第5話 バルにて


 俺はポラに連れられて、路地裏にある小さなバルに入った。


 そこは長屋のように店が連なっている一角に、ひっそりとたたずんでいた。

 真四角の白い石壁には黒カビが浮き、蔦が絡みついている。

 入り口はおんぼろな木製の扉で、開くとキィイと大げさな音が鳴った。


「いらっしゃいー」


 中に入ると、慌ただしく走る女性店員がこちらを見ずに言った。


「あ、二人ですけど、いけますか」

「見ての通りだよ。ちょっと待ってくれる?」


 店内に目を移すと、ホールは随分と賑わっていた。

 カウンターまでいっぱいだ。


「あの、うちの船長、来てますかね?」

「船長?」


 店員はそこでようやく足を止め、ポラを見た。


「ああ。キャラコさんとこの」

 そう言って、顎をしゃくった。

「来てるよ。ほら、一番奥の丸テーブル」


「あ、じゃあそこに合流しますんで」

「りょうかーい」


 ポラはそこで俺を見た。


「じゃ、行きましょうか」


 返事を待たずに歩き出す。 

 俺は小走りで彼女についていった。


 ホールの奥、少し喧騒から離れた席にキャラコがいた。

 行儀悪くソファに座り、足をテーブルに放り出している。


「船長。ご一緒してもいいですか」

「ん? おお、ポラか」


 座れよ、とソファをバンバンと叩く。

 ポラはまるでホステスのように「お邪魔しまーす」といって、キャラコの隣にちょこんと腰かけた。


「あ、あの、僕はどうすれば」

「おめーはそこに座ってろ」

「は、はいっ」


 言われた通り、俺はその場に正座した。


 それから、ポラは店員に適当に注文を済ませた。

 やがて出てきた料理に、俺は涎を垂らした。


 ほかほかと湯気がのぼっていて、どれもこれも美味そうなものばかり。

 見たことない料理ではあったが、すげーいい匂いがした。


 キャラコとポラが食べ終わると、残りは食べていいと言われた。

 残飯を食べるというのは少し抵抗があったが、それよりも喜びの方が大きかった。

 もう、腹がペコペコで限界だ。


「は、はい! ありがとうございます」


 俺は料理に顔を埋めるようにして、無我夢中で食べた。


「アハハ。ポチ、おめーまるで犬だな」


 キャラコは笑いながらビールを煽った。


「あ、すいません。腹が減ってて」

「いいぞ。もっと食え。つーか、残したら殺すぞ」

「は、はい。任せといてください」


 これくらいなら余裕で食べられる。

 高校球児の食事量を舐めちゃいけない。

 俺はありがたく、すべての料理をかきこんだ。


「シーシーちゃんはどこに?」

「飯食ったら帰った」

「そうですか」

「どうせ家で寝るんだろ。あいつは寝てばっかだ」

「でしょうね。あ、ギッグス社さんから、ゼルビーの分の謝礼はもらいました?」

「まだだ」

「どの通貨でもらうんです?」

「そりゃウェルだろうな。それ以外だと面倒くせえし」

「今はミームの方がいいですよ。信用もありますし。私が向こうと交渉しましょうか?」

「いい。今は別に金に困ってねえからな」

「了解です」


 キャラコはポケットから煙草を取り出し、火をつけた。


「しかし、こいつはどこのどいつなんだろうな」


 紫煙を吐きながら、俺を見る。


「さあ。あれから、話を聞いてみたんですけど、やっぱり要領を得なくて」

「使えそうか?」

「それは、はい。よく動くし、物覚えもよさそうです」

「そうか」

「意外と拾い物かもしれませんよ。素直で、いい子だし」

「馬鹿野郎。素直ないい子がここ・・で生きていけるか」


 キャラコは肩を揺らしてくつくつと笑った。

 それもそうですね、とポラも自嘲気味に微笑む。


「まあ、銃くらい撃てるようにしこんどけ」

「それはシーシーちゃんに言ってくださいよ」

「そりゃそうだな」

「出来れば、船長も剣術を教えてあげてください」

「嫌だね。面倒くせえ」


 キャラコはそこで言葉を止め、テーブルの上の料理を視認した。

 それから「かか」と体をのけ反らして笑った。


「なんだ、ポチ。お前、もう全部食ったのか」

「は、はひ! めっさ、美味かったでふ!」

「くっく。おもしれーやつだな」

「はひ!」


 俺は急いで咀嚼し、思い切って飲み込んだ。

 キャラコから褒められると、なぜかすごくうれしい自分がいる。

 彼女からは何というか――カリスマみたいなものを感じてしまっていた。


 そう。

 カリスマだ。

 キャラコは死ぬほど怖いが、何やら不思議な魅力がある。


 その時、店の入り口の方から客たちがざわつく声が聞こえた。

 目をやると、天井に頭がつきそうなほど長身の男が立っていた。


 場末のバルには似合わない、身綺麗な紳士だ。


「あれは……サヴァル中将ですね」


 男を見ながら、ポラが低い声でキャラコに耳打ちした。


「みたいだな」

「あんな大物が、こんなところに何をしに来たんでしょうか」

「さて」

「心当たりは?」

「ねえな」


 大柄の紳士――サヴァルは店内をぐるりと見回し、店員と少し話し込んだ後、こちらに向かって歩き出した。

 店内の男どもは動きを止め、みな彼の動きを注視している。

 その目には、恐れとか驚きとか、そういった畏怖の色が見えた。


 近づいてくると、顔がよく見えてきた。

 ほりの深い、いわゆるイケメンだ。


 思ったよりも若そう。

 30~40歳くらいだろうか。


「中将殿! こんばんはであります!」

 ポラが立ち上がって敬礼した。


「やめろ。海賊に敬礼される謂(いわ)れはない」

 サヴァルは機嫌の悪そうに眉をひそめた。


「は! 申し訳ありません!」

 ポラは深く頭を下げた。


「弁(わきま)えろ」

「ごめんなさいです! わたくし、引っ込んでおりますです!」


 そう言って、ソファの端に逃げるように寄った。

 肩を寄せ、縮こまっている。

 随分、びびっているな。


「よお、オッサン」

 他方、キャラコはふんぞり返ったまま、偉そうに言った。


「ふむ」

 サヴァルはキャラコに目を移した。

「またこんなところで安酒を飲んでるのか、ミスティエ」


 また、ミスティエ。

 この名前は、キャラコのセカンドネームか何かだろうか。


「別に良いだろうが。誰がどこで飲もうがよ」

 キャラコは殊更にふんぞり返った。

「あたしはこの店が気に入ってんだ」


「もっと上等なものを食え。前から言ってるだろう。お前には品位というものがたりん」

「余計なお世話だ、デカブツ」

「このままだと、ただの野良犬だぞ」

「うるせえな。ったく、どいつもこいつも人を犬呼ばわりしやがって」

「どいつもこいつも?」

「こっちの話だ。用があるなら、さっさと言いやがれ」


 サヴァルは無言で懐から札束を出し、それをキャラコの目の前にどさりと放った。


「賞金を渡しに来た」

「中将殿がわざわざ? は。嘘つけよ」

「無論、用件は別にある」

「なんだよ」

「仕事だ」

「だと思ったよ」


 サヴァルはそこで口を閉じ、俺を見た。


「ところで、この男は誰だ」

「ゼルビーの船で拾った」

「海賊か?」

「さあね。記憶喪失なんだとよ」

「妙な服装をしているな。お前が引き取ったのか」

「人手が足りなかったんでな。おう、そうだ。おっさん、ニホンって国、知ってるか?」

「ニホン?」

「そうだ。この小僧、そこからやってきたって言ってるんだが」


 サヴァルは少し考えた。

 それから「いや」と短く言った。


「聞いたことが無いな」

「だよな」

「……大丈夫なのか」

「何がだよ」

「素性の分からない人間を一味に入れるなんて」

「なんだ。心配してくれんのか?」

「お前の仕事は我々にも影響があるんでな」

「関係ないね。あたしは好きなようにやる。好きな奴を仲間に入れる」

「まったく、面倒くさい奴だ」

「うるせえ」


 キャラコは肩を竦めた。

 サヴァルは「まあいい」と言って顎を上げた。


「とにかく、詳しい話はここではできない。明日、リバポ商会のビルへ行ってジノ会長に会ってきてくれ」

「ジジイんとこに?」

「そうだ。話は通してある」

「きな臭ぇな。どうしてリバポ商会の仕事にお前が仲介に入ってんだよ」

「行けば分かる」


 キャラコはふーんと短く頷いた。


「ま、別にいいけどよ。金になる話だろうな」

「もちろんだ」

「合格」


 キャラコはよっと言って体を起こし、少し前傾姿勢になった。


「では、確かに伝えたぞ。明日の午前10時だ」

「ああ」

「……それから」

「んだよ」

「いや、何でもない」

「んだよ。言えよ」

 

 サヴァルは少し考えた後、口を開いた。


「ミスティエ。お前、堅気になる気はないのか」

「またそれか」

「お前さえその気なら、相応のポストを用意してやるぞ」

「やかましい」

「お前はまだ若い。今ならやり直せる」

「んなワケねえだろ。ったく、やっぱり聞くんじゃなかったぜ。さっさと帰れ。ウドのデカブツ」


 キャラコはとことん悪態をつく。

 だっていうのに、サヴァルは口の端でふっと笑い、踵を返した。


「それじゃあ、またな」

「まいどあり」


 キャラコは咥えたばこで札束を数えながら、右手を上げた。

 

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