第14話 出航


 一週間後。


 キャラコ海賊船は帆を広げ、予定通り隣国ムンターとの国境へ向けて出発した。


 目的は貨物船の護衛。

 魔石を積んだウェンブリー社の商船を海賊たちから護り、無事にフリジアへと送り届けることだ。


 俺のキャラコ海賊団としての初航海。

 自然と気合いも入った。


 天候は晴れ。

 紺碧の海に雲ひとつない空

 見渡す限りの快晴である。


 スーと息を吸うと、新鮮な海風がとても気持ちがいい。

 俺の初仕事の航海としては最高の日和である。


 キャラコ海賊団の船員は以下の5人だ。

 

 船長のミスティエ。

 副船長のエリー。

 甲板長のシーシー。

 交渉人のポラ。

 そして、雑用係の俺。


 だけのはずだった。

 しかし、今日はもう一人、ゲストがいた。


「おい、ミスティエ。ちょっと揺れ過ぎだぞ」


 背の低い、髪の薄い男。

 航海には不釣り合いの、高級そうな仕立てのいいスーツ姿。


 今回の仕事の依頼主であるリバポ商会の幹部、キースである。

 彼がウェンブリー社との直接的な取引相手だ。

 あくまで表向き、ということらしいが。


「うるせえ! 黙ってねえと海に放り投げるぞ!」


 舵を握りながら、ミスティエが磊落に言い返した。

 言葉は相変わらずだが、顔は笑っている。

 機嫌は良さそうだ。


「俺ぁ、船は弱いんだよ! 知ってるだろ!」

「知らねえよハゲ!」

「ハゲてねぇ!」

「あっはっは。いいじゃねえか。もうおっさんなんだからよ。年相応ってやつだ」

「殺すぞてめえ! 俺ぁまだ20代だ!」


 そうだっけか、と言って、彼女はまた大笑いした。


「しかし、気をつけろよ。少ない資源が海風でとっ散らかってんぞ」

「な――」


 ミスティエに言われて、キースは懐から櫛を出し、慌てて髪の毛を撫でつけた。


「あはは。ダッセーぞー、おっさん」


 それを見て、ヤードの上からシーシーが茶化した。


「くっ……てめぇら、あとで覚えとけよ」


 キースはイラついたように舌打ちをして樽に寄り掛かった。

 マッチを擦り、煙草に火をつける。

 

「ごめんなさいね、キースさん」


 その様子を見て、ポラが眉を下げてキースに近づいた。


「や、やや、ポラさん!」


 すると、キースは急にシャキっと背筋を伸ばし、火を点けたばかりの煙草を消してぺこりと会釈した。


「ほんと、申し訳ないです。うちのクルーってば、口が悪くて」

「い、いえいえ。ポラさんが謝ることではないですよ!」


 キースは首を横にぶんぶんと振った。

 それからごほんと空咳をし、顔を赤らめながら、

 

「しかし……ポラさん。今日もなんと言いますか……お美しいですね」


 と言った。


「あらあら。お世辞でも嬉しいです」

「お世辞などではありませんよ。あなたは……まるで荒れた海に浮かぶ可憐な雛罌粟(コクリコ)のようだ」


 いきなりキリッと男前の顔つきになる。


「ふふ。ありがとうございます。キースさんも、ダンディで素敵ですよ」

「そ、そうですか」


 キースは上機嫌にちょび髭を触りながら、アハハ、と嬉しそうに笑った。

 ポラはにこりと微笑みながら、茶色い包み紙を手渡した。


「これ、よかったらどうぞ。船酔いに効くって噂の漢方です」

「こ、これはこれは! なんとも嬉しい心遣い! うちの家宝にします!」

「うふふ。ありがとうございます。でも、家宝にせず、すぐに飲んでくださいね」

「はい!」

「服用しないと意味無いですから」

「はい!」


 なんとも間抜けなやり取りをしていた。


「キースさんって……もしかして、ポラさんのことが好きなんですか?」


 ミズンヤードの上でポラとキースを見ながら、俺は隣にいるシーシーに聞いた。


「そうなんだよ」


 すると、シーシーはいかにも嫌そうに鼻に皺を寄せた。


「あいつ、しつこくてよー。しょっちゅうポラに会いに来て超うぜーんだ」

「ポラさんはどう思ってるんでしょう」

「知らねー」

「ふむ。見たところ、満更でもなさそうですね」

「ポラは誰にでもあーだ」


 たしかに。

 そんな感じがする。


 しかし――と、俺はデレデレのキースを見た。


 あの人、リバポ商会のビルにいたときはあんなに怖そうだったのに。

 俺は思わずくすりと笑ってしまった。


 マフィアみたいな人たちにも、可愛いところがあるもんだ。


 俺はシーシーと一緒に甲板へ下りると、帆の向きを操作するため船首楼へと向かった。

 ここ数日、筋トレや銃の練習、さらにはもろもろの雑用の合間に、しっかりと船を操る練習をした。

 まだまだ拙いが、風向きによって船がどう動くか、大体コツを掴んできた。


 俺はブレース(セイルを動かすロープ)を掴み、帆が風を孕む角度に調整した。

 今は進行方向の右斜め前から風が吹いているので、揚力が最大になる迎え角になるようにして固定する。


 そうして風に向ってジグザグに進み、風が追い風になったところで帆を元に戻す。

 これでしばらくはこのまま直進して行けばいい。


 今日もいい風が吹いている。


「あの、ちょっといいですか」


 一息ついたところで、俺はシーシーに聞いた。


「実は、ずっと前から聞きたいことがあったんですが」

「なんだ?」

「あの、なんていうか、船の種類のことなんですけど」

「なんだ」

「えっと、僕らが乗ってる船って帆船ですよね」

「そーだな」

「どうして帆船なんですか? 港を見ていると、内燃機関(エンジン)やスクリューの付いた鉄船もたくさんあるのに」


 キャラコ海賊団の船は鉄で出来た小型の帆船だ。

 この世界の文明では、ほとんどの大型船は蒸気機関を用いた蒸気船か、或いは帆船との併用船である。

 わざわざ自然の風力に頼る船を使う理由は何なんだろうと思っていた。


「そりゃー船長(ミスティエ)の趣味だよ」

「趣味?」


 俺は眉を寄せた。

 シーシーは呆れたように肩を竦める。

 

「そ。アイツ、帆船が好きなんだよ」

「なぜです?」

「知らねー。ま、ただの趣味だろ。けどな、この船はそこらの船よりよっぽど速いぞ」

「たしかに。僕もすごく驚きました。風の力ってすごいですね」

「そうだ。強力な風が吹けば、下手な蒸気船よりよっぽどスピードが出る」

「しかし、逆を言えば“風が吹かなければ動けない”わけですよね? そんな不確かでいいんですか?」

「不確かじゃねーよ。この海は滅多に風が止まないんだ。そう言う地形になってる」

「そうなんですか。それは、はあ、すごいな」


 俺は感心したように頷いた。

 確かに、これまでこの海が完全な凪ぎ状態になったことはない。

 風さえ吹いていれば、例え向かい風でも揚力を使って帆船は前進できる。


 でも――と俺は思った。

 それだけでは納得ができないこともある。


「でも、護衛をするならそうも言ってられないですよね? 例えば、海賊船が追って来てるのに風が弱かったらどうするんですか? あるいは逆に、賞金首を追っているのに弱風だったらどうするんです? そんな都合よく風は吹かないですよね」

「うるせーなあ。そんな一気にグチグチ聞いてくるな」


 矢継ぎ早に質問をすると、シーシーは面倒くさそうな声を出した。

 そして、すぐに踵を返す。


「あの、どこへ」

「うち、寝るんよ」


 そう言って、彼女はさっさと船室に戻ってしまった。


 いや、寝るんよって言われても。 

 俺ははあと息を吐いた。


 シーシーは時々怖いけど、基本的に子供そのものなのだ。

 だからこれは聞く相手を間違えた俺が悪い。


「その辺は心配入りませんよ」


 声がして振り返ると、ポラが船の縁に腰かけていた。


「この船はエンジンがなくても、恣意的に加速したり減速したり出来ますから」


「ああ、ポラさん。キースさんの相手はもういいんですか?」

「うん。あの人も、これ以上船酔いしないように、中に入って寝てるって」

「そのほうが良いでしょうね」

「ポチ君は大丈夫ですか?」

「僕は、はい。ありがとうございます」


 ところで、と言って、俺は話を戻した。


「この船って、加速なんて出来るんですか?」

「うん。それも、蒸気船なんかよりももっとずっと速く」

「蒸気船より速く?」

「そうですよ。この船は別名、『疾風船(かぜぶね)』って呼ばれてるんですから。風のように速くて、とても静かにターゲットに接近することから、そう呼ばれてるんです」


 疾風船、か。

 格好いい名前だけど――帆船を思うがままに加速させるなんて、にわかには信じがたい。


「しかし、どうやって加速するです? これ、ただの帆船ですよね」

「それは、あの人がやってくれます」


 ポラはそういうと、甲板の上でハンモックに揺られているエリーを指差した。


「エリーさんが?」

「そうですよ」

「それはその……どうやって」


 ポラはうーん、と少し考えた。


「それは、実際に見た方がいいかな。その方が納得出来るだろうし」

「納得?」

「うん。きっと今のポチ君は、言葉だけじゃ理解できないですから」


 うーん。

 なんだかモヤモヤする言い方。


 俺は少し難しい顔になり、相変わらずハンモックで本を読んでいるエリーに目を移した。


 エリーのことはよく知らない。

 いや、全然知らないと言っていい。

 他のクルーと違って、一言も口をきいたこともない。


 だが、そう言えば彼女は魔法なる力を使うと言っていた。

 何か不思議な力を使って、この船を動かすということなんだろうか。

 それならば――たしかに言葉で聞くだけでは理解も納得も出来ないだろう。


「そんなことより」


 と、ポラが言った。


「ポチ君、ありがとうね」


「へ?」


 突然の感謝の言葉に、思わず顎を突き出す。


「何がです?」

「この船のことです。すごく丁寧に掃除してくれてますね」

「ああ、そのことですか。いえ、別に、与えられた仕事ですから」

「でも、すごく綺麗にしてくれてる。船長も感心していましたよ」

「マジですか」


 それは嬉しい。

 俺は小さくガッツポーズをした。


 ポラは口元に手を当て、うふふ、と上品に笑った。


「ポチ君って、とても綺麗好きですね」

「掃除が好きなんです。やるなら徹底的にやりたくなるというか」

「ふふ。ほんと、ポチ君って使える人ですねえ」


 ポラはそう言うと、俺に近づいてよしよしと頭を撫でた。


「偉い偉いです」

「あ、ありがとうございます」


 どうしてよいか分からず、俺はとりあえず頭を下げた。

 なんだか不思議な気分だ。

 シーシーにならいくら頭を触られてもなんとも思わないのに――なんか、ニヤついてしまう。


 嬉しい気持ち半分、気恥ずかしい気持ち半分。


「――っ!」


 と、その時である。


 俺は強烈な殺気を感じて振り返った。

 すると――視線の先の甲板には、顔を真っ赤にして歯噛みしながらこちらを睨みつけるキースの姿があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る