スローライフ魔王 ~全てに疲れたので、田舎でスローライフを志す~
葉月双
第1話 穏やかな日々に珍客、襲来
人類は魔王軍と血みどろの戦争を続けていた。
何年も、何年もその争いは続いた。
魔王が死んでも新しい魔王が生まれ、勇者が死んでも新しい勇者が生まれ、終わることなく、果てしなく永遠に続くと、誰もがそう思っていた。
ある日、魔王が自軍を解体して姿を消すまでは。
魔王は玉座に書き置きを残した。
もう疲れた。探さないでください。
魔王軍の魔物たちは散り散りになり、勇者たちは困惑し、人類は唖然とした。
しかし、それでも、平和は訪れた。
釈然としない者も多かったが、ひとまず、平和は平和である。
そして2年の月日が流れた。
◇
「ほら、これでよし。もう無茶するなよ」
僕は少年のケガを魔法で癒して、そう声をかけた。
少年は木登りをしていて、枝から落ちたそうだ。
少年は足の骨がバッキバキに折れていたが、僕の回復魔法なら秒で全快である。
ここは少年の家。
僕は少年の両親に呼ばれて、ここに来た。
「ありがとうレナード! 内臓破裂してもレナードがいたら平気だね!」
少年が僕に抱き付く。
僕は少年の頭を軽く撫でた。
あと、内臓が破裂したら僕が到着する前に死ぬんじゃないかな。さすがの僕でも、死者はどうにもできない。
「いつもありがとうね」少年の母が言う。「はいこれ、お礼のトマト」
少年の母が籠一杯のトマトを僕に渡す。
僕はそれを受け取って、微笑む。
「レナードくんって、本当にすごいわよねぇ」少年の母が言う。「超高位の回復魔法?」
「いや、基本的な回復魔法【ヒール】だよ」
「【ヒール】であのケガ、秒で治るものなのかしら?」と少年の母。
「僕は賢者だから」
僕は再び微笑む。
「男前よねー、レナードくん」少年の母が頬を染める。「23歳だっけ? わたしがもっと若かったら……」
「お、おい……」と少年の父が苦笑いしていた。
「ではまた。ケガや病気があれば、呼んでくれれば助けに来るよ。僕は賢者だからね、人の役に立つのは幸せだよ」
ヒラヒラと手を振って、僕は少年の家をあとにする。
外は快晴。穏やかな日差しと、田舎の風景。
風が柔らかく、僕の黒髪を撫でた。
僕は自宅へと歩き始める。
この村の片隅で生活するようになって、分かったことがある。
僕はどうやら、人間の女から見たら『イケメン』らしい。
ちなみに僕の服装は、白い清潔なシャツにループタイ。黒のベストに黒のロングコート。ズボンとブーツも黒で揃えている。
それほど高価な服ではないが、落ち着いた雰囲気なので気に入っている。
昔は紫のど派手なマントとか羽織っていたけれど、思い出したくもない。
「ああ、なんて穏やかな日々……。トマト美味しそうだし」
のんびりと小道を歩くと、村の外れに僕の家が見える。
僕の家は、小さくて狭い平屋。
だけどそれで十分なのだ。迷子になるほど大きい魔王じょ……家とか不要だし。
ゆったりとしたスローな日々。
それはかつてのハイスピードで回る世界に比べて、ストレスフリーと言っても過言ではない。
ちなみに、自宅の庭はそこそこ広い。
その庭で、苺を育てている。
僕の苺は村でも評判がいい。
花壇もあって、今はメイドが花に水をやっている最中だった。
「あ、お帰りなさいませ――」
メイドが僕に気付き、小さく微笑みを浮かべた。
「――魔王様」
「ちょ!!」僕は慌ててメイドに駆け寄る。「レナード!! 僕はレナード!! 一緒に暮らしたいなら、お願いだからレナードって呼んで!? ね!?」
しかしメイドは微笑みを浮かべ、楽しそうに水やりを再開した。
このメイドは、僕が小さい頃から僕の世話をしてくれている。
見た目の年齢は20歳前後だけど、昔から一切容姿が変化していない。
彼女がどういう種族の魔物なのか、実は知らない。
彼女の髪は美しい金色のストレート。陽光を浴びてキラキラしている。
肌の色は透き通るように白く、雪を思い起こさせる。ちなみに、彼女が日焼けしたことはない。僕の知る限り、ない。
瞳はブルーで、まるで深い海のよう。
身長は僕の胸ぐらいで、体重は知らないけど、見た感じ軽そう。
服装は黒いエプロンドレス。エプロンの部分は白。
「ねぇ、君」僕は彼女の名前を知らない。「お昼はトマトのスライスだよ」
僕が籠一杯のトマトを見せる。
「ほう。魔……レナードが有り余る魔力をふんだんに無駄遣いして、少年のケガを治した報酬ですね?」
「無駄遣いじゃないよ!?」僕はビックリして言う。「ケガを治すのは全然、無駄じゃないよ!? それに使ったの【ヒール】だから! 全然無駄じゃないし!」
「【ヒール】で不治の病を治すレベルなのにご謙遜を」とメイド。
「僕の【ヒール】そんなすごいかなぁ!?」
それだともう、【ヒール】以外の回復魔法が不必要だよね。一応、僕は現存するほぼ全ての魔法を使えるけれど。
一部、血脈限定や種族限定系の魔法は使えないけれど。
「ええ。とりあえず、それは私が」
メイドがジョウロを置いて、両手を差し出した。
「いや、今日は僕が料理したいんだけど。切るだけだし」
「そうですか。お世話させてくれないんですか。そうですか。そうですか……」
メイドがドンドン小さくなって、彼女の周囲が薄暗くなる。
どういう原理か分からないが、傷付くと彼女はこうなる。
「いや、やっぱり君に頼むよ」
僕が籠を渡すと、メイドは元のキラキラした美しい女性に戻る。
このメイド、僕が逃亡……新しい人生を始めた数日後には僕の家にいた。
なぜ発見されたのか完全に謎だが、とにかく彼女は僕の家にいて、昔と同じように僕の世話を始めてしまったのだ。
メイドは籠を抱えて家の中に入った。
僕はジョウロを仕舞うべきかどうか少し考えた。
「いや、置いておこう。たぶん途中だしね」
僕はできれば、一人で生活したかった。
けれど、彼女のことは嫌いじゃない。
それどころか、唯一、本心を話せる相手だったし、もっとぶっちゃけると唯一の友達でもある。
理想の魔王像を追求していた僕は、性格が悪く、他に友達がいなかったのだ。
はぁ、と溜息を吐く。
自分を殺し、魔王に徹していた日々を思い出すと、悲しくなる。
あの玉座に座っていたのは本当の僕じゃない。
だって、僕、実はけっこういい奴なんだもん!
人助けとか超好きなんだけど!
それでお礼にトマト貰うとか最高なんですけど!
あと、スローペースの人生の方が好き!
などと僕が考えていると、
「賢者様! 賢者様! お知恵を拝借したいことがあります!」
少女の声が聞こえたので、振り返る。
村の住人ではない。住人なら声で分かる。もう2年近く住んでいるので、全員把握しているのだ。
少女は長いふわふわした赤毛で、年齢は18歳ぐらいか。
厚い布製の茶色いブラウスを着ていた。スカートも同じく茶色だが、裾から白いペティコートがはみ出している。
最近、ペティコートを少し出すファッションが流行しているのだ。
老人たちはその服装を見ては「だらしない」とか「最近の若いもんは」と言っている。
「うん。僕でよければ力になるよ? お礼は野菜か何か、食べ物を貰えるとありがたいな」
少女が僕のすぐ近くまで駆け寄り、立ち止まるのを待ってから、僕は微笑んだ。
たぶん、僕の噂を聞いて、わざわざ訪ねて来たのだろう。
そんなことを思いながら、少女の顔を見る。
「あの……」
少女が僕の顔を見て、目が合って、そして固まった。
僕も固まった。
お互い、相手を知っているのだ。
でも、当時と雰囲気が違いすぎて、確信が持てない。
もしかして似ているだけ?
そんな疑問と、脳内で戦っているのだ。
僕も少女も。
「え? えっと……勘違いだったら、ゴメン」
少女が右手を恐る恐る持ち上げ、僕を指さした。
「……魔王よね?」
「あぁぁぁぁぁ!! やっぱりかぁぁぁぁ!!」僕は叫んだ。「勇者だよね!? 君、勇者だよね!?」
違っていて欲しかった。
別人であって欲しかった。
何度この少女と殺し合ったことか。
技と技をぶつけ合い、殺し合った。
「ええええええ!?」勇者だった少女も叫ぶ。「賢者って聞いたんだけど!? 魔王じゃないの!! ものすごく魔王じゃないの!!」
「ものすごく魔王って何!? 君こそものすごく勇者じゃん!?」
「何してんのよ魔王!! こんな田舎で何してんのよ!!」
「こっちの台詞だから! 君こそ、こんな田舎に何しに来たの!? もしかして今も僕の命を狙ってるの!? だったら逃げる!!」
「逃げなくていいわよ! そんなの1年前にやめたんだから!」
それはつまり、1年前はまだ僕を殺そうとしていた、という意味だ。
まぁ、でも、今は違うってこと。
「だいたい、あんたが勝手に引退したせいで、あたし抜け殻になっちゃったんだからね!? 人生の目標だったのに!!」
「知らないよそっちの事情は! 僕だって自分の人生を自分で選ぶ権利あるだろう!?」
僕と勇者だった少女はしばらく睨み合った。
だが、数秒で二人とも肩の力を抜いた。
「それで? 僕でよければ本当に力になるよ? 君が嫌じゃなければ」
「じゃあ匿って」
「いいよ」
「いいの!?」
少女が驚いて目を丸くした。
「いいよ。とりあえず入りなよ。狭い家だけど、紅茶ぐらいは出るよ」
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