第9話 リバポ商会
リバポ商会のビルは海沿いに面した道路沿いに建てられていた。
その向こうには観光地のように美麗な砂浜と、遥かなオーシャンビューが広がっている。
そのビルこれまでこの街で見てきた中でも一番大きかった。
外壁を綺麗に茶色く塗装されていて、遠くから眺める、まるでドでかいチョコレート板のように見える。
スラムのような街から歩いて一時間もかからない場所に、こんなリゾート地のような場所があるというのは、なんだか不思議な気分だ。
橋の向こう側とこちら側。
すぐ近くにあるのに、全く違う世界のようだった。
仰々しい門扉を抜けて、前庭へと入っていく。
エントランス付近には、黒い服を着た男たちがうろうろしていた。
みな身のこなしが只者ではなく、港町にいたチンピラたちとは訳が違う感じがした。
普通なら、しり込みしてしまいそうな物々しい雰囲気。
「や、やばそうなとこですね」
「まあな」
「リバポ商会って、どういう組織なんですか?」
「普通の企業だよ。綿花やら食いもんを輸入してる」
その割には出入りしている連中がおっかない。
俺は眉を寄せた。
この人たち明らかに――堅気じゃないっす!
「そうだよ」
ミスティエは俺の顔を見て、笑いながら言った。
「もちろん、ただの商人じゃねえ。裏ではここのカジノやらクラブやら、この街のきな臭ぇもんのほとんどを仕切ってる大物だ」
俺はごくりと喉を鳴らした。
いきなり、そんなやばそうな人に会いに行くのか――。
だっていうのに、ミスティエは物怖じした様子もなく玄関ホールへ向かって歩き出した。
俺はその後ろを、まるでコソ泥のようにひょいひょいと付いていった。
そうしていざ建物へ入ろうというとき。
ミスティエの目の前に、サングラスをつけた大男が二人、立ちふさがった。
「キャラコ海賊団の船長さんですね」
「そうだよ」
「お話は伺っております」
「ならさっさとどけ。でけえ男は嫌いなんだよ」
「後ろの方はどなたでしょうか」
「部下だ」
「部下?」
「そうだ」
「あなたの船に男はいませんでしたよね」
「新入りだよ」
「新入り?」
「そうだ。昨日拾った」
「申し訳ありませんが、こちらが把握していない人間を建物内に入れるわけには参りません」
「んだと?」
「ここからはミスティエ様だけでお願いします」
ミスティエは不機嫌そうに眉を寄せた。
そして、無言で手を伸ばすと、2メートルはありそうな男の喉元を掴んだ。
彼女の綺麗な手が、男の喉元にギチギチと食い込んでいく。
男は苦悶の表情を浮かべ、ぐぅ、とくぐもった声を出した。
「ふざけるな。呼んだのはそっちの方だろ」
「で……ですが」
「ボスから聞いてねえのか。あたしを怒らせるな」
ミスティエはぶんっ、と3メートルほど男を放り投げた。
そのままホールへ入ろうとする彼女を、もう一人の男が制止しようとする。
その男の鳩尾(みぞおち)に思い切り蹴りを入れると、さらに掴みかかってきた3人を一瞬でノックアウトした。
そうして何事もなかったようにすたすたと入っていく。
「ポチ。行くぞ」
ミスティエが顎をしゃくる。
「あわわわわ」
こ、この人、マジでヤベェ人だ。
頭のネジが飛んでるよ。
俺は大男たちが悶絶する中を、すいません、とペコペコしながら付いていった。
ビルに入ると、エントランスホールの中央には巨大な階段が設えてあった。
ミスティエはふんぞり返りながらそれを上がった。
登り切ったところに、スーツを着た男が一人、立っていた。
今度は背の低い小男だ。
ちょび髭を生やしていて、髪の毛はかなり薄い。
それを無理やり後ろに撫でつけている。
「よく来たな」
「よう」
「今日はポラさんは」
「役所に行ってる」
「後ろの男は」
「ポラの代わりだ」
「……」
小男は少し考えた後、「こっちだ」と言って、俺たちを奥へと促した。
絨毯敷きの廊下を歩き、つきあたりにあるエレベーターに乗る。
エレベーターと言っても、俺の知っている箱型のものではなく、ぐるりに格子がついただけの旧式のそれだ。
「キース。お前んとこは見張りにどういう教育してやがるんだ」
「なんだ」
「客に対しての礼儀ってもんを知らねえ」
「礼儀、ね。お前が言うとたちが悪い冗談にしか聞こえないな」
「たちがわりぃのはお前の髪型だろ。ハゲの癖にあがきやがって」
「……お前が親父の贔屓(ひいき)じゃなきゃ、俺は100回お前をぶっ殺してる」
小男――キースはミスティエを睨みつけた。
カハハ、とミスティエは笑った。
やがて一番上のフロアにつくと、目の前にはまた長い廊下が伸びていた。
1Fとは違い、今度のは幅が広く、装飾も格段に豪華になっている。
ただ――趣味は悪い。
キラキラと派手なシャンデリアや鎧甲冑などが無秩序に並んでいる。
金をかければいいと考えてそうな感じ。
そんな悪趣味な廊下を、キースについて一番奥の部屋に向かった。
「親父。ミスティエが来たぞ」
キースが扉の外から声をかける。
すると「入れ」と中からガラガラの声が返ってきた。
「やあやあ、ミスちゃん。よく来たねー」
ミスティエの姿を見るなり、奥で机に座っていた男が立ち上がった。
両手を広げながらこちらに歩いてくる。
昨日の夜、サヴァルが言っていた「ジノ会長」はこの人のことだろう。
巨大なアフロのおじさん。
それが彼の第一印象だった。
アロハシャツのような軽薄な上着を着て、下はハーフパンツ。
トンボのようにでかいサングラスをかけ、やたらとニコニコしている。
そのジノ会長の周りに、これまた強そうなボディーガードが3人ついている。
「相変わらず美しいネー。今日も白木綿(キャラコ)がよく似合ってるヨ」
そう言って、ジノが無理やりハグをする。
ミスティエは怒るかと思ったが、意外にも微笑んだ。
「久しぶりだネ。いつ以来だっけ」
「騎士団の連中とのもめ事を治めたのが最後の仕事だったな」
「ああそうだった、そうだったネ。うれしい」
「いい加減離れろ。これ以上は金をとるぞ」
ミスティエが言うと、ジノはぱっと離れた。
「あーゴメンね。嬉しくて、つい」
「で、話はなんだよ」
ミスティエはぼふん、と長ソファに座った。
「なんだネ。もう仕事の話? もうちょっとプライベートな話しようヨ」
「嫌だね。女と話したいならモーゼフの店にでも行くんだな」
モーゼフ。
その名を出した途端、室内の空気が一変した。
ジノとキースの顔色が変わったのだ。
周りにいる黒服たちがピリつくのが分かった。
短い沈黙が落ちる。
俺は体を硬直させて、一人で緊張していた。
なんかよくわかんないけど――すげー怖いんですけど。
「アハハ。やっぱりミスちゃんは最高だネ。普通、ワタシの前でその名は出せないね」
やがて、ジノが笑い声をあげた。
「どうしてだ?」
「とぼけないネ。ミスちゃんも、あのチンピラを私が心底嫌ってること、知ってるでしょ」
「くっく。仲良くしろよ、同業なんだから」
ミスティエはにやりと笑った。
「調子に乗るなよ、キャラコ」
キースが顔をしかめ、口を挟んだ。
「あんまり舐めたこと言ってると、いくらお前でも潰すぞ」
「は。ライバルの名前出しただけでムキになるなよ」
「ライバルじゃねえ。あんな移民野郎と親父を対等に語るな」
「なら、堂々としてろよ。みっともねえ」
ぐっ、とキースはギリと奥歯を噛んだ。
それを合図に、両脇に控えるボディガードが懐に手を入れた。
よくわからないが――シャレになりそうもない雰囲気。
「せ、船長。やばいですって」
俺はミスティエに耳打ちした。
体中から汗が吹きだしている。
この人は――全員に喧嘩を売らなきゃ気が済まないんだろうか。
やめるネ、とジノが目顔でボディガードを制した。
「ミスちゃんの言う通りネ。あんな三下なんかどうでもいいネ」
ジノはミスティエの向かい側にどすんと座った。
「それじゃ、仕事の話に入ろうカ」
「おう」
「実は、今度ムンター国から大物が来るネ」
「大物?」
「そう。ミスちゃん、ウェンブリー社って知ってル?」
「ああ。メンフィカにある魔石採掘企業だ」
「さすがネ。海外の会社にも詳しイ」
「ゴマすりはいいから、続きを話せ」
「ごめンごめン。で、そこの社長がワタシの知り合いでネ。来週、社の幹部をフリジアへ送るっていうのヨ」
「フリジアに? 一体、何をしに」
「下調べしたいみたいネ。新しい市場として。この国は、あまり魔石が流通してないからネ」
ふーん、とミスティエは目を細めた。
それで、とジノはつづけた。
「それで、ミスちゃんたちにはそのウェンブリー社の幹部の護衛を頼みたいネ。護衛地域はアデル湾に入る手前の港かラ」
「入り湾だけか」
「そうネ。最近の湾はイカレてるヨ。特にジュベとミュッフェン、調子に乗りすギ」
「確かにな」
「ミスちゃんもそう思ウ?」
「あれだけ暴れりゃ、そりゃ目に付くぜ。あいつらはでかくなりすぎたんだ。部下の統制が行き届いてねえ」
「同感ネ。特にジュベの奴らは何でも手を出すから始末に悪いネ。誰彼構わず、民間船を襲ってル。もう、護衛なしじゃおいそれと海運出来ないね」
「しょうがねえな。それだけ、今この海は金が唸ってる」
「しょうがないじゃないヨ。あいつらのせいで、輸送費が高騰してみんな迷惑してル」
「みんなって誰だ?」
「みんなって言ったらみんなヨ。私の友達、全員ヒーヒー言ってるネ」
「へ。てめえら全員悪者じゃねえか。悪党が悪党の文句言うなよ、ダセぇから」
ミスティエは煙草を咥え、火をつけた。
「まあいいよ。で、どうして海軍が仲介に入ってるんだ?」
「別に口利きというわけじゃないネ。向こうから今回の件に探り入れてきたのヨ」
「探り?」
「そうよ。なんでも、ラングレーは魔法技術にも力をいれるそうネ。それで海軍は今、他国の魔石を扱う企業を秘密裡に調べてるみたいネ」
「ほう」
「無事にその幹部がフリジアに着いたら、詳しい話を聞きたいらしくてね。だから今回は護衛と一緒に、仲介もしてほしいみたいヨ」
「仲介? 誰に」
「もちろん、ミスティエちゃんに」
「あたしに?」
「そうよ。あのサヴァルという男、知り合いでしょ?」
ジノは葉巻を取り出し、加えた。
すかさず、キースがそれに火をつける。
「うちと海軍の中将が直接会うのは色々と不味いからね。ワンクッションおきたいワケ」
「なるほどね。そういうことか」
「どうすル? 今回は上手くいけば海軍にも恩を売れるし、悪い話じゃないと思うけド」
「ギャラは?」
「300」
「ただの護衛で300か。随分と太っ腹じゃねえか」
「3分の1はお上の税金ヨ」
「は。真面目な市民が怒り狂いそうだな」
ミスティエはにやりと口の端を上げた。
「いいぜ。やってやる」
「契約成立ネ」
ジノは破顔し、パン、と手を叩いた。
「それじゃあ、当日はこのキースを同行させるネ。何か必要なものがあったら、コイツに言ってネ」
ジノはキースを見た。
「頼んだゾ」
「は」
ジノは丁寧に頭を下げた。
「それから、そこに兄ちゃン」
続いて、ジノは俺を見た。
「は、はひ! なんでしょう」
「今聞いた話、口外したら駄目ヨ」
「も、もちろんです!」
「もしも誰かに話したら、命はないかラ。あなたの友人恋人、みーんな死ぬかラ」
「はいぃ!」
俺はまるで背中に定規を突っ込まれたようにピンと伸ばしながら言った。
こ、こええ。
怖すぎる。
こんな情報、マジで知りたくなかった!
「そういうことだ、ポチ。覚悟決めろよ」
ミスティエはニヤニヤしながら俺を見た。
もしかして――この人、俺にわざと重要な秘密を握らせたんじゃ。
そんな風に悟り、俺ははあと深いため息をはいたのだった。
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