第3話 20×0年。一月三日。武国、湖西市。
SNSで注意を喚起した四日後、リンは地元警察からの呼び出しを受けた。
特に心当たりがなかったが、もしかしたら政府の高官の親族からクレームでもあったのかもしれない。
民主主義とは程遠いこの国では、そういったことは日常茶飯事だった。
リンが不安な気持ちを押し殺しながら警察へ行くと、そこで威圧的な警官から「デマを流すな」と叱責された。
「デマとは一体なんの事ですか?」
訳が分からずに聞き返すと、警官はプリントされた紙を見せて怒鳴りつけた。
「これはお前が発信したSNSだろう!」
渡された紙を見ると、先日のSARSの疑いがある患者のことを話した時のものだった。
リンは、同級生だけのグループチャットだからと思って気を抜いたのを後悔した。
もしこの発言が反政府的な発言だと捉えられてしまったら、逮捕されてしまうことも考えられる。
さすがに政治犯収容所へ送られることはないとは思うが、知らないうちにグループチャットにいた誰かの恨みを買っていて嵌められたとしたら、その可能性がゼロではない。
リンのこめかみから、つうっと汗が落ちた。
「これはただの注意喚起です。SARSがもしまた流行してしまったら大変なことになります。ですから防疫を――」
「嘘をつくな! 新しいウイルスが流行ったとデマを流すつもりだろう!」
唾を飛ばしながら詰問されて、リンは誤解を解かなくてはと焦った。
「いえ。臨床データから見て、明らかにインフルエンザではなくSARSに近いウイルスです。新しいといえばそうですが……」
そこまで言って、リンははっとして言葉を切った。
もしかしてあれは本当に未知のウイルスだったのではないだろうか。警察がここまで神経質になっているということは、公にできない何らかの事情があるはずだ。
例えば、本当にSARSではない新しいウイルスが発生していたとしたら……。
SARSの発生の際には、武国が発生源だとして国際社会から非難された。もしまた新しいウイルスの発生源だとなれば、再び批判にさらされるだろう。
そうなったら湖西市の上層部は責任を取って更迭される。
それならば、流行する前に人知れず封じこめてしまえばいいというのが、上層部の考えだろう。
急に口ごもったリンに、警察官が探るような目を向ける。その目の奥には冷たい光が見え隠れしている。
「その……ただの肺炎だったかもしれません。お騒がせしました」
頭を下げるリンに、警官はもう一枚の書類を出した。それは軽度の罪を犯した場合に警察に提出する訓戒書だった。
「これに署名をすれば、今回は大目に見てやる」
「……ありがとうございます」
リンは胸のポケットからパーカーのペンを取り出すと、訓戒書にサインをした。
その紙を警官に手渡そうとしたら、彼は受け取らずにじっとリンが使ったペンを見ている。
せっかく誕生日のプレゼントにと妻からもらったものだが……。
リンは心の中でため息をつくと、「よろしかったら、これをどうぞ」と差し出した。
警官は表情を変えないままペンを手に取ると、すぐにそれを制服の内ポケットにしまう。
「よし。帰っていいぞ」
ようやく解放されたリンは警察署を出ると、大きく息を吐いてこわばっていた肩を回す。
早く愛する妻の待つ家へ帰りたい。
そしてプレゼントしてくれたペンを失くしてしまったと言って、謝らなければ。
リンは足早に警察署を後にした。
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