第11話 シーシーとポチ


 次の日。


 目が覚めると、やはりポラはいなかった。

 今日はかなり早く目を覚ましたんだけど――彼女は一体何時に起きてるんだろう。

 俺は甲板の床拭きをして、筋トレを軽く行ってから、シーシーの家に向けて船を出た。


 今日は生憎の曇天である。

 灰色の雲が、空一面に蓋をしている。


 昨日、ポラからもらった地図を眺めながら街を歩いた。

『第13地区、メラーモブストリート 8-51 メゾン「ルチャラ」301号室』

 大雑把な地図の上に、そのような番地が書かれてある。


 すれ違う人はみな粗末な格好をしていた。

 ボロボロの服や靴、酷い人は裸足である。

 そのくせ、ほとんどが煙草をふかしていて、吸い終わったらその場に捨てる。

 ところ構わずつばを吐きまくり、立ちションもしまくってる。

 時々、怒鳴り声がするし、朝っぱらから銃声まで聞こえる始末だ。


 俺はなるたけひとの良さそうな人を選んで道を聞きながら、どうにか第5地区へと入った。

 その間、物乞いのような人に3度声をかけられた。

 

 よく考えると、この街を一人で歩くのは初めてだ。

 いやあ――なんというか、すげー胸がドキドキする街だ。

 

 看板に「メラーストリート」と書かれた通りに出た。

 煉瓦造りの安いアパートが並んでいる。


 しかし――妙だ。

 俺はふと疑問に思った。

 シーシーは恐らくミスティエからかなりの給与をもらってるはずなのに、どうしてこんな治安の悪そうな貧困地区に住んでいるんだろう。


 いや、それを言うならポラもそうだ。

 というか、船長だって安いものばかリ食べてるし、おかしいと言えばおかしい。

 彼女たちは、衣食住にこだわりがないのだろうか。


 一棟一棟注意深く見ていくと、大通りから5軒目に「ルチャラ」があった。

 外壁に蔦が巻きついた、古いアパートだ。

 目を上げると、向かい側の建物に紐を何本も伝わせていて、そこに洗濯ものなどを干してある。


 俺は階段を上り、301号室へ向かった。

 それから、少し弱めにドアをノックした。


「シーシーさん。俺です。陸太です」


 反応はない。


「シーシーさん。ポチです!」


 今度は強めに言ってみる。

 しかし、やはり反応はない。


 俺は少しためらったが、ドアノブを掴んで捻ってみた。

 がちゃり。

 思わず、目を見開いた。


 ――開いてる。


「すいませーん。シーシーさーん」


 ドアを開き、顔を突っ込んだ。

 すると――つんと饐(す)えたような臭いが鼻をついた。


 ゆっくりとドアを全開にし、外の光を入れると、すごく散らかった廊下が目に入った。

 食べ物のカスや紙くず、それからよくわからない形状のおもちゃのようなものなどが散乱している。

 まさに足の踏み場もない。


 俺はそこから何度も声をかけた。

 しかし、やはり返事は帰ってこない。


 俺はしばし考えた。

 勝手に部屋に入ったら、怒られるかもしれない。

 だが、このままシーシーさんに仕事のことを伝えずに帰ったら、多分船長に殺される。


「……シーシーさん。入りますよ」


 恐る恐る、足を踏み入れる。

 ゴミだらけの廊下を抜けると、8畳ほどの部屋に出た。

 そこも廊下と同じく酷く散らかっており、酸っぱい臭いが部屋中に充満していた。


 俺は部屋を見回した。

 すると、一番突き当りの壁にベッドがあり、そこでシーシーが体を丸めて寝ていた。


「し、シーシーさん。起きてください」


 俺は彼女を揺り起こした。

 しかし、むにゃむにゃいうだけで、とても起きそうにない。


 ふむ。

 俺は腕を組んだ。

 そして、強烈な欲求に襲われた。


 ――片づけたい。


 俺は掃除好きなのだ。

 こんなに散らかった部屋を見ると、うずうずしてくる。


 というより――許せない。


「そう言えば、近所に商店があったな」


 俺は一人ごちた。

 ごそごそと、ポケットをまさぐる。

 すると、一昨日に船長からもらった札が3枚入っていた。


「よし」


 俺はうなずき、腕をまくった。

 シーシーが起きるまで、ここを掃除しよう。


 

 ――5時間後。



 俺は最後に仕上げに、リビングの床を雑巾で拭いていた。

 大量にあったゴミは麻袋に入れて廊下に出している。

 全部で5つにもなった。

 おもちゃや貴重そうなものは壊れていても取っておいた。

 シーシーが起きたら、ごみを捨てる場所を聞いてみよう。


「ん~むにゅ?」


 妙な声がして目をやると、シーシーが起きていた。

 ベッドの上で女の子すわりをしながら、目を擦っている。


「あ、おはようございます」


 俺は立ち上がり、額の汗を拭いながら言った。


「ん~だれー?」

「陸太です」

「だれ?」

「――ポチです」

「ポチ!?」


 シーシーは目をかっと見開いた。


「おー! ポチじゃん! 何してんの! いやその前に! どこだここ!?」


 シーシーはきょろきょろと辺りを伺った。


「すいません。シーシーさんが起きるまで、暇だったんで掃除してました」

「掃除!」

「はい」

「なにそれ!」

「な、なにそれって――部屋を綺麗にすることです」

「ほんとだ! キレーになってる! どこだここ!」


 彼女は目を丸くして部屋を見回した。

 それから俺を見て、飛び掛かって来た。

 

「何だお前!」

「す、すいません。勝手にしちゃまずかったですか」

「いや! いいぞ! 使えるな! ポチ!」

「ああ、よかったですか」

「褒めてやる! よしよし!」


 シーシーは俺の体を器用に回り、背中にへばりついて頭を撫でた。


「あ、ありがとうございます」

「腹減った!」

「え?」

「飯行くぞ!」

「へ?」


 彼女は背中をよじ登り、肩車をする形になった。

 それから俺の頭を持ち、「いくぞー!」と言った。


 Ж


 それから俺とシーシーはゴミを捨ててから、近所の裏びれたレストランに移動し、朝食――というより遅めの昼食を取った。

 汚い店だった。

 日本なら、10個くらい衛生法に引っ掛かりそうなくらい。


 だが、味はやっぱり悪くなかった。

 よくわからない麺料理を食いながら、昨日船長から聞いた話を伝えた。


「んー、よくわかんないけど、3日後に船を出すんだな」

 シーシーはずぞぞと麺を大口で頬張りながら言った。


「そういうことみたいです」

「よし。分かった」

「よろしくお願いします。では、確かに伝えましたよ」

「おー」

「それでは失礼します。今日はご馳走様でした」


 そう言って、俺は立ち上がった。

 するとシーシーは「ちょっと待て」と俺の袖を掴んだ。


「どうかしました?」

「お前、これから暇か?」

「ええ。トレーニングをしようかなと思ってたくらいですけど」

「よし。それじゃあ、お礼におもちゃを買ってやる」

「お礼?」

「掃除をしてくれたお礼だ」


 シーシーはにっこりと笑った。


「い、いいですよ、そんな」

「うるさい。買うと言ったら買うんだ。つーか、うちも欲しいし」


 彼女は「とうっ」と言うと、またぞろ俺に張り付き、肩の上に登った。

 

「わ、分かりました」

「ありがとうございます、は?」

「ありがとうございます」

「よーしよし」


 シーシーは俺の頭をゴシゴシと乱暴に撫でた。

 髪の毛がぐしゃぐしゃだ。

 だけど、まったく嫌な気持ちにはならない。


 海賊たちを無慈悲に殺していた彼女とは全く印象が違う。


 店内を出ると、少し雨が降り始めていた。

 気にするほどでもなかったので、俺はシーシーを肩車したまま歩き出した。

 それから、彼女の行きつけのおもちゃ屋へ向かう。

 

「昼飯、美味かったか?」

「はい。とても」

「それはよかった」

「はい。よかったです」

「また、一緒に食おうな」

「はい。ありがとうございます」

「へへ」


 シーシーは満足そうにニコニコしながら、鼻の下を人差し指でさすった。


 うーん。

 こうしていると、本当にただの子供だ。

 つか、めちゃくちゃ可愛い。


 苦笑しながら角を曲がると、一際汚い裏路地に出た。


「……ポチ。止まれ」

「え? どうしたんです?」


 シーシーの言葉で、俺は足を止めた。


「おい! なんの用だ、てめー」


 その声を合図に、家の隙間から一人の男が出てきた。


 長身痩躯の男だ。

 海賊帽を被り、背中に大きなサーベルを背負っている。

 ひどく猫背だ。


「キャラコ海賊団の狙撃手、シーシー=プリストさんですね」

「そーだ。おめーは誰だ」

「手前、チェスター海賊団の甲板長、サヴライと申します」

「サヴライ? おう、こりゃあ大物が来たな」

「知っておられましたか」

「当たり前だろ。お前、超有名人じゃんか。チェスターんとこの船長(ボス)の右腕だろ」

「左様で」

「で? その右腕がうちに何の用だ?」


 サヴライは半歩、前に出た。


「この間、うちのゼルビーがお世話になったそうで」

「ああ。うちらが殺したな。それで? 復讐にでも来たのか?」

「まさか。白木綿(キャラコ)海賊団のクルーに喧嘩を売る気はないですよ。ただ――挨拶だけはしとかないと」


 サヴライは目を細めた。

 その刹那、俺の体中にさぶいぼが立った。

 そして、同時にえもいわれぬ悪寒が走る。

 

 ――怖い。


 サヴライから発せられる殺気に、俺は震えが止まらなくなった。

 この男――めちゃめちゃ、途方もなく強い。

 ほとんど本能的に、俺はそう思った。


 今すぐ、この男の近くから逃げ出したい――


「挨拶、ね」


 シーシーは不敵に笑い、右腕をぐるぐると回した。


「やるんか? うちは一向に構わんぞー?」

「……随分と自信がおありのようで」

「当たり前だろ。うちを殺したいなら、てめーんとこの船長か、副船長を呼んで来い」

「私なら勝てると?」

「うん。余裕だな。うちが10としたら、お前は6か7ってとこか」

「舐められたものだ」

「舐めてねーから。お前がつえーのは分かってるっつーの。分かりまくりだっつーの。ただ――」


 シーシーは親指で自分を指した。


「うちのほうが強いだけ」

 

 サヴライはふっと笑った。

 と同時に、殺気も消え去った。


「なんだ? やらないのか?」

「ええ。今日はご挨拶に来ただけで」

「つまんねー」

「申し訳ありませんね。では――ミスティエ船長にお伝えください」

「なんだ?」

「ゼルビーはマイア島の顔役だった。お前らのおかげで、随分と損失が出てしまった。この落とし前はいつかつけさせてもらう」

「しらねー」


 シーシーは首を横に振った。

 サヴライはその様子を不愉快そうに見つめた後、「失礼します」と言った。

 その直後、垂直に跳躍し、マンションの屋根の向こうに消えていく。

 

 俺は緊張が解け、思わずはあと深い息を吐いた。


「よし。じゃあポチ、おもちゃ屋いくぞ」


 と、シーシーが言う。


「な、何事もなかったように言わないでくださいよ」

「なんだ?」

「今の――結構やばい人だったんじゃ」

「うん。まあ、やばいな」

「大丈夫なんですか?」

「バカ。あんなんでビビってたら、海賊なんて出来ねーぞ」


 にゃははー、とシーシーは俺の頭の上で無邪気に笑っていた。


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