第8話 ミスティエ


「うるぁ!」


 怒声が聞こえて、俺は飛び起きた。


「いつまで寝てやがる、ボケ!」


 はっきりしない頭で辺りを見回す。

 ぼんやりとした視界がやがてクリアになる。


 ここは――どこだっけ。


 一瞬そう思ったが、キャラコの顔を見て、すぐに現状を思い出す。

 ああそうだ。

 俺は……海賊に拾われたんだった。


「す、すいません!」


 俺はごしごしと目を擦った。


「ポラはどこだ」

「ポラさん、ですか」


 俺は向かいのベッドに目をやった。

 彼女の姿はなく、綺麗に整頓されていた。


「さ、さあ」

「聞いてねえのか?」

「はい。すいません」

「ああ、今日はモスクの開放日だな。ちっ。どうもタイミングがよくねえ」


 イラついた様子で鼻に皺を寄せる。

 自分が怒られているわけではないのに、なぜかドキドキする。


「まあいいや。それじゃあ、テメーでいい」

「はい?」

「ついてこい」

「ど、どこへ」

「とりあえずさっさと立て」


 そう言って、首根っこを掴まれる。

 片手で、ひょいと立たされる。


 俺――体重70キロはあるんですけど。


「ポラの代わりだ」

「ポラさんの――代わり?」

「今から、ジジイんとこに話を聞きに行く。ややこしい話だったら、オメーが代わりに覚えるんだ」

「え?」

「んだよ」

「いえあの、い、いいんですか? そんな大事な役、僕で」

「いいよ、別に」

「僕を、信じてくれるんですか?」

「あたしが信じてるのは自分だ」


 頼んだぜ、と俺の後頭部を叩く。

 俺は「はい!」と大きく返事を返した。


 船室から外に出ると、外は雲一つない快晴だった。

 カモメが鳴き、清々しい潮風が頬を撫でる。

 あまりに心地よくて、俺はうんと伸びをした。


「おら。さっさと行くぞ」

「はいー」


 先んじて歩き出したキャラコの少し後ろにつく。

 

「あ、あの」

「なんだ?」

「昨日は、ご馳走様でした」

「何がだよ」

「晩御飯です」

「けっ。行儀のいい奴だな」

「あの、とても美味しかったです」


 先ほどまで機嫌が悪そうだったのに、その言葉で急にぱあと表情が明るくなる。


「そうだろ? あそこはよ、酒は不味いが飯はうめえんだ」

「は、はい」

「ポチ、おめえ、分かってんな! 他の奴らはみんな悪口言うんだよ。安っぽいとか油っこいとかよ」

「僕は最高に美味しかったです!」

「よし、じゃあ、今度また連れて行ってやるから」

「ありがとうございます! えーと……」


 俺はそこで言葉を止め、前から思ってたことをキャラコに聞いた。


「僕、キャラコさんのこと、何て呼べばいいでしょうか」

「船長と呼べよ。それ以外にねえだろ」

「キャラコ船長――で、いいんでしょうか」

「キャラコは名前じゃねえ。あたしの名前は――」

「ミスティエさん」


 先回りして答えると、キャラコは眉をひそめて顎を上げた。


「あ、す、すいません。違いましたか」

「いや、あってる。だが、気安く呼ぶな。あたしはお前の親分だ」

「そ、そうですよね。すいません」


 俺はぺこぺこと頭を下げた。

 

 だが、やはり思った通りだ。

 キャラコは愛称のようなもので、彼女の名前はミスティエ。


 外見に似合わず、結構可愛い名前だ。

 

「ミスティエ――船長」


 思わず、口に出していってみる。

 うん。

 いい名前だ。


「だからうっかり呼ぶんじゃねえ。金玉引きちぎるぞ」


 ミスティエは俺の首に手を回し、ヘッドロックを仕掛けた。

 締め付けは女の力ではなかったが――頬に当たる柔らかなふくらみは明らかに女性のそれだった。


「す、すいません」


 俺は苦しみの中、半笑いになって謝り続けたのだった。

 

 Ж

 

 それから俺たちは船を出て、昨日行った繁華街とは反対方向へ向かった。

 ミスティエは歩くのが早く、途中からほとんど小走りになってしまう。


「おめえ、朝飯食ってねえんだろ」


 つと、少し歩いたところで、キャラコが急に立ち止まった。


「は、はい」

「ちょっと待ってろ」


 キャラコは近くにあったパラソルのような幌(ほろ)の屋台に向かった。

 そして、そこで肉まんのような形状のものを3つ買った。


「ほれ」


 そのうちの一つを、俺に差し出す。


「あ、ありがとうございます」


 俺はぺこりと頭を下げた。


「ここのムッベはうめえんだ。覚えとけ」


 そう言って、がぶりとそれ(ムッベというらしい)に齧りついた。

 俺もそれに倣って、思い切り食いついた。


「うま」


 俺は思わず唸った。

 なんていうか、饅頭皮の中に濃厚なスパイシーソースで味付けた魚の餡を詰め込んだ感じ。

 朝食にして刺激的だけど――高校生にはたまらない味だ。


「だろ」


 キャラコはニカッと白い歯を見せて、俺を指さした。

 

 うーん。

 さわやかで良い笑顔。

 とても昨日、人を殺しまくった人には見えない。


 まあ――その辺はあんまり深く考えなうようにしよう。

 とりあえず腹が減っていた俺は、ガツガツとあっとう言う間に平らげた。


「はっは」


 その様子を見ていたミスティエが肩を揺らして笑った。


「な、何です?」

「いや、シーシーの奴の気持ちが分かった」

「どういうことでしょうか」

「ポチ。オメーよ、ペットの素質があるぜ」


 ペットの素質。

 それは果たして、喜んでいいことなのだろうか。


「ありがとうございます!」


 心の葛藤とは裏腹に、俺は半ば反射的に盛大にお礼を言っていた。

 たぶん――こういうところなんだろうな。



 Ж


 港街を抜けると、昨日歩いた道とは逆の方向へと進んだ。

 そうすると、汚くて治安の悪そうだった景色に段々と変化が見られた。


 まず、薄汚い落書きが消えた。

 それからゴミが徐々に減っていき、饐えたような臭いもなくなっていく。


 そしてそれは、入り江に架けられた橋を超えたあたりでいよいよ顕著になった。


 往来は清潔になり、手入れされた植物や人工的に植わった花まで見える。

 建物も長屋のような安普請が減っていき、門扉や庭付きの一戸建てが現れた。

 歩いている人間の身なりも明らかにスマートになっている。

 

「あの、なんか――街の雰囲気が変わりましたね」

「ここから先は金持ちの街だ」

「そ、そうなんですか」


 俺は辺りを見回した。


「な、なんか、治安が良さそうですね」

「そう見えるか?」

「はい」


 ミスティエはくっくと肩を揺らして笑った。


「お前は本当にお坊ちゃんだな」

「へ?」

「いいか。生活ってのはな、外見が綺麗なものが安全とは限らねえんだ」

「どういう――意味でしょうか」

「説明はしねえ。だが、教えといてやる。ここはスラムなんかよりよっぽど危険なところだ。それから――」


 ミスティエは真面目な顔になり、人差し指を一本立てた。


「このエリアの警察は絶対に信用するな」

「警察?」

「そうだ。やつらは、この国で一番の悪党だ。貧乏人には容赦ねえぞ」


 それだけ言い、すたすたと歩きだす。


 警察が一番の悪党。

 聞きなれない言葉に、思わずぶるりと体が震えた。

 

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