第2話 勇者も魔王も人生に疲れ果てたようです


 僕の家は狭い。

 まず玄関があって、短い廊下。

 廊下の右手がトイレで、左手がバスルーム。

 廊下の奥がLDKと呼ばれる空間。台所と食事スペース、それから居間が合わさった空間のことを、人間たちがそう呼んでいるのだ。

 居間の奥に、裏庭に出るためのドアがある。いわゆる裏口。

 そしてLDKの右手に僕の寝室。部屋はこの寝室しかない。一人暮らしの予定だったので、部屋は1つで問題なかった。

 ちなみに、メイドの彼女には部屋がないので、いつも居間のソファで眠っている。

 僕と勇者の少女は、食事スペースで椅子に座っている。

 テーブルを挟んで対面している状態。

 メイドの彼女が紅茶をテーブルに置く。

 僕の分と少女の分。


「……メイド雇ってるの?」と少女。

「雇ってないよ。深い事情があるんだけど、それより勇者の話を聞こうかな」


 匿って欲しい、と少女は言った。

 つまり、誰かに追われているのだ。


「勇者もう辞めたんだけど……。あんただって魔王辞めたでしょ?」

「そうだね。じゃあ、えっと……」


 僕は少女の顔を見る。

 よく見ると割と可愛らしい。

 戦っている時は、まったくそんなこと思いもしなかったけれど。


「チェリーよ。チェリー・ルート。そっちは?」

「レナード・ブラックバーン」


 なんてことでしょう、僕たちはお互いの名前さえ知らずに殺し合っていた!

 その昔――まぁ割と最近だけど、僕はチェリーのことを勇者と役職で呼んでいたし、チェリーも僕を魔王と呼んでいた。


「無駄に名前カッコイイ!!」とチェリー。

「そっちも無駄に可愛い!!」と僕。


 そして沈黙。

 お互いまだギクシャクしている。


「……髪、伸びたね」


 僕は沈黙に耐えられなくて、そんなことを言った。

 非常にどうでもいい。


「勇者だった時は、戦いの邪魔になるから、ショートにしてただけ。本当はずっと伸ばしたかったし……」


 チェリーは少し照れたように、右手で髪の毛をいじりながら言った。


「そっか。似合うよ」

「ありがと。あんた……じゃなかった、レナードも、伸びたんじゃない?」


 僕の黒髪は女の子のショートヘアぐらいの長さがある。

 昔のチェリーぐらいの長さ。


「ぶ、武闘派魔王だったから……短髪にしてただけ……」


 そして沈黙。

 どうすんのこれ? どうすんの?

 二人ともぎこちないよ!?

 数年前まで敵で、普通に殺し合ってたもんね!

 いきなり笑顔で会話は無理だよね!

 と、メイドの彼女がテーブルの中心にお皿を置いた。

 お皿の上にはクッキーが載っている。

 助かったぁぁぁぁ!!


「よかったらどうぞ。メイドの彼女が焼いたもので、美味しいよ?」

「ありがと、頂くわ」


 チェリーがクッキーを1つ、口に運ぶ。


「紅茶もどうぞ。クッキーと合うから」


 僕の言葉で、チェリーが紅茶を飲む。

 そして、チェリーはホッと息を吐いて、


「美味しいよぉぉぉぉぉぉ!!」


 泣き出した。

 あまりにも突然だったので、僕は驚いて固まってしまう。

 え? 何がどうなってんの?

 これ、何か言った方がいいの? 大丈夫? どうしたの? とかでいいの?


「お、お腹空いてたのかな?」


 僕は少し混乱しているようだ。

 それはないだろう。違うだろう。


「あたし、ずっと食べてなかったのぉぉぉぉ!!」

「まさかの正解!? なんで食べてないの!? てか何があったの!?」


 ぐすん、とチェリーが袖で涙を拭う。


「お金持ってなくて……」


 チェリーが俯く。


「えっと、追われてるの? 誰に? 魔物?」


 魔王軍は解体したけれど、魔物たちは元気だ。別に殺したわけじゃない。

 散り散りになったはずだが、徒党を組んで勇者に報復しようと考える連中もいるかもしれない。

 チェリーが顔を上げて、涙で潤んだ瞳で僕を見る。

 ちょっとドキッとした。


「国軍……」

「そっかー、国軍かぁ。そりゃ大変……は!? ごめん! もう1回言って! 僕の聞き間違いの可能性あるから!」


 国軍ってあれだろ? この国の正規軍って意味だよね!?

 勇者が追われているなんて有り得ない。普通は有り得ない。


「国軍。正確には、ランベリス連合王国正規軍」


 ランベリス連合王国というのは、この国の正式名称。

 僕の村も所属している。

 人間たちは魔王軍に対抗するため、いくつかの国が連合して1つの強力な国を形成した。

 それがランベリス連合王国。まぁ、ずっと昔の話だ。

 ちなみに、勇者の血脈を残すラン王国が連合の中心となったと聞いている。


「何やらかしたの!?」

「……殴った……」

「誰を!? ねぇ誰を殴っちゃったの!?」

「……王子様」

「やっちゃったね! それはやらかしたね! なんで殴ったの!?」


「あたし、世界が平和になって、勇者いらなくなって、それで……」チェリーがまた泣き出す。「結婚しろって言われて……王子とお見合いさせられて……ぐすっ」


「政略結婚ってやつ? あんまり詳しくはないけど、王の血脈と勇者の血脈をまとめようって感じの話?」


 僕が言うと、チェリーが頷く。

 王権の強化だ。人間の世界ではよくある話だと聞いた。


「それで、嫌だったけど、あたし良い子だったから、お見合いして……2回デートして、2回目で押し倒されて……」

「マジで!? 王子クズじゃん!」


「そん時にね……」ぐすん、とチェリー。「あたし、わけ分からなくて、周りに言われるまま、良い子ちゃんの勇者をずっとやってて、怖いのにレナードと戦って、人助けとか面倒なのに、良い子だからいっつも助けてさ、あたしの人生って何なんだろうって、なんか走馬燈みたいになってさ……」


 涙を拭きながら、チェリーが語る。


「それで頭の中で、ブツンって音がして、気付いたら殴り倒してたの……」

「チェリー、それは」


 僕は立ち上がり、テーブルを回ってチェリーの背後へ。


「僕も知ってる。ブツンって音がして、何もかも嫌になった」


 僕はチェリーを背後から抱き締めた。


「僕は本当の僕を殺し続け、魔王であり続けた。それは辛くて、本当に辛くて、だから僕も頭の中でブツンって音がしたんだ。君も同じだったんだね」


 何度も殺し合った勇者が、自分と同じだった。

 周囲の期待に応えるために、理想の像を追い求め、そして本当の自分を殺した。

 やがて心が悲鳴を上げて、もう無理だと音がする。


「レナードもなの……?」

「そう。僕もそう。だから魔王軍を解体して、ここにいる」


「いいよね、ここの生活」チェリーが僕の手に触れる。「のんびりしてて、スローな感じがして、殺し合いとは無縁だし、紅茶もクッキーも美味しいし、羨ましいな」


 チェリーは小さく溜息を吐いた。

 そして、少し怒ったような表情をした。


「とりあえず、離れてくれない? ちょっと雰囲気に流されてドキッとしたしビックリもしたけど、いつまで触ってんの!?」

「え? 触ってるって?」

「胸! レナードの手、あたしの胸に置いてる!!」


 僕は手を動かす。何かを握るような感じで。

 そうすると、とっても柔らかい感触があった。


「揉んだ! 今、揉んだ!! 誰にも触らせたことないのに!! 酷いよ!!」

「ごめん! ごめん! 確認しただけ! 僕は確認しただけ! いやらしいことは何も考えてない!」


 ヤバイ。チェリーを押し倒した王子をクズと罵ったすぐあとに、僕は何をしているんだ?

 僕は慌ててチェリーから離れる。

 メイドがキッチンからこちらを見て、ニヤッと笑った。

 え? それ何の笑い? 何の笑いなの君!


「確認しなくてもいいでしょ!」チェリーが僕の方を向いて言う。「触ってるって言ったじゃないの! あたしが嘘吐いたと思ったの!?」


「いや違う。ごめん。ウッカリ確認しただけ」


 僕は両掌を見せながら、自分の席に戻る。


「ウッカリなら仕方ないわよね」チェリーが何度か頷く。「って、なると思うの!?」


「思わない! 本当にゴメン! お詫びじゃないけど、しばらくうちにいてもいいよ! さすがの国軍も、こんな田舎まで君を探しに来ないだろうし、来てもごまかしてあげるよ!?」

「いいの!?」


 チェリーは目をキラキラさせて言った。

 怒りは消し飛んだようだ。僕はホッと胸を撫で下ろす。


「いいよ。困ってるんだろう? そもそも、どう身を隠せばいいか賢者に尋ねに来たんだろう? ここにいればいい。それが答え」

「ありがとうレナード! 持つべき者は憎むべき敵よね!」

「うん。それ違うと思うけど」


「でも変なことしないでね?」とチェリーが目を細める。


「しないよ!」

「子供部屋、増設しますか?」


 いつの間にか僕の隣に立っていたメイドの彼女が言った。

 とっても楽しそうな口調だった。


「「いらないから!!」」


 僕とチェリーの声が重なった。

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