第10話 20×0年。ニ月六日。イタリア、ミラノ。

 イタリアのミラノに住む京子・フォンターナは日本に留学している娘のサラとビデオチャットをしていた。


 イタリアと日本の時差は八時間あるから、娘が寝る前にビデオチャットをしようと思うと午後の1時から2時までの間にかけなければならない。その時間だと日本は午後9時から10時になるので、ちょうど良いのだ。


「それでクルーズ船のお客さんは14日間も船の中なの? 大変だわねぇ」

「昨日は十人で、今日も十人が陽性になったんだって。テレビでもずっとやってるよ」

「まあ、大丈夫なの? こっちに帰ってきたほうがいいんじゃないの?」


 サラは交換留学生として去年の9月から、日本語を勉強する目的で、一年間の予定で留学している。下宿先は京子の実家なので気兼ねなく過ごしているらしい。


 PC越しだが顔色も良く、日本での生活を楽しんでいるのが分かって京子は安心する。


「まだ日本ではそんなに出てないから大丈夫。マンマこそ、そっちはどうなの?」


「ニュースで四日前に湖西からチャーター機で戻ってきたうちの一人が新型肺炎の陽性ですって。レッジョ・エミリア出身の29歳の研究者らしいわ」


 レッジョ・エミリアは古代ローマ時代に建設された歴史のある街で、最近では世界で最も先進的な幼児教育法と評価されている「レッジョ・エミリア・アプローチ」で有名だ。


「チェッキニョーラの陸軍施設で隔離されてたんだっけ? えーと全部で五十六人が隔離されて一人が陽性って事は、そんなに感染力は強くないのかなぁ」

「そうね。湖西市は封鎖されたみたいだけど、すぐに収まるんじゃないかしら」

「確かに日本でもクルーズ船以外ではそんなに患者がいないみたい。春節で湖西市の人が結構日本に来てて、バスの運転手が感染して、一緒にいたツアーコンダクターも感染しちゃったんだって」


 サラはそう言って肩をすくめた。


「イタリアでも旅行で来てた湖西の人が新型肺炎で倒れて入院したみたい」

「もうさー、武国の人は外国に行かないで欲しいよね。旅行するなら国内にしてくれればいいのに」

「サラ。そんな事を言っちゃだめよ」


 経済協力をしている為か、ミラノでは武国の人が増えたと思う。


 それどころか、増え続ける武国人の観光客を犯罪から守るという事で、制服を着た武国人の警官とイタリアの警官が並んで街を巡回している。


 最近では老人たちがゆっくりコーヒーを飲みながらおしゃべりをする憩いの場となっているバールの経営者も、武国人が増えてきた。


 京子自身はコーヒーを飲むのに経営者の国籍など気にしないし、武国人の経営する店で和食の材料などを買う事が多いから特に何も思わないが、イタリア人の中には、イタリアが武国に乗っ取られると憤っている者もいる。


「でも春節の時に武国人が海外に出なければ、新型肺炎は湖西市だけで済んだのに」


 ニュースでは未だに湖西市が封鎖されていると言っているが、イタリアでのメディアの扱いはそれほど大きくはない。


 それよりもサッカーの試合の方が注目されている。


「ところで日本での生活はどう?」

「それがね。凄く素敵な人を見つけたの!」


 サラは父のマリオによく似たハシバミ色の目を輝かせて前のめりになった。親の欲目だろうが、両親の良い所だけを受け継いだサラは、とても美人だと思う。


 きっと日本でもモテているに違いない。


「まあ、ボーイフレンドができたの? どんな人?」

「それがね、鬼を退治しているの!」


 手を組んでうっとりとする


「……鬼退治?」


 聞き返しながら、京子は小さい頃に読んだ絵本を思い出す。

 日本で鬼退治といえば、桃太郎の話だ。


 確かサラが小さい時にも読んであげた事があるが、そんなにうっとりとする話だっただろうか。


 もしかして桃太郎をモチーフにしたコマーシャルに出ている俳優のファンになったということだろうか。


「そう。ベリッシモ最高に美しい男性なのよ。今一番日本で流行ってる漫画の主人公なの!」


 サラは「ほら見て」と、嬉しそうに漫画のキャラクターの下敷きやキーホルダーを見せてくる。

 そこに描かれているのは着物を着た少年だ。


 京子はそれを見て、血は争えないわと思う。


 元々、夫のマリオは高校の時に日本のアニメ好きが高じて留学してきた。

 そして日本にいる間に漫画の神様と呼ばれる漫画家の作品に影響され、医者を目指すようになった。


 京子とは漫画の貸し借りで仲良くなって付き合うようになって結婚したのだが、遠距離恋愛の間は、京子が日本の漫画をマリオに送っていたものだ。


 愛読書が好きすぎて、マリオは長男が生まれた時にジャックという名前をつけようとしたが、京子が必死に止めた。黒い服しか着せない未来が見えたからだ。さすがに顔に傷はつけないと思うが。


 京子がなんとかマリオを説得して、結果的にマルコという名前になった。マリオの曽祖父と同じ名前だという事で、義父がとても感動していた。


 マルコの両親が孫の中でも特にマルコを可愛がるのを見て、京子は少し微妙な気持ちになってしまう。


 なぜなら息子の名前は、マリオが大好きな日本のアニメに出てくる少年から取った名前だからだ。


 そのアニメの主人公は母を訪ねて旅をするけなげな少年が主人公だ。もう一人、ミラノに住む少年の名前にしようと言いださなくて本当に良かった。


 さすがに息子にロミオという名前をつけるのは少し恥ずかしい。


 娘が生まれた時もピノコという名前にしようとするのを必死に止めた。

 ヘブライ語で「お姫様」という意味を持つサラという名前に決まって本当に良かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る