第21話 おかえり僕の日常……だよね?
僕は日常へと帰還した。
メイドが寝室に入って、カーテンを開けてくれる。それが僕にとっては起床の合図だ。
窓から差し込む柔らかな朝日。ほかほかした布団。大好きな朝の空気。
僕は上半身を起こして、背伸びをする。今日も穏やかでスローな1日が始まる。
「うにゅ……」
僕の布団で、僕の妻が身を縮めた。
まぁ、妻と言っても偽物の妻だけれど。色々あって偽装結婚しているのだ。本当にそんなことをする必要があるのだろうか、という疑問は置いておく。
都合がいいのは事実だから。
「って!」僕が叫ぶ。「だから君はどうして僕の布団に入ってくるかなぁ!」
「あと5分……」
僕の偽物の妻、元勇者のチェリーが目を擦った。
「いいから起きろぉぉぉぉ!!」
「……分かったわよぉ……。あたし、朝はゆっくりしたいタイプなのよね……」
「それ前も聞いたし、僕もそうだけども! そうだけどもね! 君は僕とどうなりたいの!? 僕をどうしたいの!? なんで僕の布団に入ってくるのかなぁ!」
今回は僕が床に布団を敷いて寝ていたのだ。
チェリーにはベッドを使わせてあげたのに。それなのに、なぜわざわざこっちに入ってくるのか。
「あれ? あたしまた間違えた?」
チェリーが上半身を起こす。
チェリーは可愛らしいパジャマを着ている。ピンクの生地に、白いハートがたくさん散っている。
このパジャマはメイドが買ってきたものだ。明からに子供向けのパジャマな気がするけど、サイズはチェリーにピッタリだった。
たぶん、大人向けだけど子供向けのようなデザインが売りなのだろう。少女の心をいつまでも、みたいな。
「完全に間違えてる」と僕。
「ま、いいじゃない、どっちでも」とチェリーが笑う。
寝起きのチェリーは、髪の毛が酷く爆発している。まぁ普段からほわほわした感じの髪なのだが、寝起きは本当にすごい。
あっちにピョンピョン、こっちにピョンピョンって感じ。
僕は思わず、チェリーの頭をポンポンと叩いた。
ちなみに、チェリーの髪の色は綺麗な赤。鮮血をかぶったみたいな赤。
「まぁ、君がいいならいいけど……」
僕は少し照れながら言った。
ちなみに、僕のパジャマは空色のシンプルなパジャマ。これもメイドが買ったものだ。僕自身はあまりパジャマに興味がない。下着で寝ればいいと思っていたからだ。
実際、メイドが現れるまでの数日間は、下着で眠っていた。
「それより、顔洗って歯を磨きましょ!」チェリーが立ち上がる。「メイドに怒られちゃう」
「そうだね」
僕が立ち上がろうとすると、先に立ったチェリーが僕に手を伸ばす。
僕はその手を掴んで立ち上がった。
チェリーは腕力があるので、僕を立たせるなんて、文字通り朝飯前である。
「むふふ」
僕たちの様子をずっと見ていたメイドが妙な笑い声を上げた。
メイドは僕と目が合うと、急に真面目な表情で「おはようございます」と言った。
僕とチェリーはメイドに朝の挨拶を返し、それから順番に顔を洗って歯を磨いた。
なんだろう、2人で共有する朝も悪くないなぁ、なんて思った。
こう、なんと言うか、心が落ち着くというか、今まで味わったことのない幸福感がある。まるで人生の報酬のような、そんな貴重な感じがする。
僕たちはサッと着替えを済ませて朝食の席に着く。
朝食はパンとサラダ、それから熱いコーヒーだった。朝はあまり多く食べないのだ。
チェリーはコーヒーに角砂糖を4個も溶かした。4個もだ! 僕はビックリしたけど、何も言わなかった。コーヒーの好みはそれぞれだから。
ちなみに、僕はブラックのままコーヒーを飲んだ。
「さぁて、今日は何か予定入ってたっけ?」と僕。
「賢者レナードへの依頼はありません」メイドが言う。「ですが、問題があります。外でミロッチと遊んでいる……」
「子供たちがケガでもした!?」僕は焦って言う。「もしくはミロッチをケガさせた!?」
「落ち着きましょうレナード」メイドが溜息を吐く。「子供もミロッチも無事です」
「そっか。良かった。それじゃあ子供たちがどうしたの?」
「子供たちとは言っていませんが?」
「え? でもミロッチと遊んでるのって子供たちでしょ?」僕の代わりにチェリーが質問した。「大人たちじゃないわよね? 少なくとも」
子供たちの朝は早い。だからミロッチと遊んでいても不思議ではない。
逆に、大人がこの時間にミロッチと遊んでいたら不自然だ。怪しすぎる。僕なら色々と質問をする。明らかに不審者だからだ。
「確かに子供たちもミロッチと遊んでいますが……」
メイドが言い淀むのは珍しい。
「深刻?」と僕。
「ある意味」とメイド。
「分かった。見に行くよ」
僕はチェリーを誘って、2人で庭に出た。
僕の家の庭は背の低い柵で囲まれている。その柵の向こう側。つまり敷地の外なのだけど、そこでミロッチが子供たちと遊んでいた。
ああ、正確には、子供たちと、それから、妖精たちと遊んでいた。
僕は現実を受け入れたくなくて、しばらく硬直した。
チェリーも同じだったようで、口を半開きにして、すごく不細工な表情で固まっている。
僕は思わず、チェリーの手を握ってしまった。人は不安を感じると、何かに触りたくなる。まぁ僕は人じゃないけど、似たようなものだ。
チェリーは僕の手を振り払ったりはせず、むしろギュッと握り返した。
「天気がいいね」と僕。
「そうね」とチェリー。
本日も晴天なり。空は青く、高い。雲は白く、のんびりと浮いている。風はほとんど吹いていない。気候も涼しくてちょうどいい感じ。
「現実逃避はお済みですか?」メイドが僕たちの背後で言う。「では、あの虫たちを追い返してください。できれば子ドラも」
僕はチェリーと繋いでいない方の手で頭を抱えた。あれ? この動作、前にもやった気がする。
「まぁ、私に命じてくれれば、すぐに追い返しますよ? 地獄に」
「それは殺すって意味だよね!?」
僕はビックリして言った。
「いえ、地獄に送るだけです」メイドが淡々と言う。「肉体が死んでも、きっと魂的な何かは不滅なのではないでしょうか。たぶん。そんな気がします。ええ」
「殺すって意味で合ってるみたいだね!」
僕たちの姿に気付いた妖精たちが、楽しそうに手を振った。
チェリーが小さく手を振り返す。
僕も一応、小さく手を振った。
「妾たち!」
妖精女王が凄い勢いで僕たちの前まで飛んで来た。
「ここに引っ越し……」
「ダメ!!」
断ったのは僕ではなくてチェリーだった。
「絶対にダメ!! あたしの新しい人生を邪魔するのはダメ!! これからあたし、レナードに寄生して……じゃなかった、レナードやメイドと自分らしい人生を歩むって決めたんだからね!」
「チェリー今、寄生って言った?」
「言ってないわ」
チェリーは真面目な顔で言った。
きっと言っていないのだろう。うん。そんな真面目な表情で嘘を吐く奴はあまりいないはずだから。
「ま、とりあえず」
僕はチェリーと繋いでいない方の掌を妖精たちに向ける。
「まとめて妖精界にどーん!!」
僕は転移魔法を発動させた。
妖精女王以外の全ての妖精たちが、僕の村から消える。もっと正しく表現するなら、僕の転移魔法で妖精界に送り返した。
「さすがレナード」メイドがうんうんと頷く。「これほどの人数を一瞬にして別世界まで送るとは、いつでも世界征服できそうですね」
「その時はあたしが立ちはだかる」チェリーが言う。「……というのは昔の話で、今のレナードにそんな気ないわよね?」
「まぁね。それに転移魔法で世界征服は難しいんじゃないかな」
「いえ、そういう意味ではありません。とんでもなくバカげた魔力で、とんでもなくバカげた精度の魔法を使えるレナードなら、世界征服もできる、という意味です」
「できなかったけどね」僕が言う。「さっき言ったように、チェリーが立ちはだかった」
「わ、妾の部下たちー! 下僕たちー! 君たちのことは忘れない的な? 人間と頑張って戦って的な? 妾はこっちで平和に暮らすよぉ!」
「いや、あんたも帰りなさいよ」
あっさりと仲間の妖精を見捨てた妖精女王に、チェリーが苦笑いした。
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