第7話 勇者はお風呂がお好き


「レナード、湯加減はどうですか?」


 外で薪をくべているメイドが言った。


「最高」


 僕は湯船に浸かっている。


「では洗って差し上げましょうか?」


 メイドが窓から顔を覗かせた。


「いや、いつも言ってるけど、自分で洗えるからね?」

「そうですか。若返る気はありませんか?」

「若返る?」


 突然、何を言い出すのだろう?

 そりゃ、僕だって若さを保てるならその方がいいさ。

 そういう方法も、探せばたぶんある。

 だけど、緩やかに老いていくのも悪くない。そんな風に思う。

 結論として、

 若さを保てるならそうしたい。でも、そのために何か行動を起こす気はない。だからのんびり、ゆっくりと老いて逝くのだろう。


「私がいなければ、何もできない子供に戻りませんか?」

「そういう意味だったの!?」

「はい」

「お世話したい欲、半端ないね! 知ってたけど!」


 言ったあと、僕は脱力して口元までお湯に浸かった。


「では、チェリーの様子を見てきます」


 メイドが移動したので、僕は湯船から上がって、頭と身体を洗った。

 そして再び湯船へと戻る。


「あー、幸せだなぁ」


 僕は長い息を吐きながら、そう呟いた。

 何事も起こらない、平和な日々。

 僕が求めていたのはこれなのだ。

 僕は目を瞑って、お湯の温かさを全身で感じる。


「レナード!! レナード!! 大変だ!!」


 村人が激しく玄関をノックした。


「何事か起こったぁぁ!!」


 僕は慌てて湯船から出て、身体にバスタオルを巻いて玄関へ。

 というか、バスルームを出たらすぐに玄関なのだけど。

 玄関ではメイドがすでに村人に対応していた。

 さすがメイド。素早い。


「レナード。ドラゴンが出たそうです」とメイド。

「え? この村に?」と僕。


「違う!」村人が言う。「隣町の奴が、レナードに助けを求めてきたんだ! 近くに国軍がいて、討伐すると言っているらしいが、相手はドラゴンだから、賢者の助けを借りられないか、と!!」


「国軍か。どの程度強いのか分からないけど、ドラゴンの種類によっては全滅も有り得るね」

「幸いですね」


 メイドがボソッと言った。

 全然、幸いじゃないよね!?

 って、そうか。

 チェリーの追っ手だから、全滅してくれると都合がいい、って意味か。

 それでも幸いじゃないけどね!


「行ってやってくれないかレナード!」村人が言った。「隣町との関係は良好だし、たぶんレナードぐらいしかドラゴンに対応できる人間がいない……」


「いいよ。行くよ。着替えるから待って」

「あたしは行かないからね?」


 いつの間にか、チェリーが僕の背後に立っていた。


「うん。いいよ。お風呂入って、先に寝てて」


 チェリーが行くと、国軍に見つかる。

 ドラゴンより、むしろそっちの方が面倒だ。


「あたしは金輪際、人助けなんてしないんだから」


 ふん、とチェリーがソッポを向く。


「人助けにどんなトラウマがあるの!?」

「……別に?」

「まぁいいか。とりあえず僕はドラゴンと話し合いに行く。心配はしなくていいよ」

「え? してないわよ?」


 チェリーはキョトンとして言った。

 少しは心配して欲しかったなぁ!!

 ドラゴンって、案外強いんだぞ!?

 知ってるよね!?



「お風呂最高!!」


 あたしは湯船の中で叫んだ。

 すでにレナードはドラゴン退治に向かったので、家にはあたしとメイドの2人だけ。

 あ、正確には退治じゃなくて話し合い。

 勇者だった頃のあたしなら、間違いなく退治。

 魔物と話し合う、という考えがそもそもなかったあの頃。


「湯加減はどうですか?」


 外で薪をくべているメイドが言った。


「完璧!! メイドさんありがとう!!」

「どういたしまして。それでは、洗いましょうか?」


 メイドが窓から顔を覗かせた。

 あたしは慌てて両手で胸を隠してしまった。


「洗いましょうか?」


 あたしが何も応えなかったので、メイドが同じ質問をした。


「えっと、あたし、さすがに自分で洗える……」

「ちっ」

「舌打ちした!?」


 どんだけ洗いたかったのかと。

 このメイドと一緒に暮らしていたら、ダメ人間になってしまうのではないか、とあたしは思った。

 0から10まで、全てメイドがやってくれるのだから。


「ところで、着やせするタイプですね」


 メイドは真っ直ぐにあたしの胸を見ていた。

 あたしはいつの間にか、胸を隠すのをやめていたようだ。


「……勇者やめて、運動不足になって……脂肪が付いたのよ……」


 あたしはボソッと言った。

 事実、あたしは現役時代に比べて身体が柔らかくなった。

 脂肪が増えた的な意味で!

 触るとプニッ、ってする!!

 ストレッチ的な意味じゃない!!


「なるほど。しかし、問題はないでしょう」

「そう? 少し気にしてたんだけど、大丈夫かな?」

「胸が大きいとは言っていません。断崖絶壁かと思っていたので、少しは膨らみがあるんだなと、そう思った次第です」

「断崖絶壁!?」


 あたしの心は今、断崖絶壁から突き落とされた。そんな気がする。


「男性は揉める胸を求めますので、もう少し大きくてもいいかと」

「揉ませる前提!?」

「子供の作り方はご存じでしょうか?」

「だいたい知ってるし!」


 完璧には知らない。でも、その時がくれば男性がリードしてくれる、ってあたし聞いた。


「ところで、なぜ人助けが嫌なのでしょう?」

「え? どうしたのメイド? やけに質問してくるじゃないの」

「チェリーを第二宿主にしようかと」

「あ、うん、えっと、あたしの魔力を食べるってこと?」


 あたしが言うと、メイドがコクンと頷いた。

 ちなみに、メイドは相変わらず窓の外にいる。

 中に戻らないのだろうか?


「いいわよ。お世話になってるし」


「いえ、決めるのは私です」メイドが言う。「チェリーに権利はありません」


「ないの!?」

「はい。それで? 人助けが嫌な理由は?」


 あたしは口元までお湯に浸かって、しばらくブクブクと泡を出した。

 しばらくそうしてから、お湯から口を出す。

 そして小さく深呼吸して、言う。


「だって……ってメイドいなーい!!」


 窓に視線を移すと、星空が見えた。


「あ、薪を足していました」


 メイドがヒョコッと窓から顔を出す。


「……まぁ、いいけど……」あたしはやや腑に落ちないけれど、続ける。「えっと、勇者は助けるのが当たり前、ってずっと押しつけられてたから、心底嫌になった」


「なるほど。自発的でなければ、基本長続きしませんしね」


 その通り。

 やらされている、という犠牲者意識が強いと、イライラが募る。

 あたしの人生は全てそうだった。

 誰かに決められた道を、誰かに決められた性格で、誰かに決められた通りに歩いた。

 こんなの、あたしじゃない! って叫びながら。


「だから、あたしはもう誰も助けない。助けたいって思わないんだもの。ずっと我慢して仕方なく助けてたの」

「報酬はありませんでした?」

「あったけど……別に望んでない物ばっかり……」


 勇者なら武具だろう、とか。勇者ならコレだろう、という決めつけによる報酬ばかり。

 あたしはただ、可愛いリボンが欲しかった。

 あたしはただ、屈託のない笑顔で「ありがとう」って言って欲しかった。

 まぁ武具は好きだけど、あたしはすでに聖剣持ってたんだよね。だから、報酬の武具は仲間がコッソリあとで売って路銀にしてた。

 武具を報酬にするなら、もっと伝説級のいいモノ寄越せや! というのがあたしの本音だった。


「それはチェリーにも責任があります」メイドが真剣な声で言った。「欲しい物を、伝えなかったのでしょう? 勇者という枠に自分を嵌めていたから」


「……まぁ、そうだね」


 思えば、理想の勇者像に一番囚われていたのはあたしだ。


「ここでは遠慮せず、欲しい物を言ってください」メイドが微笑んだ。「村人たちも、大抵は応えてくれます。もちろん、人助けがしたくなったら、の話ですが」


「したくないよ」

「ええ。しなくても平気です。好きに生きればいい。ですが、以前のチェリーと今のチェリーは全然違うということは、理解してくださいね」


 メイドが何を伝えたいのか、あたしにはよく分からなかった。

 以前のあたしは勇者。

 今のあたしは逃亡者。

 大きく違うけれど、でも、だから何なのだろう?

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