第12話 シスター


 それから、俺に肩車をされ、頭の上で指示を出すシーシーに従って、おもちゃ屋へと向かった。


 こんな街におもちゃ屋なんてあるのかと思ったが、よく考えればどんな街にも子供はいる。

 現に、シーシーの家にはブリキの玩具や布製のお人形がいくつか置いてあった。


「あ、ここだ、ここ」


 建物の前で、シーシーが言った。


「え? ここ?」

「そうだ。おもちゃ屋だ」

「でも――ここって」


 見上げると、そこは古ぼけた教会だった。

 この街では珍しい木造の家で、三角の屋根には十字架が設えてある。


 ただ――かなりボロい。

 白く塗られたペンキはところどころ剥げ落ち、庭にも雑草が生え放題。

 片隅に設えられたブランコはチェーンが外れ、壊れて傾いていた。


「ここって、教会ですよね?」


 建物を見上げながら、俺は聞いた。


「いいからさっさと入れ」


 ぺしり、と頭を叩かれる。

 俺は少し躊躇しながら、教会へと入っていった。


「あの……お邪魔します」


 戸を開くと、中はかなりあれていた。

 並べられていた椅子の半分はこけていて、ガラス窓もくすんで茶に変色している。

 

 目を上げると天井がすごく高い。

 しかし、そこには大量の蜘蛛の巣が張ってあった。


 学校の教室二つ分くらいの室内には、ここから見る限り誰もいない。

 一見するとまるで廃墟のようだが――


 スナック菓子の袋や飲みかけの酒瓶。

 開きっぱなしの漫画みたいな本。

 よく見ると、さっきまで人がいたような生活の痕が見てとれた。


 いずれにせよ、およそ教会の光景ではない。


「おーい! ばばー! きたぞー!」


 シーシーが怒鳴る。

 すると、奥から腰の曲がった老婆が姿を現した。


「あらあら。シーちゃん。いらっしゃい」


 彼女は黒と白の修道服を着た、いわゆるシスターのような恰好をしていた。

 頭には裾の大きく垂れた頭巾を被っており、皺だらけの鼻には小さな眼鏡を乗せている。


「今日は何だい? 何か欲しいものがあるのかい」

「おー」


 シーシーはそう言うと、肩の上で俺の頭をぐりぐりと掴んだ。


「今日はこいつにおもちゃを買ってやろうと思ってな」

「あらあら。なかなか格好のいいお兄さんじゃないの」

「そうか?」

「ええ、ええ。まだ坊やみたいだけど、もう少ししたらいい男になる。そんな顔だよ」

「嘘つけー。こんなボンクラが」

「照れちゃってるのかい? あら、もしかしてこの子、シーちゃんの彼氏なの?」

「バカ。こんなのが彼氏なわけねーし」


 ありえねーし、とシーシーは不機嫌そうに言った。

 それを見て、老婆はふぁふぁと顔をしわくちゃにして笑った。


「シスターのワキドナと言います」


 ひとしきり笑うと、老婆――ワキドナは俺に向けて手を差し出した。


「あ、田中陸太と言います」


 俺は彼女の皺々の手を握り返した。


「タナカ=リクタ?」

「はい。あ、シーシーさんからはポチって呼ばれてますけど」


 俺は自嘲気味に笑いながら言った。

 つられて笑ってくれるかと思ったが、ワキドナは顎に手を当て、神妙な顔つきになった。


「……変わった名前だね」

「そうですね。ポチっていうのは、まだしっくり来てないんですが」

「そうじゃないよ。タナカの方だ」

「ああ、そうみたいですね。この辺では、あまりない名前っていうか」

「確かに。でも、聞いたことのある名前だねえ」


 その言葉に、俺は目をかっと見開いた。


「え? そ、それ、ほんとですか!」

「ああ。随分前だけどね。タナカという男がいた。妙な名前だから、よく覚えてる」

「ど、どこにいたんです?」


 思わず、シスターに詰め寄る。

 ワキドナは少し驚いたように身を引いた。


「あらあら。どうしたんだい」

「ああ、すいません。つい」


 俺は半歩引いて、頭を下げた。


「こいつは記憶喪失なんだ」

 俺の代わりに、シーシーが言った。

「どうやって自分の国からここにやって来たのか、まるで覚えてない」


「ほ。なるほどねえ。それで、自分の国の出身者に会いたいと」

「そうなんです!」

「で、あんたの国は何て言うんだい」

「日本です。ニッポン、とも言います」

「ああ、やっぱり」


 ワキドナはそういうと、短く数度頷いた。

 その時、俺の心臓はどくんと跳ね上がった。


 “やっぱり”。


 今、確かに彼女はそう言った。


「し、知ってるんですか!? 日本のこと」

「ああ。私の知ってる“タナカ”も、そこからやって来たと言っていた」

「ま」


 全身に鳥肌が立った。


「マジですか!」

「ああ」

「その――その人は今どこに?」

「さてねえ。もうずいぶんと前のことさね」

「思い出してくださいませんか!」

「もうこの国にはいないと思うねえ。多分、ガンボアに帰っていると思う」

「ガンボア?」

「そう。あの男は武器商人でね。あのときは、この国に密入国していた。ガンボアに国籍があると言っていた」


 ガンボア。

 その名前を聞いて、ものすごく嫌な予感がした。


 ポラの話では、たしかその国は悪名高い“ジュベ海賊団”が根城にしている国だ。

 密入国していた、ということは、この国とも国交はないということだろう。


「シーシーさん」


 と、俺はシーシーを見上げながら言った。


「なんだ?」

「あの、ガンボアに行くことって出来ますか?」

「無理だな。あそこは秘密国家だ。領海にはジュベの奴らがうようよいるし」

「やっぱりそうですか」


 俺ははあと息を吐いた。

 

「まあ、でもノーチャンスってことはないぞ」

「え?」

「仕事があれば行くこともあるかも」

「仕事?」

「そうだ。ミスティエは何でも屋だ。金になるなら、どんな仕事もする」


「たしかにねえ」

 と、ワキドナが後を継いで口を開いた。

「あの命知らずのヤンチャ娘なら、ガンボアに行くこともあるかもしれないねえ」


「本当ですか!」

「まあ、仕事がくればの話だけど」


 シーシーは肩を竦めた。


 それで十分だ。

 今は、可能性があるだけで十分。

 なにより、この世界に俺以外に日本人がいることが嬉しいじゃないか。


 よし。

 俺の目標が一つ増えた。


 いつか、ガンボアに住む田中さんに会いに行こう。


「あの、ワキドナさん、その人のこと、もう少し詳しく教えていただけませんか」

「さてねえ。もうあんまり覚えていないよ」

「どんな些細なことでもいいんです!」

「そうだねえ」


 ワキドナは少し考えた。

 

「そう言えば、何か熱心に勉強をしていると言っていたかね」

「勉強?」

「物理学とかいう学問だと言っていたかね。武器商人なんてあこぎな職業のくせに、えらくインテリな人じゃないかと思ったことを覚えてる」


 物理学、か。

 そのタナカさんは、日本では学校の先生でもやっていたんだろうか。


「あの、その他には――」


「なんだポチ。オメー、そんなに帰りてーのか?」


 俺の様子を見て、シーシーが不満げな声で割って入る。


「え? あ、ああいえ、そんな」

「嘘言え! お前、うちのペットなのがそんなに嫌なのか!」


 そう言って俺の髪の毛をわしゃわしゃと揉みしだく。

 俺はすいませんすいませんと謝った。


「それで? 今日は何の用だい?」


 ワキドナが何だか微笑ましそうに俺たちを見ながら聞いた。


「おう、そうだそうだ」


 シーシーは再び俺の頭をがしりと掴んだ。

 そして、今度はそれをぶんぶんと横に振る。


「今日はこいつに、おもちゃを買ってやろうと思ってな」


 なるほど、と言って、ワキドナはにやりと笑った。


「そりゃあ毎度ありだね。それで、この子、経験はあるのかい?」

「ない。ど素人だ」

「そうかい。なら、丁度いいかもね。実は昨日、上物のオートマチックが一つ手に入ったところなんだよ」

「おー。いいタイミングだな、ばばー」

「なかなか上等だよ。なんとM1911だ」

「えむいちきゅーいちいち!?」


 キュピーンと目を輝かせ、シーシーは大きな声を出した。


「すげー! 見せて! 早く見せて!」


 よくわからないが、俺の頭の上でとても興奮している。

 ワキドナはワキドナで、年甲斐もなくドヤ顔をしていた。


「それじゃあ、ついといで」


 そうして、俺たちは彼女について行った。


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