第7話 二つのベッド
「じゃあ、こっちのベッドがポチ君のだから」
ポラがにこりと笑いながら、自分とは反対側の寝床を指さした。
そして、自らはその対面のベッドに座る。
「あ、はあ」
俺は間の抜けた声を出しながら、辺りを見回した。
天井からぶら下がるレトロなカンテラ一つで照らされる室内。
ベッドが両脇に二つにあり、真ん中に鉄で出来たテーブル。
奥にはクローゼットがあり、その横にはずらと本棚が並んでいる。
揺れる床。
ざあざあという波音も聞こえる。
狭い部屋だ。
天井も低い。
当たり前である。
ここは――
キャラコ海賊船の船室なのだ。
「あの、ポラさん、ここで暮らしてるんですか?」
「うん。そうですよ」
ポラはにこりと笑って小首をかしげた。
どうしてですか、と聞こうとして、口を閉じる。
きっと、お金の問題だろうと思った。
あんまり給料もらってないのかな。
「あの、いいんですか?」
と、俺は聞いた。
「うん。遠慮なく暮らしてください」
「ああいえ、そうじゃなくて」
「ん? なんですか?」
「いえその……僕、男ですけど、良いんでしょうか」
「うん。いいよ」
「いや、いいよ、じゃなくて、その、嫌じゃないんですか?」
何と言っていいか分からずしどろもどろになる。
二つのベッドの間隔は2メートルも離れていない。
その気になれば、一秒で移動できる距離。
男と女が健全(プラトニック)に暮らせる隔たりではない。
「ああ、そういうことですか」
ポラはやっと意味が分かったと言うように微笑んだ。
「私は大丈夫ですよ。別に気にしてません」
「でも」
「ポチ君はどうです? やっぱり、ムラムラしちゃいます?」
「む、ムラムラって――」
「そうですよねー。年頃の男の子ですもんねー」
顎に手を当てて、空中に目線を泳がせる。
「い、いや、まあ、なんていうか――」
俺はしどろもどろになりながら、何やら考え込むポラの横顔を見た。
近くで見ると、すごい美少女だ。
そして、バレないように、徐々に視線を下にずらしていく。
今はメイド服は脱ぎ、かなり薄着になっている。
そのせいで肌は露になり、体の線もはっきりと視認できた。
陶器みたいな美しい白い肢体。
胸はそれほど大きくないけれど――細身だけど肉付きのいい健康的な体は妙に艶めかしい。
「べ、別にそういうことは無いですけど」
俺は嘘を吐いた。
こんな美しい人と狭い部屋に二人きり。
ムラムラするなという方が無茶だ。
俺はとっさに目をそらし、ごほん、と空咳をした。
「ならいいじゃないですか」
「ま、まあ、ポラさんが嫌でなければ」
「私は嫌じゃないですよ。ただ」
「ただ?」
「どうしても欲情してしまったら、なるべく自分で処理してくださいね」
天使みたいに可愛い笑顔で、そんなことを言う。
俺は痛いくらい胸がドキドキした。
「しょ、処理って――」
「言って下されば、ソレが終わるまで外に出ときますので」
はっきり言う人だ。
何故か、こちらの顔が赤くなった。
しかし――と俺は手に汗を握った。
最後の一言が頭に残っている。
俺はこの耳で確かに聞いた。
なるべく、自分で処理してください。
彼女は確かに、そう言った。
それはつまり、俺がもう、自分ではどうしようもなくなった場合。
その時は、ポラさんが“処理”を手伝ってくれるということなんだろうか――
ああ、いかん。
俺はぶるぶると首を振った。
なにを考えているんだ俺は。
どうやら相当疲れてる。
「じょ、冗談は置いといて」
俺は話題を変えた。
声が裏返った。
「でも――ここって治安とかどうなんですか? すぐそこに港もあるし、女の子が暮らすのはちょっと」
「それはもっと大丈夫です。ま、ある意味でここはフリジアで一番安全な場所かもしれませんからね。この街に暮らしてる人で、この船に忍び込む人はいませんよ」
「言い切りますね」
「ええ。言い切れます」
「何故ですか?」
「ここがキャラコ海賊団の船だからです」
ポラは言い切った。
つまり、この船はそれくらい恐れられている、ということか。
すごい自信。
「船長って……そんなにすごい人なんですか?」
「うーん。すごいと言えばすごいですね。有名人だし。顔も広いし。腕利きの傭兵だし。でも、それより」
「それより?」
「畏怖(こわ)い人」
「こわい人……?」
俺はごくりと息をのんだ。
たしかに、彼女は相当怖い。
「ええ。そしてそれを、この街の多くの人間が知っています。だから、この船が襲われることはない」
「な、なるほど」
「ポチ君も、もしもチンピラさんに絡まれたりしたら、船長の名前を出せば大概はなんとかなりますよ」
「そ、それはありがたい――けど、あの方、そんなに恐れられてるんですか」
うーん、とポラは少し考えた。
「なんて言うんですかね。恐れられてますけど、それだけじゃないんですよねー」
「それだけじゃない?」
「うちの船長はただ怖がられてるだけじゃないんですよね。なんていうか、言葉にできないカリスマみたいなものがあるんですよねー。蠱惑的というんですかね。接していると、知らず知らずのうちに魅了されてしまうような。そういうの全部ひっくるめて、“こわい”んです」
「ああ……なんか、分かる気がします」
実際、俺も酷い言葉をかけられながら、何度か彼女に見惚れてしまった。
単純な怖さや美しさだけじゃない、ナニカに。
「でしょう!」
ポラは胸の前でパチン、と手を叩き、急に大きな声を出した。
「そうなんですよ! 船長ってば、すごいから! やっぱ分かるんですね! でもでも、意外と乙女なところとかもあって――」
それから、彼女はキラキラと目を輝かせて「いかに船長がカッコいいか」「どんなところに惚れているか」を延々としゃべった。
この人――もしかして、ただのキャラコのファンなんじゃあ。
Ж
「ああ、もうこんな時間ですね」
散々喋り倒した後、ポラは壁掛け時計に目をやった。
午後11時を過ぎている。
「それじゃあ、今日はもう寝ましょうか。ポチ君も、疲れたでしょう」
俺は「はい」と言って、項垂れた。
本当に疲れた。
女の人のおしゃべりって、どうして終わりがないんだろう。
「じゃあ、おやすみなさーい」
ポラはそう言って、電気を消してさっさとベッドに横になった。
体を横に丸めて、布団をかぶる。
それから数秒もしない内に、寝息が聞こえてくる。
寝るの早っ。
少し感心しながら、俺も横になった。
ベッドは思ったよりもずっとふかふかで、寝心地が良かった。
しかし、今日は色々とありすぎた。
落ち着いて考えなければならないことは山ほどある。
これからどうなるんだろう。
いつか、家に帰ることが出来るんだろうか。
目をつむれば、そんな不安も頭をよぎるはずだ。
今夜はきっと眠れない。
そして――寝れない理由はそれだけじゃない。
目を開ければ、すぐ隣に美少女が無防備に寝ているのだ。
誰とも付き合ったことのない俺にとって、こんな状況は生まれて初めてだった。
微かに揺れる船内。
キュッキュッとロープが擦れる音。
このような環境じゃ、寝付けるわけがないだろう。
そう覚悟していたが。
どうやらよほど疲れていたらしく、目をつむるとすぐに意識は遠のいていった。
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