


「おー、見えて来たぞー」


 ミスティエが黄金で装飾された双眼鏡を覗きながら言った。


「ほんとですかー」


 ポラが額に手のひらを当てて言う。


 俺はその時メインヤードの見張り台にいた。

 ミスティエの言う方向に目を凝らすと、確かに、水平線に微かな陸地が見えた。


「ポチ君、見えますかー?」

「ええ。船も2、3隻とまってます」

「えー? どこですかー」


 ポラは船首の方に移動した。

 それでも見えないので、なんと、こちらの方へ登って来た。


「本当に見えますか」

「ええ。あそこに」


 狭い見張り台で体が近い。

 密かにドキドキしながら、俺は遠方に向けて指をさした。


 ポラはむーと頬を膨らませた。

 よほど悔しいらしい。


「全然、見えない」

「あそこですよ。ほら」

「見えないですって。陸はなんとなく分かりますけど」


 ポラはそこで目を俺の方に向けた。

 それから何故か「うん」と大きくうなずく。


「ポチ君、見張りに向いてますね」

「そうですか?」

「うん。だってほら、船長は双眼鏡を使ってようやく見える距離なんですよ?」

「視力は、まあ、いい方ではありますけど」

「見張りは海賊の重要な役目の一つです。うん。ポチ君、いい監視哨(かんししょう)になりますよ」

 

 よろしくお願いしますね、と言われた。

 

「頑張って見張ってください。手柄をあげたら、きっとお給料もあがりますよ」

「ま、マジですか」

「ええ。海賊は歩合制ですから。今回の仕事も、海賊の襲撃を一番に見つけたら金一封です」


 よーし、と俺は気合を入れた。

 そう言われると、モチベーションもあがる。

 

 金だけの問題ではない。

 手柄をあげれば、それだけ海賊(みんな)に認めてもらえて、俺の待遇もよくなるはず。


「あ、ほんとだ。見えてきた」


 やがて、徐々に陸地が近づいてきた。

 30分も進むと、肉眼でも停泊してある船も細部が見えてくる。


 大きな貨物船が二つと、小ぶりな鋼鉄船が一つ。

 貨物船はキャラコ海賊船の3倍くらいの大きさがある。


 貨物船2隻はデザインは全く同じだが、左の方がわずかに小さい。

 全体を鉄板で覆っており、鋼色に鈍く光っている。

 

 二つとも帆のついた蒸気船だが、この船と違って船首が尖っていない。

 より多くの貨物が乗せられるように、前の方も甲板が丸く作られていた。


「大きな船ですね」

「本当ですねー」

「あの積荷は魔石ってやつでしょうか」

「そうだと思います。しかし――ちょっと妙ですね」

「妙?」

「今回はウェンブリー社とラングレー国海軍幹部との顔合わせがメインのはず。あんな大きな船で行く必要はないのに」

「海賊に対しての威嚇ってことではないんですか? こんな大きな船だと、相手もビビるでしょう」

「それは全くの逆です。とくに武装もしていないような貨物船なんて、海賊の大好物でしょう」


 ポラは顎に手を当て、ふむ、と唸った。


「もしかすると――すでに海軍とウェンブリー社の交渉はほとんど済んでしまっているのかも。両者の会合は単に形骸的なもので、裏ではもう話がついているのかもしれない。だから、予め魔石やそれに伴う魔道具を運び、政府の公表に備えてリバポ商会の倉庫にでも一時的に保管しておくのかも。そう考えると今回の海軍の動きもなんとなく納得できますし。まだ他社との競合がある段階なのに、すでに外務省が安定供給する会社をウェンブリーに決めているなんて、外部にバレたら不味いですもん。でも、そうか、いや、うーん……考え出すとそうとしか思えなくなってきますね。これは、あとで船長とキースさんに聞いておかなくちゃ」


 何やら難しいことをブツブツ呟いている。


「詳しいことはよくわからないですけど……なんか僕も変な感じがします」


 そうである。

 事情は分からないけど、2隻の貨物船を見比べてるとなんだか違和感があるのだ。


「なんのことですか?」

 ポラが小首をかしげる。


「いや、うーん、なんなんですかね」


 自分でもよくわからない。

 言葉では言い表せない……なんともちぐはぐな感じ。

 海軍とかリバポ商会とかそういうの抜きにして――なにかがおかしい・・・・気がする。


 しかし、自分でもその正体がなんなのか良くわからない。

 

「よーし、野郎ども! 着岸の用意だ!」


 考え込んでいると、いきなり下からミスティエの声が響いた。


「アイサー!」

「アイサー!」


 俺とポラはほとんど同時に大きな声を出した。


「ポチ! シーシーとエリーを起こしてこい!」

「アイアイサー!」


 俺は大声で返事をして、ヤードをするすると降りて行った。


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