第一章

一話 皇女リオナと盗賊カル ①


「皇女……リオナ皇女! 如何されましたか」


 文官が慌てた様子でそう問いかけた。リオナと呼ばれた皇女が目蓋を開くと、バルコニーの下に集まった兵士達の数万の憧憬の眼差しがリオナの金色の瞳に映る。

 これより大きな戦いが始まろうとしている。その出撃の前に帝国皇女の加護を受けようと数万の兵士が城の前に集まってソレを今か今かと待ちわびていた。



 ――今の映像ヴィジョンは……。



「もしや映像ヴィジョンを?」


 文官の問いかけにリオナは視線を兵士達に向けたまま答える。


「何でもありません」


 そう答えて、両手を胸に当てた後、兵士達に向けてその両手を広げた……その表情にはどこか切なさが漂っている。

 皇女の加護を受けた兵士達が一斉に雄叫びを上げた。その圧巻の光景がリオナの胸を締め付ける。



 ――加護を授ける力など私には無いのに……戦いなんて死に行くようなものなのに……。



 そんな思いとは裏腹に兵士達に出撃の合図が発せられると、再び雄叫びを上げて帝国軍は戦地へと行進を始めた。

 帝国軍の歩兵隊、騎馬隊からなる軍隊にはそれぞれ隊に合わせた機械人形が配備されている。

 そしてそれに追従する形で空挺部隊が飛空挺を操って出撃していく。


「お疲れ様でございます」

「疲れる訳ないでしょう……私には何も出来ないのですから」


 文官にそう言い残して皇女は城の中へと姿を消した。


 ここ帝都ダフネはコルディナス帝国の首都である。帝国はニブルヘイムと呼ばれるこの世界において最先端の文明を築いていた。機械は勿論、飛空挺、鉄道などが開発され、夜の闇が訪れようとも帝都は輝く光で溢れている。

 その動力となる資源は魔鉱石である。大気に満ちていた魔力を吸収した鉱石を特別な炉で溶かした後、加圧し凝固成分を取り除く事で魔力を液体化した燃料が出来上がる。

 今日まで帝国を発展させてきたのはこの技術があったからこそである。


 時はカイロス歴4389年……かつてこの世界に溢れていた魔力のほとんどが失われ、魔法を使える者も数少なくなってしまった世界で帝国はその領地をさらに広げるために同じ種である人間が統治するアレクサンドロス王国へと侵攻しようとしていた。


 その帝国軍歩兵隊の一兵士として紫紺色の髪の青年と筋骨隆々な黒髪短髪男が侵攻に参加し、先遣隊としてアレクサンドロス王国の国境に位置していた。

 その二人の眼前には王国軍が陣形を組んで帝国軍と相対していた。


「おいどうしてくれんだよ、カルのせいで俺まで使い捨ての兵士になっちまったじゃねえか」

「お前の記憶力は蟻以下か? お前がドジ踏まなけりゃ帝国兵に捕まる事なんてなかったんだよ」


 カルと呼ばれた紫紺色の髪の顔が整った青年は怪訝な表情でそう答えた。

 一週間前……カルことカル・クライムとその隣に居る男のフィガロ・タナトウスは帝国領土の街で盗みを働いた。

 その際、フィガロが逃走経路を間違えて帝国兵に捕まりそれを助けようとしたカルもまた帝国兵に後ろから頭を殴られて意識を失ってしまったのだ。

 そして犯罪者ばかりを集め、先遣隊として戦場に駆り出されたという訳である。

 もちろん……ここで戦果を挙げれば免罪もあり得るのだが。


「こんなメンツじゃ勝てる訳ねえ……ようは捨て駒だろうよ」

「まぁそう言うなフィガロ……俺達だけでも生き残ればいい」


 カル達のような犯罪者兵の多くは薄汚れた胴当てと武器、そして回復薬を一つを支給されただけ。かたや帝国兵は全身を覆う鎧を身に付けている。

 明らかに命の価値に差をつけられていた。

 そんな会話をしているとこの寄せ集めの先遣隊を指揮する歩兵長がカル達に叱責する。


「おい! 無駄口を叩くな! お前達の命なんて虫のようなもんだ。帝国の為に捧げろクズどもが!」


 そう言われて二人は顔を見合わせた。カルはここでこの歩兵長を殴り飛ばしてやろうかとも考えたが……結局、軽く頭を下げる事にした。


 やがて双方の緊張が高まってくると誰かが突撃と叫んだ。その合図を皮切りにまるで地響きのような足音と雄叫びをあげて双方の兵士達が激しくぶつかり合った。

 だが二人は帝国側ではない、相手を殺さないように手を抜いて戦っていた。


「おい……お前カルだろ?」


 不意にそうカルに声をかけたのは金色の髪をした王国の剣士だった。


「やはりカルだな、お前……帝国軍なんかに付いたのか!」

「カル……知り合いか?」


 フィガロの問いにカルは短剣を肩に乗せて答えた。


「あぁ、昔から何かにつけて突っかかってくる嫌いな奴だ」

「何が嫌いだ、このヴァイス・セイクリッドがお前をあの世に送ってやる!」


 ヴァイスがカルに向かって両刃の長い剣を横に薙ぎ払う……カルは短剣でそれを受け止めると甲高い金属音が鳴る。


「しょうがない……肩慣らしになればいいけど」


 カルのそんな言葉がヴァイスの怒りに油を注いだ、再びカルに斬りかかるがカルはそれをひらりと躱す。

 さらにもう一撃を躱すと今度はカルが短剣で斬りかかった、二回、三回と斬撃の回転を上げていく。


「ぐ……くそ……」


 防戦一方になるヴァイスが後ずさりするとカルはすぐさま間合いを詰めてヴァイスを斬りつけた。



 ――体が温まってきたな……そろそろ決めるか。



「悪いけどこっちも死ぬわけにはいかないからな」


 そう言いつつ短剣を逆さに持ってヴァイスの横を切り抜けた。


「ぐわっ!」


 ヴァイスの脇腹の鎧の隙間から血が噴き出し、剣を大地に刺して片膝をついた。

 ヴァイスは舐めた口調で挑発してきたカルが腹立たしかったがそれ以上にそんなカルに押されている自分が情けなかった。


「くそ……」


 その時だった……。


 悲鳴と共に兵士達が数人空中に舞い上がった。

 何事かとカルとフィガロ、それにヴァイスも視線を向ける。

 また兵士が高く舞い上がる……その中には歩兵長の姿もあった。


「あの偉そうな歩兵長が空飛んでるぜ」


 カルは笑いながらそう言ったがその笑顔はすぐに消えた、歩兵長を空中に突き上げたその正体を目にしたからだ。


「マジかよ……」


 フィガロも驚いた……そこには黒と灰色の毛皮に赤い模様が入った大型の魔獣モンスターが居た……たてがみも灰色の魔獣モンスター、四足歩行でありながら人の頭より少し高い位置に魔獣モンスターの頭がある。それほどまでに大きいのだ。

 その頭から角が二本伸びていて根元は黒く、角先は赤く輝いている。


「何で……こんな所にベヒーモスが?」


 大型魔獣モンスター……ベヒーモス。


 カルは図鑑でしか見た事がない魔獣の出現に戸惑ってしまったがすぐに辺りを確認した、戦える兵士が何人いるか知りたかったのだ。

 だが……カルの目に飛び込んできたのはあちらこちらで空中に突き上げられる兵士の姿だった。


 王国も帝国も関係無い。目の前の弱き生き物を踏みつぶし突き刺し、それを角で天に向かって放り投げるベヒーモスの群れだった。


「おいおい……ベヒーモスが群れるとか図鑑にも書いてないぞ」

「カル……どうする?」


 さすがにその状況で双方の兵が退却を始めるまで時間はかからなかった、もちろんカルとフィガロも同様に退却したのだが、ヴァイスの負け惜しみを無視したのは言うまでも無い。


 一体のベヒーモスでさえ倒せるか分からないのにそんな魔獣が群れを成している、勝てるはずがないのだ。


 息を切らして二人は逃げた。

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