スローライフ魔王 ~全てに疲れたので、田舎でスローライフを志す~

葉月双

第1話 穏やかな日々に珍客、襲来


 人類は魔王軍と血みどろの戦争を続けていた。

 何年も、何年もその争いは続いた。

 魔王が死んでも新しい魔王が生まれ、勇者が死んでも新しい勇者が生まれ、終わることなく、果てしなく永遠に続くと、誰もがそう思っていた。

 ある日、魔王が自軍を解体して姿を消すまでは。

 魔王は玉座に書き置きを残した。


 もう疲れた。探さないでください。


 魔王軍の魔物たちは散り散りになり、勇者たちは困惑し、人類は唖然とした。

 しかし、それでも、平和は訪れた。

 釈然としない者も多かったが、ひとまず、平和は平和である。

 そして2年の月日が流れた。



「ほら、これでよし。もう無茶するなよ」


 僕は少年のケガを魔法で癒して、そう声をかけた。

 少年は木登りをしていて、枝から落ちたそうだ。

 少年は足の骨がバッキバキに折れていたが、僕の回復魔法なら秒で全快である。

 ここは少年の家。

 僕は少年の両親に呼ばれて、ここに来た。


「ありがとうレナード! 内臓破裂してもレナードがいたら平気だね!」


 少年が僕に抱き付く。

 僕は少年の頭を軽く撫でた。

 あと、内臓が破裂したら僕が到着する前に死ぬんじゃないかな。さすがの僕でも、死者はどうにもできない。


「いつもありがとうね」少年の母が言う。「はいこれ、お礼のトマト」


 少年の母が籠一杯のトマトを僕に渡す。

 僕はそれを受け取って、微笑む。


「レナードくんって、本当にすごいわよねぇ」少年の母が言う。「超高位の回復魔法?」


「いや、基本的な回復魔法【ヒール】だよ」

「【ヒール】であのケガ、秒で治るものなのかしら?」と少年の母。

「僕は賢者だから」


 僕は再び微笑む。


「男前よねー、レナードくん」少年の母が頬を染める。「23歳だっけ? わたしがもっと若かったら……」


「お、おい……」と少年の父が苦笑いしていた。


「ではまた。ケガや病気があれば、呼んでくれれば助けに来るよ。僕は賢者だからね、人の役に立つのは幸せだよ」


 ヒラヒラと手を振って、僕は少年の家をあとにする。

 外は快晴。穏やかな日差しと、田舎の風景。

 風が柔らかく、僕の黒髪を撫でた。

 僕は自宅へと歩き始める。


 この村の片隅で生活するようになって、分かったことがある。

 僕はどうやら、人間の女から見たら『イケメン』らしい。

 ちなみに僕の服装は、白い清潔なシャツにループタイ。黒のベストに黒のロングコート。ズボンとブーツも黒で揃えている。

 それほど高価な服ではないが、落ち着いた雰囲気なので気に入っている。

 昔は紫のど派手なマントとか羽織っていたけれど、思い出したくもない。


「ああ、なんて穏やかな日々……。トマト美味しそうだし」


 のんびりと小道を歩くと、村の外れに僕の家が見える。

 僕の家は、小さくて狭い平屋。

 だけどそれで十分なのだ。迷子になるほど大きい魔王じょ……家とか不要だし。

 ゆったりとしたスローな日々。

 それはかつてのハイスピードで回る世界に比べて、ストレスフリーと言っても過言ではない。

 ちなみに、自宅の庭はそこそこ広い。

 その庭で、苺を育てている。

 僕の苺は村でも評判がいい。

 花壇もあって、今はメイドが花に水をやっている最中だった。


「あ、お帰りなさいませ――」


 メイドが僕に気付き、小さく微笑みを浮かべた。


「――魔王様」


「ちょ!!」僕は慌ててメイドに駆け寄る。「レナード!! 僕はレナード!! 一緒に暮らしたいなら、お願いだからレナードって呼んで!? ね!?」


 しかしメイドは微笑みを浮かべ、楽しそうに水やりを再開した。

 このメイドは、僕が小さい頃から僕の世話をしてくれている。

 見た目の年齢は20歳前後だけど、昔から一切容姿が変化していない。

 彼女がどういう種族の魔物なのか、実は知らない。

 彼女の髪は美しい金色のストレート。陽光を浴びてキラキラしている。

 肌の色は透き通るように白く、雪を思い起こさせる。ちなみに、彼女が日焼けしたことはない。僕の知る限り、ない。

 瞳はブルーで、まるで深い海のよう。

 身長は僕の胸ぐらいで、体重は知らないけど、見た感じ軽そう。

 服装は黒いエプロンドレス。エプロンの部分は白。


「ねぇ、君」僕は彼女の名前を知らない。「お昼はトマトのスライスだよ」


 僕が籠一杯のトマトを見せる。


「ほう。魔……レナードが有り余る魔力をふんだんに無駄遣いして、少年のケガを治した報酬ですね?」


「無駄遣いじゃないよ!?」僕はビックリして言う。「ケガを治すのは全然、無駄じゃないよ!? それに使ったの【ヒール】だから! 全然無駄じゃないし!」


「【ヒール】で不治の病を治すレベルなのにご謙遜を」とメイド。

「僕の【ヒール】そんなすごいかなぁ!?」


 それだともう、【ヒール】以外の回復魔法が不必要だよね。一応、僕は現存するほぼ全ての魔法を使えるけれど。

 一部、血脈限定や種族限定系の魔法は使えないけれど。


「ええ。とりあえず、それは私が」


 メイドがジョウロを置いて、両手を差し出した。


「いや、今日は僕が料理したいんだけど。切るだけだし」

「そうですか。お世話させてくれないんですか。そうですか。そうですか……」


 メイドがドンドン小さくなって、彼女の周囲が薄暗くなる。

 どういう原理か分からないが、傷付くと彼女はこうなる。


「いや、やっぱり君に頼むよ」


 僕が籠を渡すと、メイドは元のキラキラした美しい女性に戻る。

 このメイド、僕が逃亡……新しい人生を始めた数日後には僕の家にいた。

 なぜ発見されたのか完全に謎だが、とにかく彼女は僕の家にいて、昔と同じように僕の世話を始めてしまったのだ。

 メイドは籠を抱えて家の中に入った。

 僕はジョウロを仕舞うべきかどうか少し考えた。


「いや、置いておこう。たぶん途中だしね」


 僕はできれば、一人で生活したかった。

 けれど、彼女のことは嫌いじゃない。

 それどころか、唯一、本心を話せる相手だったし、もっとぶっちゃけると唯一の友達でもある。

 理想の魔王像を追求していた僕は、性格が悪く、他に友達がいなかったのだ。

 はぁ、と溜息を吐く。

 自分を殺し、魔王に徹していた日々を思い出すと、悲しくなる。

 あの玉座に座っていたのは本当の僕じゃない。

 だって、僕、実はけっこういい奴なんだもん!

 人助けとか超好きなんだけど!

 それでお礼にトマト貰うとか最高なんですけど!

 あと、スローペースの人生の方が好き!

 などと僕が考えていると、


「賢者様! 賢者様! お知恵を拝借したいことがあります!」


 少女の声が聞こえたので、振り返る。

 村の住人ではない。住人なら声で分かる。もう2年近く住んでいるので、全員把握しているのだ。

 少女は長いふわふわした赤毛で、年齢は18歳ぐらいか。

 厚い布製の茶色いブラウスを着ていた。スカートも同じく茶色だが、裾から白いペティコートがはみ出している。

 最近、ペティコートを少し出すファッションが流行しているのだ。

 老人たちはその服装を見ては「だらしない」とか「最近の若いもんは」と言っている。


「うん。僕でよければ力になるよ? お礼は野菜か何か、食べ物を貰えるとありがたいな」


 少女が僕のすぐ近くまで駆け寄り、立ち止まるのを待ってから、僕は微笑んだ。

 たぶん、僕の噂を聞いて、わざわざ訪ねて来たのだろう。

 そんなことを思いながら、少女の顔を見る。


「あの……」


 少女が僕の顔を見て、目が合って、そして固まった。

 僕も固まった。

 お互い、相手を知っているのだ。

 でも、当時と雰囲気が違いすぎて、確信が持てない。

 もしかして似ているだけ?

 そんな疑問と、脳内で戦っているのだ。

 僕も少女も。


「え? えっと……勘違いだったら、ゴメン」


 少女が右手を恐る恐る持ち上げ、僕を指さした。


「……魔王よね?」


「あぁぁぁぁぁ!! やっぱりかぁぁぁぁ!!」僕は叫んだ。「勇者だよね!? 君、勇者だよね!?」


 違っていて欲しかった。

 別人であって欲しかった。

 何度この少女と殺し合ったことか。

 技と技をぶつけ合い、殺し合った。


「ええええええ!?」勇者だった少女も叫ぶ。「賢者って聞いたんだけど!? 魔王じゃないの!! ものすごく魔王じゃないの!!」


「ものすごく魔王って何!? 君こそものすごく勇者じゃん!?」

「何してんのよ魔王!! こんな田舎で何してんのよ!!」

「こっちの台詞だから! 君こそ、こんな田舎に何しに来たの!? もしかして今も僕の命を狙ってるの!? だったら逃げる!!」

「逃げなくていいわよ! そんなの1年前にやめたんだから!」


 それはつまり、1年前はまだ僕を殺そうとしていた、という意味だ。

 まぁ、でも、今は違うってこと。


「だいたい、あんたが勝手に引退したせいで、あたし抜け殻になっちゃったんだからね!? 人生の目標だったのに!!」

「知らないよそっちの事情は! 僕だって自分の人生を自分で選ぶ権利あるだろう!?」


 僕と勇者だった少女はしばらく睨み合った。

 だが、数秒で二人とも肩の力を抜いた。


「それで? 僕でよければ本当に力になるよ? 君が嫌じゃなければ」

「じゃあ匿って」

「いいよ」

「いいの!?」


 少女が驚いて目を丸くした。


「いいよ。とりあえず入りなよ。狭い家だけど、紅茶ぐらいは出るよ」

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