第6話 20×0年。一月十五日。武国、湖西市。

 湖西市の保健当局は20×0年一月十五日、湖西市で流行している肺炎は新型コロナウイルスによるものだという発表した。


 また市内で新型コロナウイルスへの感染が確認された41人のうち1人について、夫から感染した可能性を排除しきれないと発表した。


 夫婦で新型コロナウイルスへの感染が確認されたが、夫が感染の中心地と特定された海鮮市場で働いていたのに対し、妻の方は一度も同市場を訪れたことがないと話しているという。


 保健当局はこれまで新型コロナウイルスの人から人への感染を否定していたが、曖昧な言い回しではあるものの、初めて「その可能性を否定できない」と明言した。


 リンの勤める病院でも、明らかに新型コロナウイルスに感染したとみられる患者数が増えていた。


 先日の発熱したホウの娘も、CT検査の結果、母親と同じような症状を示した。


 既にホウは呼吸内科の隔離室に移動して治療を受けているが、再びCT検査を実施した結果、更に感染範囲が拡大し深刻な状況になっていた。


 呼吸内科では、再びCTでの精密な検査を行った。

 その結果を受けて治療方針が決められたが、一般的に使われる抗生剤などの効き目は悪く、対処療法をするしかなかった。


 このコロナウイルスは新しく発見されたウイルスで、当然のことながら治療薬やワクチンはない。主要な症状を軽減するための治療を行い、患者本人が持つ自然治癒能力を高めるしかないのだ。


 だが元々心臓病や糖尿病などの基礎疾患がある患者は自然治癒力が低い。


 医師たちの懸念通り、糖尿病の疾患があるホウとその娘の症状は日に日に悪くなっていった。


「リン先生、急患をお願いします」


 防護服を着た看護師長のフェイが、リンを呼びに来る。


 新型肺炎の感染予防のため、湖西市の病院ではN95マスクだけではなく、防護服と医療用ゴーグルで防疫をしている。防護服は一度脱ぐと捨てなければいけないため、リンは短時間の休憩であればそのままの姿で休むようにしていた。


「また肺炎?」

「……多いですよね」


 フェイの顔には連日の勤務による疲れが色濃く出ている。綺麗な長い髪はキャップの中に隠されていて見えない。


「こんなに忙しいんじゃ、春節の旅行をキャンセルしなくちゃいけなくなりそうだよ」


 武国の正月は旧正月の暦で祝うから、西暦の一月一日ではなく、その年によって変わる。


 今年は一月二十五日が旧正月なので、その前日の二十四日から三十日までの六日間、春節と呼ばれる大型連休が始まる。


 武国の国民が一年で一番楽しみにしている連休だ。


「どちらに行く予定なんですか?」

「日本だよ。クルーズ船でのんびりしようと思ってるんだ。妻が妊娠中だから、あまり遠くには行けないしね」


 診察室へ向かいながら、リンはフェイと軽い会話をする。そうでもしないと、気が滅入りそうだ。


「フェイ看護師はどうするんだ?」

「うちは家族でイタリアに旅行に行こうかと思ってます。親戚があちらに住んでるんですよ」


 先ほど挨拶をかわしたフェイの夫は呼吸内科に努める医師で、彼もまた激務によって疲れ切った顔をしていた。

 春節の休暇ではゆっくり体を休めて欲しいが、それもどうなるか。


「イタリアか、いいね。子供が生まれたら一緒に行きたいな。イタリアのどこに行くんだい?」

「トリノです」

「トリノ……前にオリンピックをやったところ?」

「ええ。冬季オリンピックです。男子がスキー種目で初めて金メダルを取ったのを覚えてませんか?」

「ああ、あの時か」


 両親と一緒にテレビの前で、メダルを取った瞬間に大喜びした記憶がある。


 それで思い出した。トリノは北部イタリアの美しい街だ。

 本当に、いつか行ってみたいものだ。


 石畳の美しい街に思いを馳せながら、リンは冷たいリノリウムの床の上を歩いた。



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