第4話 勇者はウネウネした虫が苦手です


 僕はチェリーと2人で山奥の湖まで飛んで来た。

 チェリーは空を飛べないので、僕がお姫様抱っこした。

 チェリーは最初、すごく照れていたけれど、空に舞い上がると楽しそうにはしゃいだ。

 あんまりチェリーが騒ぐから、途中で何度か落としそうになったのは秘密。

 僕たちは湖の畔に降り立つ。

 まずチェリーを地面に降ろしてから、僕は背中に装備していた釣り道具一式を外す。


「ここで魚釣るの?」


「そうだよ。今日の夕飯。日が沈むまでに2匹釣って、帰る」僕は釣り竿を準備しながら言う。「君の釣り竿を明日作るけど、今日は見てて」


「あたし、魚釣り初めて!」


 チェリーは弾んだ声で言った。

 自分で釣る気満々である。

 見てて、と言ったのは聞こえていないようだ。


「あれ?」チェリーが首を傾げた。「なんで2匹なの? メイドの分は釣らないの?」


「君の分を釣らない」

「なんで!?」

「冗談だよ。そんな絶望的な表情しないで」


 意外と可愛いから困る。


「ゆ、夕飯、食べさせて……」


 チェリーがウルウルした瞳で言った。


「いや、食べさせるよ!? 冗談だよ!? 聞いてる!? 冗談だからね!?」

「そっか、冗談か。あたしってばビックリして心臓がお尻から飛び出るかと思ったわ」

「出ないよね!? 心臓がお尻から出たら死ぬよね!? てか、なんでお尻!? 微妙に遠いよね!?」


「あたしの住んでた地域で流行ってた台詞」チェリーが言う。「驚いた時に使うのよ」


「へぇ」


 人間というやつは、毎年のように新しい流行を作る。

 言葉だったり、服装だったり、音楽だったり。色々だ。

 魔王軍は比較的、変化を嫌う傾向にあったので、ずっと同じ物が好まれていた。

 人間の社会は新鮮だ。

 まぁ、人が多いところは嫌いだけどね!


「ところでさ、どうしてメイドの分は釣らないの? いじめてるの? 夜な夜なお仕置きとかして楽しんでる系? 元魔王だもんね、そんぐらいは、してるわよね?」

「してないよ!?」


 僕はビックリした。それこそ、心臓がお尻から飛び出すぐらい。


「魔王なのに? 捕まえた人間の女の子を陵辱するって聞いたわよ?」

「何その風評被害!! 一度もしたことないよ!? 人間たちって僕をなんだと思ってたの!? 性格は確かに悪かったよ!? 悪かったけど、そういうことしてないよ!? 魔王軍の連中も、だいたい魔物同士で結婚するからね!? 人間を陵辱とか極めて希なケースだからね!?」


 もっと端的に言えば、他種族である人間に欲情しない魔物が多かった。

 僕も姿は人間によく似ているけれど、人間に欲情したことはない。

 まぁ、最近は人間もいいなぁって思い始めたけどね!


「そうなの? 聞いた話と違う……」


 チェリーがやや残念そうに見えるのはなぜだろう?

 チェリーに話を聞かせた人物が嘘吐きか、または間違った情報を与えたことになるので、たぶんそれが悲しいのかも。


「というか、その話を信じてたのに、僕と住むとか逆に凄くない?」

「切羽詰まってたし。それにレナード、今は魔王じゃないでしょ?」

「そうだけどさ」


「子供たちも懐いてたし、問題ないって思った」チェリーが笑う。「それで? メイドはどうして魚いらないの? 魚嫌いなの?」


「いや、彼女はあまり食べないんだよ。少しは食べるけど、主食は僕の魔力だから」

「え?」


 チェリーが目を丸くした。

 主食が魔力、というフレーズが理解できなかったのだ。


「レナード魔王だったし、魔力が有り余ってるのね!?」チェリーが勝手に推測して言う。「だから、減らさないと暴走とかしちゃうから!? それでメイドに食べさせてるの!?」


「うん、違う」と僕。


 どいつもこいつも、僕の魔力を何だと思っているんだ。

 確かに、一般的な人間や魔物より僕の魔力は多いけれど。さすがに有り余って暴走するほどじゃない。


「彼女がどういう種族の魔物なのか、実はよく知らないんだけどね」僕は前置きしてから言う。「名前も知らないし。色々と知らないけど、知ってることも、もちろんあるわけ」


「うんうん」とチェリーが相槌を打つ。


「彼女はつまり、その、僕に取り憑いている」

「幽霊なの!?」

「いや、魔物だってば。取り憑いて魔力を吸う代わりに、身の回りのお世話をする。そういう感じ」

「なるほど、共存関係ってわけね」


「まぁ、魔王辞めた時に置いてきたんだけどね」僕は苦笑いしながら言う。「新しい主人を探せって言って」


「置いてったの!?」

「うん。1人で新しい人生を始めたかったからね。それで、この良い感じの村を見つけて、外れの家を購入して、僕はちょっとフワフワした気持ちで新生活に臨んだわけ」


「それでそれで?」とチェリー。


「数日後、目を覚ますと彼女が朝食を用意してた」

「怖っ! ある意味、ストーカーみたいで怖っ!」


「僕もビックリして、出て行くよう促したんだけど、首を横に振るんだよね。あんまり言うと、彼女は物理的に小さくなって、更に周囲に物理的な暗闇を撒き散らすから、もう仕方なく許した感じ」


「何その変な能力!」チェリーが驚いて言う。「自己防衛的な!? 宿主に追い出されないように!?」


「だろうね。あの姿見ると、だいたいのことは許してしまう」


 今日の午前中も、許したばかりだ。


「ちなみに、新しい主人を探せって言った時は彼女、小さくならなかったから、受け入れたんだと思った」僕は肩を竦める。「あとで聞くと、あまりのことに数日間、硬直してしまってたんだって」


「超変わった種族なのね。でも――」チェリーが言う。「――レナードのこと、大好きなんだね」


 その台詞に、僕は照れてしまった。

 僕だってメイドの彼女のことは大好きだよ?

 小さい頃からずっと面倒をみてくれたし。美人だし。料理は美味しいし、だいたい僕の味方だし、それから美人だし。

 まぁでも、恋愛の対象にはならない。

 小さい頃はお母さん、今はお姉ちゃんって感じが非常に強い。


「さ、さぁ、用意しなくちゃ。チェリーもよく見てて。明日からは、やってもらうから」


 僕は少し慌てて言って、針などの仕掛けを用意。

 チェリーは楽しそうに笑いながら、それを見ていた。

 そして僕が餌箱を開けると、


「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」


 チェリーが悲鳴を上げた。

 何事かと思って、僕は周囲を警戒したが、特に変わった様子はない。

 僕が魔王だった頃、何度攻撃してもそんな悲鳴上げなかったよね?

 一体、何が起こったというのか。


「気持ち悪いのがウネウネしてる!! それ!! レナードが開けた箱!! 寄生されてるのよ!! 倒して!! 早く倒して!!」


 チェリーは腕をブンブンと振り回した。

 酷いパニックだ。


「あ、いや、この虫は魚の餌だよ?」


 僕が言うと、チェリーはピタッと腕を振るのを止めた。


「魔物とかじゃなくて、魚の餌」


 僕は餌箱を持ち上げ、チェリーに近づけた。


「い、嫌ぁあぁぁぁあぁぁ! 魚なんでコレ食べるの!? 魚って変よ!! ウネウネしてて気持ち悪い! ヤダヤダ!!」


 再びチェリーが焦り始める。

 腕は振り回さなかったが、身が竦んでいて面白い。


「これはブドウ虫。ブドウの木の害虫なんだよ。だから捕まえて餌にする」僕は淡々と説明した。「もっとも、僕の村ではブドウは育ててないから、買ってきたものだけどね」


 僕は左手で餌箱を持っているので、右手でブドウ虫を1匹抓んだ。

 そしてチェリーの顔に近づける。


「よく見たらそんなに気持ち悪くないよ」

「……無理」


 チェリーはペタンとその場に座り込んだ。


「……え!?」僕は酷く驚いた。「腰が抜けたの!? 冗談だよね!? 勇者だよね!? うちの連中、もっと気持ち悪い見た目の奴もいたよね!?」


「無理してたのよぉぉぉ!! 勇者だから頑張ってたの!!」


 グスン、とチェリーが涙ぐむ。


「そんなに嫌なら、いいよ。大丈夫だから。もう頑張らなくていい。釣りは僕が担当。チェリーには苺の世話とか頼むから。心配しないで。頑張らなくていいから。僕も、心から嫌なことはしないって決めてる」


 僕は人生をやり直す。そう決めたのだ。

 今度こそ、自分の人生を生きる。

 誰かのための偶像ではなくて、自分自身の心に従った自分の人生を。

 そしてできるなら、チェリーにもそうして欲しい。

 チェリーは僕と同じだから。


「心から、嫌ってわけじゃ……ないもん」チェリーが言う。「釣りは、してみたいもん……」


「いいよ。分かった。餌は僕が付けてあげるから、釣ってみよう。やりたいことだけ、やればいい。君はもう十分、やりたくないことを続けてきたからね」


 僕が言うと、チェリーは少し驚いたような表情を見せた。

 僕は餌箱を置いて、右手で抓んでいたブドウ虫を仕掛けの針に刺す。


「あ、でも生活に必要な基本的なことは嫌でもやってね。クソはトイレで、とか」

「ちょっと!? なんてこと言うのよ!?」


 チェリーが咄嗟に立ち上がって、僕に詰め寄った。


「ほら。立てたね。じゃあ竿どうぞ。頑張ってみよう」

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