第14話 20×0年。ニ月十九日。これからが本番だ。
クルーズ船の乗客は、全て下船した。
だが神奈川県知事の黒木にとってはこれからが本番だ。自衛隊中央病院に112人、他県にも何人かの陽性患者を引き受けてもらったものの、634人の陽性患者の多くは神奈川県内の病院に入院している。
そのうち、80代の男女二人が治療の甲斐なく亡くなった。糖尿病などの持病があったという事だが、クルーズ船の乗客の多くが高齢者だったという事もあり、これからも死者は増えるだろう。
長期間の待機を乗客に求めた日本政府の対応は、国内ばかりか海外からの批判も招いた。
しかも
そもそもDMATは大災害が発生した時に被災地に向かう、災害医療の専門家たちだ。
感染症の専門家ではない彼らがなぜクルーズ船に派遣されたかというと、厚生労働省に感染対策を行う権限がないからだ。
かつてSARSが流行した時は、日本の全国に国立病院があり、厚生労働省はそれらを一括運用して医師や病床の手配を行うことが可能だった。
しかしその後、国立病院は独立行政法人となり、厚生労働省の直轄ではなくなってしまう。
今、動かせるのは、DMATしかなかったのだ。
しかし厚生労働省は乗客に不安を与えたくないという理由で、DMATに感染予防に最適なタイベック防護服ではなく、単なるマスクとガウンだけしか提供しなかった。
そのようなリスクの高い現場で、医療関係者の間でこれ以上の感染が広がらなかったのは奇跡的だと黒木は思う。
「批判する時はもう終わった。これからは失敗や反省を教訓とすべきだ。さもないと未曽有の悪夢が日本を襲うだろう」
DMATの一員として治療に当たった医師の言葉が脳裏に浮かぶ。
神奈川県知事として、何をすべきか。
黒木はとにかく情報を集めるのが大切だと、秘書の望月に命じて情報収集を進めている。
「黒木知事。藤田化学の社長がお見えになりました」
「入ってもらいなさい」
「承知いたしました」
秘書の望月の案内で知事室を訪れたのは、アティオズという新型インフルエンザ治療薬を開発した藤田化学の社長である藤田誠志とその部下らしき男だ。
「黒木知事、初めてお目にかかります。藤田化学の藤田を申します。こちらは部下の中島です。どうぞよろしくお願いします」
「黒木です。お忙しい所を急にお呼びたてして申し訳ない。どうぞお掛けください」
藤田は、製薬会社の社長には見えないような強面の男だった。がっしりとした体格をしているので、学生時代には何かスポーツをやっていたのだろう。声も大きく、どちらかというと下町の工場の社長と話しているような気分になる。
隣にいる中島はくたびれた背広に身を包み、どこにでもいる仕事に疲れたサラリーマンに見える。
本当にこの二人がそんなに凄い薬を開発したのかと、思わず黒木はお茶を配り終えた秘書の望月に目を向けた。
なんとなく、望月がその気持ちは分かりますと視線で答えてくれた気がした。
「ご足労頂き、ありがとうございます。さて、単刀直入にお聞きしますが、貴社で開発された新型インフルエンザ治療薬は新型肺炎に効果があると思われますか?」
話し始める前の世間話も何もなく、いきなり質問してきた黒木に、中島は面食らった。
本題に入る前に、長ったらしいどうでもいい話を続けなければならないと思っていたからだ。
「それは開発チームの主任である中島から説明させましょう」
藤田に促され、中島は「よろしくお願いします」とお辞儀をすると、用意していた書類を、こちらも年季の入ってくたびれた鞄から取り出した。
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