二十四話 フィガロが見たもの ②
「あの時のカルは荒れててな、危ねぇ仕事もしてたんだ」
フィガロは流れる大地を見下ろしながらそう言った。腕を乗せた手すりから肘が外に出ている。フィガロの背中を眺めるリオナはギンの隣で静かに頷いてはフィガロが語る過去を聞いていた。
ハルジオンに移り住んでから一年後にフィガロの母親は病に息を引き取った。そしてそれをきっかけに盗賊の仲間入りを果たしたのだ。
「俺が相棒になったら急に危ない仕事には手ぇ出さなくなってよ。あいつは守られて遺される辛さを知ってんだ。だからいつも冷静に退き際を考えてんだよ……どっちも辛くならないようにな」
相変わらずフィガロの視線は飛空艇の下に向いているが、ずっと見ていた風景は目の前には無いものだった。
「あいつ、世界の滅亡とか興味ねぇんだ。皆一緒に死ぬならそれで良いとか言ってたしよ」
そこでふとフィガロの頭の中に疑問が浮かんだ。退き際を一番に考えるカルがどうして危険なオルフェウスと戦ったのかという疑問。フィガロは視線を上げる、空の色がいつもよりも濃く感じた。
――腹減って気ぃ立ってたんだな……
「あいつ、素直じゃないだけ……って、うおぉぉぉぉ!」
フィガロはそう言いつつ振り返ると号泣するギンに驚いた。
「がるぅぅぅ」
カルなのか、ガルなのかとフィガロが聞き返そうとしたが、その前にギンは細い腕で涙をゴシゴシと拭った。そして拭い終わるとすぐに顔を上げて口を開く。
「カルに謝ってくる!」
フィガロが何をと聞く前にギンは走っていく、それにつられて右手を出したフィガロにリオナもまた小さな声で呟いた。
「私も謝ってきます」
「……おぉ。まあ、何も悪い事してねぇけどな」
そう言って笑うフィガロに、リオナにも笑顔が戻る。
目的地まではもうすぐ、いつもより近い空には鳥の形をした雲がそこに浮かんでいた。
「あぁ、腹減ったきたな」
*****
溜息にも似た吐息が漏れる。気付けば押し寄せる満腹感にカルは少し罪悪感を感じていた。カルは今、部屋で一人、腹を満たした事を正直に打ち明けるか、それとも黙っているか頭を悩ませている。
――ギンが知ったらうるさいだろうしな……
「カルゥ!」
「ぅおおぉぅ!」
唐突にドアが開けられて自分の名前を呼ばれた事でカルは声がうわずってしまった。そこに立っているギンの姿にギクリとカルの心臓が締めつけられる。しかしカルはすぐにギンの様子がおかしいと気付いた。
「どうした? 何で泣いてんだ? まさか皆に何かあったのか?」
そう言ってベッドから腰を上げようとした時、ギンがものすごい勢いでカルの胸に飛び込んだ。ぐぅと唸るカルをギンは真っ直ぐに見つめる。
「ごめんなさぁい」
「は、はぁ? 何を謝ってんだよ」
「この前カルに浮気者って………………何か食べたでしょ?」
その言葉がカルの心臓を再び締め付けた。何故ばれたのかとカルは焦る、焦りは口を開かせ、開いた口からは曖昧な言葉しか飛び出てこない。
「何で? 何を?」
ギンはカルの言葉に答えない。ただ確かめるようにカルの口元に鼻を近づけて匂いを嗅ぎ始めた。
ギンの顔が近い事でカルの体温は一気に顔に集まったように頬を染める。ギンは濡れた舌を出してカルの口を舐めた。
少しざらついた感触にカルの口元が濡れる。
「肉……食べたな」
もはやカルの体は硬直して立ち上がれない、気の利いた言い訳も思いつかない。そしてギンはさらに匂いを確かめる、今にも触れそうな距離で首筋、胸元、そして先程、干し肉を落としたズボンの場所に顔をうずめて念入りに嗅ぎ始めた。
ギンの顔が動く度に下半身をくすぐったさに似た感覚が支配する。ダメだと言いたいが言いたくもない、カルがそんな葛藤と戦っているとギンがさらにズボンを舐めたのだ。
カルの鼓動が一段と高くなる、もう立ち上がってしまいそうだと、何とか自分落ち着かせる為にカルは大家のおばちゃんを想像しようとした。
だが何も思い浮かばない。体に伝わる感触がカルの思考に蓋をしている。
そしてギンは顔をうずめたままムフッと笑った。
だがカルも成長したのだ。こんな誘惑には負けていられないと体の主導権を奪い返す。両手でギンの頭を横から鷲掴みにする。ギンもまた顔をうずめたまま両手をカルの腰の後ろに回した。
「うおぉぉぉぉぉ!」
カルが小さな雄叫びを上げたその時だった。
部屋のドアが開いたのだ。そしてドアを開けたフィガロとカルの視線がぶつかると同じ声を発した。
「あ」
「あ」
……しばし沈黙が流れる。
ギンは相変わらず顔をうずめ、フィガロの横からは何かあったんですかとリオナの声がする。
「あぁ……なんか……悪ぃな」
フィガロはカルにそう言って部屋のドアを閉めた。
ドアの向こうではフィガロとリオナの声が小さく聞こえる。
「え? 居たんですよね? 何でドア閉めるんですか?」
「いやぁ元気だったから、もういいんじゃねぇかな」
「元気だったんですか?」
「元気だけど、その……あっちの方って言うか……な」
そんな二人の会話をカルは小さく震えながら聞いていた。そして恥ずかしさをかき消すように大声を出した。
「違ぁぁぁぁぁぁぁぁぁう!」
ギンの顔が離れたのはそれからしばらく経ってからだった。
*****
カルとフィガロは知らなかった。
ハルジオンに向かったあの日、瓦礫に埋もれた村に仮面の男が立っていた事を……
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