第4話 ポラ


 それから、俺は色々考えた。

 ものすごい考えた。


 だが、結局は――


 「とにかく今の状況に適応するしかない」


 という当たり前の結論に至った。

 答えなど出ようはずもないのだ。

 そもそも、どうやら今の状況は絶望してる場合ではない。


 とりあえず、嘆いたり帰る方法を探るのは後回しだ。

 今は、この海賊たちに仲間だと認めてもらわないといけない。


 幸い――このメイド服を着た“ポラ”という少女はかなり常識がありそうだ。

 とても理性的だし、なにより物腰が柔らかい。

 他の奴らは話が通じそうにないやべー感じなので、本当に彼女の存在はありがたかった。


「着きましたよー」


 海岸に目を細めながら、ポラが言った。

 船は数時間ほど揺られて、ようやく岸にたどり着いた。


 見たこともないほど広大な港だった。

 数えきれないほどの桟橋が湾沿いあり、そこにたくさんの人とたくさんの船が停泊している。

 手前には巨大な帆船や運搬用商船があり、遠くには無数の漁船も見えた。


 港が近づくとゼルビー船をキャラコ船の横に縛り直し、2艘を器用に並べて接岸する。

 その辺りには海賊船のような物騒な船は一つもなく、荷を積んだ商い船がほとんどだった。


 それだけに、キャラコの船はひときわ目立った。

 何しろ、括りつけたもう一つの船には海賊の残党と死体を乗せているのだ。

 人々は距離を置きつつも、物珍しそうな目でこちらを見ていた。


 港にはたくさんの人がいた。

 行きかう人はとても活気があり、荷を乗せたり降ろしたり、忙しなく動いている。


 潮の香りと共に鉄の臭いが鼻に突いた。

 それから、火薬というか、オイルのような臭いも混じっている。

 正直、そんなに気分のいい香りではない。


「よし、あとは任せたぞ」


 キャラコはそう言うと、さっさと下船してしまった。

 そして、港で待っていたセーラー服を着た海兵のような男たちと会話を交わし、どこかへ消えてしまう。


「んじゃねー」

「あ―疲れた」


 シーシーとエリーも続いて下船し、またぞろ人ごみに紛れてしまった。


 と、思ったらシーシーだけ踵を返してとてとてと戻ってきた。

 

「ポラ。ポチを逃がしちゃだめだよ」

「ええ。分かってますよ」

「ポチ。ポラのいうこと、ちゃんと聞けよ」

「は、はい」

「逃げたら、殺すからね」

「う……は、はい」


 俺は一瞬固まってから、ぎこちなくうなずいた。


「よろしい!」


 シーシーは頷き返すと、じゃねー、と言って走り去ってしまった。


「あの、みなさん、どちらへ行ったんでしょうか」


 その背中を見届けてから、俺は言った。


「お酒を飲みに行ったんだと思いますよ。みんな、よく飲みますから」

「シーシーさんも?」

「はい」

「マジですか」


 うーん。

 あんなちびっこが飲んで大丈夫なんだろうか。


「ポラさんは行かないんですか?」

「はい。私は一番下っ端なので、これからいろいろと作業が残ってます」

「作業ってもしかして――あの……船に乗ってる、その、死体とかを」

「海賊の死体は海兵さんたちが処理してくれますよ。ほら、海軍の人たちも来てる」


 そう言って指をさす。

 その先では、セーラー服の男たちが集まって来ていた。


「残った海賊の人たちはどうなるんでしょう」

「裁判で裁かれます。まあ、命は助かるんじゃないかな」

「裁判――があるんですか」

「当然ですよ。この国は法治国家ですから」

「法治国家、ですか」

「そんなことより、ほら」


 ポラはそう言うと、俺の方をぽん、と叩いた。


「ポチ君も、私を手伝ってくださいね。あなたは私より新人なんですから」

「は、はい。分かりました」


 そんな話をしている内に、ずかずかと海兵たちが乗り込んできた。

 それから慣れた様子でゼルビー船とキャラコ船のロープを解く。


「ポラさん、お疲れさまでした」

 海兵の一人が敬礼した。


「ご苦労様です~」

「あとは僕らがやっておきますので」

「いつも助かります。今日はちょっと多いですけど」

「そうみたいですね」

「あの、バンダナの人がゼルビーさんですので」

「了解しました」


 海兵はそう言うと、舫いを解いてゼルビー船に乗り込み、港の方へと向かった。


「それじゃ、私たちも行きましょうか」


 ポラはそう言うと、船室の上部にある操舵輪の方へと向かったのだった。


 Ж


 それから、少し静かな場所へ移動させた船を、俺とポラとで掃除した。

 まず甲板にバケツで真水をまき、デッキブラシでゴシゴシと擦って潮を洗い流す。

 それが終わると、最後に操舵輪や手すりなどを湿った布で拭いて回った。


 それほど大きな船ではないが、二人でやると骨が折れた。

 しかし、ポラは慣れた様子で黙々と作業していて、新米の俺が弱音を吐くわけにはいかなかった。


 そして最後に、マストから垂れる網上の太いロープ(シュラウドというらしい)の点検を行った。


「これ、上手に登れるようになっておいてね」


 ヤードの上から、ポラが言った。


 シュラウドは帆をたたむための足場と、マストの軸の上部に付いた見張り台へ繋がっているので、航海中には頻繁に上り下りするらしい。

 試しに早速登ってみたが、予想以上に網目の弾力に足を取られて難しかった。

 ただ、この練習はまるで公園の遊具で遊んでいるようで少し楽しかった。


 それが終わると、簡単に帆(セイル)の出し方としまい方を聞いた。

 

 帆船の帆は全部で3つあり、前からフォア、メイン、ミズンというらしい。

 それぞれに意味があるらしいけれど、その話はまた今度聞くことになった。

 

 セイルはヤードと呼ばれる横棒にロープで括りつけられている。

 ヤードは全部で3つあり、上からローヤル、ゲルン、トップと呼ぶらしい。

 そして、帆を下す(展帆というらしい)ときはヤードに上ってロープを解く。

 帆を畳むとき(こちらは畳帆)は同じくヤードにぐるぐると巻き上げる。

 単純だが、これがなかなか大変だった。


 帆には縦帆と横帆があるらしく、今やったのは横帆(マスト)。

 前方にある縦になっている帆が縦帆であり、それはダウンホールと呼ばれる留め金を引き下ろせば展帆出来るようになっている。

 畳帆するときはハリヤードと呼ばれるロープを引きあげると、シュルシュルと収納されるように出来ていた。


 この縦帆と横帆を駆使して、船を走らせるらしい。

 動かすためにはタックという船中に張り巡らされたロープを駆使して動かすらしい。

 この操帆は非常に経験が必要になるため、おいおい教えてあげると言われた。


「うん。どうやら、頭は悪くないみたいですね」


 俺の手際を見た後、ポラが満足そうに言った。


「あ、ありがとうございます」

「いえいえ。でも、よかったです。もしもポチ君の出来が悪いと、教育係の私が怒られちゃいますから」

「そ、そうなんすか。それは――頑張らないと」

「うん。頑張ってね」


 ポラは首をかしげて、にこりと笑った。

 俺は思わず目を背けた。

 やっぱり――ちょっと可愛いよな、この子。


 そう言ったもろもろの作業が終わると、陽はすっかり傾き、港に夕暮れが訪れた。

 景色はオレンジに染まり、行きかう人たちも随分と減った。


 作業中、本当はもっといろいろなことを聞こうと思っていたが――

 へとへとでそれどころではなかった。

 体力には自信があったが、思ったよりも大変な作業だった。


 そして何よりも――色々ありすぎて精神的に疲弊した。


「これからどうするんですか?」

 と、俺は聞いた。


「ご飯食べましょう」

 ポラが言った。


「ご飯! やった」


 俺は思わずガッツポーズをした。


「ふふ。嬉しそうですね」

「あ、すいません。実は……もう、お腹が空きすぎてフラフラで」

「いっぱい働きましたもんね。それじゃあ、早速行きましょうか」


 俺ははい、と頷いて、歩き出したポラの後ろについて行った。


 町はいつか見た古い映画のような景観だった。

 家は四角い石造りのものが多く、時折見える背の高い家屋には太くて丸い柱が設えてあった。

 モスクや教会みたいなものも多く、全体的に白い建物が多い。


 近くに食べ物屋らしき店はないのに、町全体がほのかに香辛料のようなスパイシーな匂いがしている。

 独特の香りだが、どこか食欲をそそる。

 この地方の料理が口に合わなかったらどうしようかと思っていたが、その心配はないかもしれない。


「ここはフリジアっていう街なの」


 歩きながら、ポラが説明してくれた。

 

 世界貿易を連結するエブエ運河の入口に位置するこの都市は、大陸への門戸として貿易が非常に盛んであり、様々な人種が入り乱れている。

 経済特区に指定されたことで、近年急速に経済発展を遂げており、それ故に小悪党やマフィアが跋扈していて死ぬほど治安が悪い。

 彼らの多くは数年前に移住してきた移民、もしくは難民で、この国に元から住んでいる民族とは折り合いがつかず、毎日どこかで小競り合いが起きている。

 警察は事件の数が多い上、その大半が賄賂と汚職で当てにならないため、街の市民たちは自警団を結成して自分たちを守っている。

 エブエ運河へ至るアデル湾には海賊がたくさんおり、海の安全を守るために海軍の駐屯地まである。

 不法滞在だが、海賊も多く暮らしている。


 軍、警察、自警団。

 移民、難民、自国民。

 そして、半グレ、マフィアに海賊。


 そう言った人種の坩堝(るつぼ)が、このフリジアという街らしかった。


 往来は紙くずや瓶、中には注射器や薬莢のような物騒なものまで捨てられており、路地を見ているだけでも無秩序な雰囲気が伝わってくる。

 歩いている人間も、みんな薄汚れた服を着ているし、男はほとんどが髭を蓄えていて、腕には刺青がびっしりと彫られている。

 さっきの話を聞いたせいか、すれ違う人が全員悪人に見えた。


「治安、悪いんですね」

「うん。悪いですよ」

「警察とか、どうしてるんですか」

「警察の仕事は主に死体の処理ですね。いちいちもめ事に首は突っ込んできません。それどころではないですから」

「し、死体?」

「ええ。一日に一体は身元不明の死体が上がりますから。そう言えば、一昨日もそこの路地に耳と鼻を削がれた死体が転がってましたねー」


 暗がりを指さし、ポラはこともなげに言った。

 目をやると、そこにはまだ赤黒い血痕が生々しく残っていた。


 俺はひっ、と思わず戦いた。


 み、耳と鼻を削がれた死体――?


「は、犯人は捕まったんですか?」 

「犯人? あは。なんとも間の抜けた質問ですね」

「それは、どういう意味です?」

「彼らはいちいち庶民の殺人事件なんか捜査しませんよ。ここにはビルごと吹っ飛ばすような人たちがたくさんいますからね。そういう人たちの相手で手一杯ですから」

「殺人事件なんかって――さっきと言ってること違いません?」

「何がです?」

「いや、この国は法治国家だって……」

「法治国家ですよ。でも、例外もあります。そしてこの街は、その“例外”の方が圧倒的に多いだけです」


 それは要するに無法地帯ということでしょうか。


 俺はごくりと喉を鳴らした。

 とんでもないところで暮らすことになってしまったようだ。


「なーんちゃって」

 俺がビビっていると、ポラがちろりとベロを出した。

「ちょっと脅しすぎちゃいましたかね。まあ、暮らしていればどういう街かすぐに分かりますよ。きっと、ポチ君もすぐ慣れます」


 ポラはうふふと笑った。


 えーっと……どこからどこまでが“なんちゃって”なんでしょうか――。

 俺は路地裏の血の跡を見ながら、ごくりと喉を鳴らした。


 あんなに腹が減っていたのに、いつの間にかすっかり食欲を失っていた。

 きっと、その時の俺は死ぬほど顔色が悪かったのに違いない。


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