二十三話 フィガロが見たもの ①
六年前
ユリの森を囲む山から北へ、少し離れた場所に位置する小さな村ムスカリ。
十三歳のフィガロは母親が女手一つで切り盛りする食材屋を手伝っていた。店の軒下には赤や緑と色とりどりの食材が並ぶ、赤い果物を並べるフィガロに母親が声をかける。
「いつもありがとうね。アンタも友達と遊びたいだろうに」
「親父が居ないし、しょうがないよ」
「寂しいかい?」
「全然!」
フィガロが小さい頃、母親と共にこの村にやって来た、父親の顔など全く覚えていないフィガロにとってはどうでもいい事だった。
そんな変わらない毎日の中で小さな変化が起きた。ムスカリの村に王都から二人の子供がやって来たのだ。十二歳の少年カル・クライムと二歳年下のソニア・クライムの兄妹だった。
カルは紫紺色の髪と瞳、そして少し垢抜けた雰囲気が王都から来た事をフィガロに納得させた。ソニアは兄のカルに似ておらず金色の髪に水色の大きな瞳、前髪が眉の辺りで揃っていて、後髪は背中まで真っ直ぐに伸びていた。
何より二人の兄妹は仲が良かった。
親や保護者の姿は無かったが生活に困った素振りもなく、カルが瞬く間に村の悪ガキ達の心を掌握したのは王都から来たという憧れもあったのかもしれない。いつもカルを含めた五、六人の少年達が村で悪さをしたり、村の近くで獣を捕まえたりとやりたい放題だったが、カルの行く場所には常にソニアが居た。ソニアはカルを慕っていたし、カルもまたソニアを守っていたのだ。
そんなカル達をフィガロは店の奥に座りながら毎日眺めていた。
それも当たり前になって数ヶ月が経ったある日の事だった。
昼時の穏やかな村を轟音が襲った。
それと共に悲鳴が響き渡ると、家の中に居た村人は何が起きたのかと外に出た、そこに居たのは、人とも魔獣ともとれない歪な何かだった。
長い金色の髪から突き出した黒い角、左の側頭部からしかその角は出ていない。
耳が少し尖っているが大体は人間のような形、違うのは人と変わらない右手に対して、左肩から左手にかけて黒い根が絡まり合ったように伸びて、脈打つようにうねる腕のような何か。それが不気味な禍々しさを感じさせた。
一人、また一人と命を失っていく村人。
歪な化け物は禍々しい左腕を振り回し、魔法を使い、村を、人を次々と壊していく。こんな小さな村に魔獣と戦えるような村人はおらず、ただ悲鳴を上げて逃げ惑うだけだった。
フィガロと母親も店の奥で息を殺して隠れていた。だが大きな音と衝撃に壁が剥がされると視線をフィガロに向けて立つ化け物が居た。
だがすぐに視線は別の方向へと向けられる。カルを含めた少年達が化け物に立ち向かったのだ。
「こっちだ! 俺達が相手してやる!」
この時、カルは勘違いしていた。自分達なら倒せると思い上がっていたのだ。
カルは逃げるべきだった……ソニアを連れて。
角材や薪割り斧など、武器とも呼べぬ物をその手に構えた少年達を化け物が瞬く間にただの肉塊に変えていく。そしてカルもまた魔法を受けて壁に叩きつけられた。何かを感じて顔を上げたカルの瞳に金色の髪が映る。それはソニアの背中だった。
「逃げ……ろ」
その声が届いたか分からないが震える体と呼吸を噛み殺してソニアはカルを守ろうとした。
――やめろ……ダメだ……
「お兄……ちゃ……」
やがて金色に赤が混じるとソニアはカルの腕の中に崩れ落ちた。
「ああああぁぁぁぁ!」
悲痛な叫び声と共にカルの体に光が灯る。そしてカルを中心に巨大な旋風が巻き起こり始めた。フィガロは急いで母親と共に伏せる。轟音と暴風の中で見えたのは視界を行きかう村の残骸と歪な化け物が黒い靄に変わる瞬間だった。
浮き上がりそうになる体、フィガロと母親は必死で床を掴んで何とか風が消えるまで耐えた。
次にフィガロが見た物は瓦礫に変わった村とソニアの亡骸を抱くカルの姿だった。
カルは自分の腕の中で冷たくなっていくソニアを嗚咽を漏らして抱きしめる。小さい声で何度も謝りながらカルは泣き続けた。
翌日、生き残った数人は散り散りになった。噂を聞きつけた叔父が馬車で駆けつけてくれた為、フィガロも母親に連れられて叔父が住むハルジオンへと移動する事になる。ソニアを埋めた後、何も話さなくなったカルを
ハルジオンに着いた後、叔父も母親もカルの面倒を見る余裕は無いとして、叔父は知り合いの大家にカルの面倒を見てくれと頼みに行った。事情を聞いた大家は渋々それを了承すると薄汚れたカルに視線を落とす。
「坊や……名前は?」
大家はカルに名前を聞いたがカルは何も答えなかった。
パァンと乾いた音が響く、大家がカルの頬を叩いたのだ。後ろで覗いていたフィガロも息を呑んで見守っている。
「甘えんじゃないよ……ここに住みたいなら家賃を払いな!」
「……俺にはもう何もない」
かすれた声でそう言ったカルに対して大家はもう一度頬を叩いた。
「坊やはまだ生きてんだろ? まだその体がある。それにもう一つ、後ろで坊やを心配してる友達がいるじゃないか」
そう言った大家の顔は穏やかで優しい笑みを浮かべている。カルが振り返ると今にも泣きだしそうな顔をしたフィガロが居た。
「いいかい? 盗みでも何でもしていいから家賃を払う事、それから一生懸命生きてる人に迷惑かけんじゃないよ! ほらさっさとこっちに来な!」
周りがどう思うかはわからないが少なくとも今のカルにとっては大家の強引さが救いだった。何も考えずにカルは流れに身を委ねた。
少しして、立ち直った訳ではないが気持ちが落ち着いたカルは
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