第2話,Hello-Hello

 爽やかな朝だった。

 日差しも良好だ。

 雀の庭で戯れている声も気持ちが良かった。

 昨日の夜を忘れたかのように朝が来て、俺を眠りから覚ます。全てを精算するように。

 何事もないように、地獄が終わったんだ。

 芳子と俺の関係を崩そうとする奴はこの世界にはいなかった。長い間望んでたものだったのに、それは、俺が思っている何倍も何十倍も空虚だった。

 もしかすると俺は、自分の無力を、初めて悔しく思ったかもしれない。




 広間に行っても朝食を食べる気にはなれない。それに、朝食を作ってはもうもらえないのだ。

 俺は広間の畳に大の字になる。あいも変わらない広大に広がる天井を何をするでもなく見つめているだけだった。

「人間、一人になったら腐る言うけど、元々腐ってたんはより臭なるなぁ」

 女性の声だった。声の主は昔に嫌という程、それこそトラウマになるほど聞いた。だからこそ顔を声の主に向けるのは億劫だった。

 声の主はそんな俺の葛藤を無視して大の字になっている俺の正面に顔を覗き込むようにして見つめる。

 狐のようにニッと口角を上げる姿は、大人の余裕を感じさせ、彼女が着ている紫色の浴衣は凛としていても、どこか子供らしい雰囲気が漂っている。

「久しぶりやな。えらい腑抜けっぷりやな?元気だけが取り柄やったんやないんか、はじめ?」

 相変わらず皮肉めいた女性ひとだった。

「そうっすね。お師匠さん」

 俺は笑顔を作りながら、三年間の師である狐池唯こいけゆいに笑いかけるのだった。



「茶が飲めたもんやないなぁ」

 俺がダッシュで買ってきたコンビニのお茶を飲んでの唯の開口一番がそれだった。

 多分俺じゃなくてもキレてる。だが俺はそれを微塵も感じさせないようにした。

 少しでもそんな気を起こせばより煽られる。そして、手を挙げようものなら逆に返り討ちに遭うに決まっていた。少なくとも、俺の防衛本能は三年間の修行でそれを学習していた。

「まぁ、それはともかくとしてや」

「はい」

 真剣な顔になる。さっきまでとは流れる空気が全然違う。とても重く苦しいものになっているように俺は感じた。

「一、あたしこの前デイトレードで大負けしてもうてん」

「はぁ」

 驚きはあまりなかった。そもそも狐池唯という女性は無類の博打好きだが、俺が知っている限り勝っていたという記憶が微塵もない。いつもボロ負けしては金を家から借りるというアレな人だった。

「それで、なんの用なんすか?」

 残念ながら俺は師匠の金の無心はできる余裕はなかった。というか、俺はそんな余裕が一切なかった。というか、この人昨日幻夜が死んだことをしらないのか?

「そやなぁ。お前んとこの家広いやろ?だからな、あたしここに住んでもええか?」

「いや、でも………」

「知っとるよ。幻夜が死んだんやろ?」

「なら、なぜ、今なんですか?」

「あたしはあたしを軸にして世界を考えんねん。あたしがしたい思えばするし、したない思えばせぇへん。ワガママやぁ言う人もおるけど、そんなんあたしにとってはどうでもええねん」

「いや、でも俺まだ気持ちの整理ができてないというか……」

「締まらん男やなぁ。情けない顔して、俯いとるだけの、これからあたしはお化け屋敷にでも住ませるつもりなんか?」

「でも……」

「御託はええねん。とっととあたしの為に働け。さもないとどうなっても知らんで?」

 再び狐のように笑う。どうせすることもなかったので、俺は立ち上がり、空いている部屋を探すことにしたので出ていった。



「これでええんか、幻夜?」

 潰れるような声で呟いた唯の声を聞いた者は、誰一人いない部屋におらず、彼女の声は、消えていったのだった。



「流石は名門。部屋の数はえらい数やなぁ」

 感心するように唯は言う。

 今、俺は師匠に空いている部屋を紹介した。

 相手いる部屋なんて山ほどあったが、面倒なことが起きると困るので、なるべく俺の部屋から遠ざけるような形を取る事にした。

 そんな俺の気苦労も知らないで呑気に鼻歌を歌いながら俺の後を師匠は着いてくる。

「それで、どうして俺に脅迫して俺の家に住もうとしてるんですか?」

「あー、それはな、さっきデイトレードで負けた言うたやんか。あの前にな、狐池の本家の方からな、今度金の無心を頼み込めばあたしを家から追い出す言われてもうてん。んで、負けてしもうたから、しゃーないわと思って、寅牧にお世話になりに来てん」

「俺も部屋用意したんが馬鹿らしくなってきたんですけど」

「酷いこと言わんといてぇや。あんたが置き忘れてったエロ本処理したんはあたしやで」

「処理してるというか、丁寧に他の家経由させて送ってきたっていう嫌がらせだけは覚えてますよ」

「辛いわぁ」

「こっちがな」

 しばらく間ができてしまった。

 こちらが口を開こうとした時には、師匠が先に口を開いていた。

「幻夜の話、つい早朝知ってん」

「ですか……」

 そう言う事しか言えなかった。

「とりあえず、昨日の夜以降のことを話すで」

「はい」

 薄々感じてはいた。師匠がいくらお金にだらしがないとはいえ、弟子を頼るような程ではなかったはずだった。俺はやはりなと心の中で思いながら、話を続けてもらった。

「幻夜の災難の後な、陰陽師連盟のもんが幻夜の霊力が消失したんに気付いてここに来てん。そしたら、お前が幻夜の冷たなった身体の傍で失神してたらしい。そっからあたしがそれを知って宿がなかったからあんたを見とく言うて連盟のもんを帰してあんたを見守ってたわけや」

 師匠は陰陽師としての腕はトップクラスであり、並の陰陽師よりも遥かに腕が効く。そのため、信頼されて俺のお守りについたのだろう。しかし、

「あの、幻夜の方は」

「それはな…………」


「陰陽師連盟が幻夜様の死体を引き取ったわ」


 甲高い声によって師匠の声は阻まれてしまった。

 声の主は、やはり知っている声だった。

 勝気そうではあるが肌は繊細できめ細かく、黒のフリルの着いた服を来ており、いわゆるゴスロリと呼ばれる類だ。

 師匠を大和撫子とするなら、さしづめあちらは欧州の人形とも言うべきだろう。その2人が並ぶのは、対になっていて面白い。

 その少女の名前は、猪瀬万智いのせまち。俺や師匠と同じ陰陽師の大家の子女だ。

「それで、どうして万智がここに来てんだよ。お前わざわざ広島から来たのか?暇なんだな」

「万年ニート志望のゴミと同じにしないでくれないかしら。私は今日大阪で用事があったからたまたま立ち寄っただけよ」

「まぁまぁ、アホ同士仲良くせなアカンで。それで、万智。アンタはどうしてここに来たん?」

「すいません唯様。私が今日ここに来たのは、陰陽師連盟がここで待つよう指示があったからです。それに、昨日のことでどうやら向こうの方から説明があるとのことです」

「おいおい、ここは私有地だぜ?流石のお前でもバカから法も知らないバカにジョブチェンジしたのか?」

「一、それはアナタのことよ。この腐れニート。それに、指令に間違いはないわ。そろそろ………」

 万智はそう言って窓を見る。つられて俺と師匠も窓を眺める。

 すると、ドン!という大きな音が聞こえてきた。

「もう来たみたいね」

 とても嫌な予感がした。音のした方に行くと、家の塀にバイクが突撃していた。大惨事もいい所だった。

「ハーッハッハ!陰陽師連盟会長、子杜定春ねずさだはる華麗に参上だァ!」

 メガネを掛けて血塗れのスーツを着たおっさんは俺たちはの姿を確認すると、血を吐いて倒れた。

 この出会いが、俺の運命を狂わせるとは、その時は俺はこれっぽっちも考えが浮かびはしなかった。

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