第9話 20×0年。一月二十三日。ファティマの予言。

「でもSARSほどの感染力があると決まったわけじゃないでしょう? パンデミックが起こると決めつけるのは良くないんじゃないですか。湖西市の保健当局の発表でも、感染力はそれほど高くないって書いてあるし」


 皆が言葉を失っている中、研究チームの一員である松山紗季が同じようにPCでニュースサイトを確認しながら言った。


 中国語ではなくてイギリスのBBCのサイトだが、日本のマスコミよりは詳しく報じている。


「SARSもMARSも封じこめられたんだもの。それほど心配する必要はないんじゃないかしら」

「こっちのニュースは読んだか? 新型肺炎に対応する為に、病院を十日で建てるそうだ」

「十日で? 無茶よ」


 いくら臨時の病院を建てるといっても、ただの事務所をプレハブで建てるのとは訳が違う。医療機器や空調など、病院を建てる為に必要な資材はたくさんある。


 個室も作らなければいけないだろうし、十日で建てるのは不可能だ。


「お得意の人海戦術でとりあえず箱だけ作って、物資は後から運ぶのかもしれん。個室を作る時間もないし、病院とは名ばかりで、患者を隔離する為の、いわば隔離施設を作ってるようなもんさ」

「課長の考え過ぎじゃないですか?」


 確かに武国では新型肺炎によってパニックが起こっているようだが、あの国の衛生状態を考えれば病気の流行も無理はない。平気で道路にゴミを捨てたり痰を吐いたりするし、風邪をひいてマスクをする習慣もなさそうだ。


「正月明けに湖西市の海鮮市場で働いていたやつが新型肺炎にかかったっていうニュースを見た。その時の患者の数は七人だ。たった七人の患者が、一カ月も経たずに医療崩壊を起こすほどの患者に増えてるんだぞ。SARSと同程度の感染力があるのは間違いない」

「もしそんなウイルスが世界中にばらまかれたら……」


 大村がPCから上げた顔色は悪い。


「全ての人類がこのウイルスへの耐性を持っていない以上、おそらく多くの人が死ぬだろう。まるで……なんだったか、ノストラダムスの予言にあった黙示録だな」

「課長、それ古すぎです」


 ツッコミを入れたのは、五年ほど前にニ十七歳の新卒として入社した、新薬開発チームの中でも特に優秀な森崎だ。


 彼は東京大学理科三類に現役合格したが、解剖の実習で卒倒して医者になるのを諦めて薬学部に入り直した経歴を持つ。薬学部も人体解剖のない学部を選んだという話だ。


「予言……」


 と呟いた大村は、首にかけているロザリオを服の上から強く握る。


「ローマびとペトロ、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、七つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る」

「なんだそれは」

「聖マラキの予言です」

「やだ大村君、オカルト好きなの?」


 リアリストの松山が、ニュースサイトから目を離さないままからかうと、大村は真剣な顔をして首を振った。


「昨年、教皇猊下が来日したでしょう? あの時にクリスチャンの間で聖マラキの予言が話題になったんです」

「ああ。そういや東京ドームのミサに行くのに有給休暇が欲しいって言ってたな」


 三十八年ぶりの来日だから絶対に行きたいんです、と珍しく熱弁をふるっていた。中島は、あの時に初めて大村が敬虔なカトリック信者だというのを知ったのだ。


「それで、その聖マラキの予言ってのはなんだ?」

「十二世紀にアイルランドに実在した聖マラキという大司教が残した、全ての教皇に関する予言です」

「全てってことは、これまでの教皇のことも当ててるのか?」

「ええ。おおよそは」

「それは凄いな」


 予言というのは、曖昧なものにして、後になってこれが正しかったのだと主張するものであることが多い。だが大村の言う事が正しいならば、解釈の仕方はあるにしろ、かなりの確率で正しい予言だという事になる。


 容易には信じがたいが。


「そして、今の教皇猊下までの予言しか残されていないんです。それがさっきの予言です」

「つまり、最後の教皇になるって事か?」

「ええ。ただ偽書であるという話もあるので、僕も眉唾だと思って信じていませんでした。でも予言繋がりで、去年もう一つ話題になった予言があるんです。それが……ファティマの第三の予言です」


 ファティマに顕現した聖母によってなされた三つの予言――。


 それは1916年春、ポルトガルのファティマという小さな町に住む、ルシア、フランシスコ、ジャシンタという名の三人の子供が、降臨した聖母マリアから受け取った三つのメッセージのことだ。


 第一のメッセージは第一次世界大戦の終わりを予言し、第二のメッセージは第二次世界大戦の勃発を予言した。


 そして「ファティマ第三の秘密」と呼ばれる三番目のメッセージは、1960年になるまで公開してはならないと厳命され、ルシアを通じて教皇庁へと伝えられた。


 だが1960年になってもその秘密は公開されず、やっと2000年に公表された内容は、既に過ぎ去った教皇暗殺の危機のことであったというものだった。


 だが1960年に「ファティマの第三の予言」を閲覧した教皇ヨハネ二十三世は、あまりの衝撃に言葉を失い公表はせずに封印。そしてその後就任したパウロ六世は、それを読んで失神したと伝えられている。


 それほどの内容が、果たして教皇の暗殺未遂ということだけで済むのだろうか。


 そしてまた聖母からメッセージを受け取ったルシア自身が、2000年に教皇庁より発表された文書を見て「バチカンは嘘をついているし、それは一部にしか過ぎない」と発言し、司法省へ提訴したことからも、実際には全ての予言が公表されていないのではないかと言われている。


「ファティマの第三の予言は、第三次世界大戦の事を表しているんだというのが、一般的な解釈でした。だからこそ、今の猊下が最後の教皇となるという事で、近い内に第三次世界大戦が勃発するんじゃないかと。……でもその戦いが、人と人ではなくて、人とウイルスだったとしたら……。全てが符合すると思いませんか?」


 大村はそう言って、フロア中にいる人々の顔を見る。


 その中の誰一人、大村の言葉を妄想だと笑い飛ばせる者はいなかった。


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