鬼(前)

ぜいぜいと蝉が鳴いています。

暦の上ではとっくに秋でしたが、

蝉も夏も寿命の事を忘れたかのようにはしゃぎまわっていました。

空はどこまでも果てのない青色で、入道雲は空を泳ぐ鯨みたいに浮いてます。


私こと――カワタ ヒトが、

そんなゾンビみたいな真夏日の昼間に出歩いているのは、

冷房が壊れた家にいるのもなんだかなぁと思って、

近所のスーパーのアイスクリームコーナーで夜が来るまで、

ペンギンみたいにじっとしていようと思ったからです。


家を出て、まっすぐ行くと左手に神社があって、

そこの角を左に曲がって、ずーっとまっすぐに進むと、

お目当てのスーパー『フラワリィ』にたどり着きます。


神社には公園が隣接されていますが、

今の時期だと小学生やそれよりも小さいこどもは皆、神社で遊んでいます。

神社にはおじいちゃんよりも長生きしているような大きな木がたくさんあって、

昼でも少し薄暗いような様子で、見た目にも実際にも結構すずしい場所なのです。


だから夏の暑さに負けじと外で遊びたいようなこどもは、

太陽の下で遊具を使うよりも、神社の木陰で走ったり跳んだりしているのです。

(でも、わざわざ神社で携帯ゲーム機で遊ぶような子もいるんだよね、変なの!)


きゃんきゃらとこどものはしゃぐ声が、神社から聞こえました。

ああ、小学生がはしゃいでいるのだなと思い、ちらりと目をやってみると、

すごい綺麗な女の人がにこにこ笑って、子どもたちを追いかけ回していました。


この田舎町では見たことがないようなきれいな人でした。

太陽が光を浴びせることを躊躇したような白い肌をしています。

さらさらと流れる髪の毛は地上に漆黒の美しい宇宙が舞い降りたようです。

痩せているでも太っているでもなく、足も身長もすらりと長い、

美術の教科書に書かれているような均衡の取れたプロポーションを見ると、

お腹をぷにっとつまんで

「なんで君はそんなんなんだい」と身体に説教してしまいそうになります。


彼女が纏う黒いセーラー服も赤いリボンタイも、

彼女に着られたというだけで、自分の服生を永遠に自慢出来ることでしょう。


そんな美しい人が、やはり美しい顔で笑いながら、走り回ります。

子どもたちがきゃあきゃあ笑いながら逃げ回ります、

美しい人も、きゃあきゃあと子どもたちと同じ笑顔で追いかけ回しています。


見ているものがあまりにも信じられなくて、私がぼうっと立っていると、

きゃらきゃら笑う美しい人が、私のもとに駆け寄ってきて、

ぽんと、私の肩をたたきました。


「えっ……?」

「おにさんこちら!おにさんこちら!」

きゃんきゃらきゃらきゃらきらびやかに、美しい人は私にタッチをして、

そして私に背を向けて走っていきました。


私は見ていただけで、別にこの子どもたちと知り合いというわけではありません。

なんと返すべきかしどろもどろに言葉を探していると、

「鬼ごっこですよ」と後ろから声をかけられました。


振り向くと、レジ袋にたくさんのラムネを持っている女の子がいました。

声が少し低くて、髪が短かかったので、少し悩みましたが、

あの美しい人と同じ黒いセーラー服を着ているから、女の子だとわかりました。

男の子の綺麗と女の子の綺麗の両方を持っているような人でした。

おじいちゃんみたいに髪の毛が白いのに、

おじいちゃんというより天使だな、と思ってしまいます。


「ハーン先輩が誘っているんです。折角だから、混ざっていきなさい」

低い、落ち着いた声で、囁くように言いました。


そして私を通り越して、石造りの鳥居にレジ袋を置きました。

慎重に置いたのに袋の中でラムネ瓶同士がぶつかって澄んだ音が響きました。


美しい人――ハーンと呼ばれた女性が、手を叩いてけらけらと笑います。

子どもたちも笑っています。


「おにさんこちら、てのなるほうへ」

「おにさんこちら、てのなるほうへ」

「おにさんこちら、てのなるほうへ」


ようし、と私は腕まくりをしました。


去年小学校を卒業して、私も友達も素敵なものをたくさん見つけました。

男の子達みたいに馬鹿みたいにはしゃぐよりも、

きらきらとした音楽やファッションの話をする方が楽しいと思っていました。

もう、大人なんだからと――なんだか全力で遊ぶことも変なように思えました。


「よーし!」

私は誰を狙うかを特に決めもせずに走り出しました。

中学生って結構こどもです。私もまだまだそうだったみたいです。


「まてまてー!」

だって、今、とっても楽しいから!


いつの間にか墜ちたくない太陽が最後の抵抗をするみたいに、

空を赤赤と燃える夕焼けの色に染めていました。

カラスがかぁかぁと鳴いています、早く帰れと言っているみたいです。


子どもたちはカラスに従うみたいに帰ってしまって、

神社のガラガラ(あの強そうな鈴に太い紐がついている奴!)に向かう段差に、

私達だけが3人並んで座っていました。


「きょうはたのしかったねぇ!」

ハーンさんがけらけらと笑いながら、言いました。

ハーンさんは、一緒に遊んだ中で一番こどもっぽい人でした。

全力でぜいぜい走り回って、いつまでたっても捕まえられないと頬を膨らませて、

神社にあるあらゆるものに初めて見たみたいな好奇心を向ける人でした。


「えぇ、ハーン先輩」

天使みたいな人――蘇芳八雲スオウヤクモという人は、

ハーンさんの次に子どものような人でした。

いつまでもハーンさんが子どもを捕まえられないと見るや、

『忖度という言葉を知っているか』『それが人間としての正しい行いか』

『ハーン先輩が楽しく遊べることが人生の正解である』

と躊躇も容赦もなく、真夏の神社で子どもに説教をかます人です。


ハーンさんのことが好きなことを隠そうともしない人です。


3人でラムネの瓶をちん、と鳴らして乾杯をしました。

ぬるくなってしまった炭酸の砂糖水は、冷たいよりも体に染み渡ります。


「ハーンさん達は、ここらへんに住んでいるんですか?」

「んーん」

私の質問に、ハーンさんは大きく首を横に振ります。

「おにたいじをするために、ここにきたんだよ!」

「鬼退治……」

ハーンさんから冗談みたいな言葉が飛び出してきました。

どこか舌っ足らずで甘ったるいハーンさんの言葉は

「なーんちゃって!」には繋がらず、そのまま終わってしまいました。


「なにかの比喩表現ですか?」

「比喩じゃないよ」

飲み干したラムネの瓶をからからと振りながら、八雲さんが答えます。


「瓜子姫とあまんじゃくって話知ってる?」

「えっと……瓜子姫っていう女の子を、天の邪鬼が殺して、

 その皮を被って……瓜子姫に化けちゃうっていう話でしたっけ」

「そうだよ、この街にはそういうおばけが出るのさ。

 人を殺して、その皮を被ってその人に化けて、そしてまた人を殺す……」

その言葉を聞いて、私が汗をかいたのは、暑いからではありません。

鬼だなんて、そんなもの――いるわけがない。

そう笑い飛ばせばよかったのに、八雲さんの言葉があまりにも真に迫っていて、

そして――私はおそらく、鬼のことを知っているから。

だから、私は汗を流したのです。


「夜を歩く時は気をつけてね、人の皮を被った鬼が出るよ」

ぺこりと、私は頭を下げて走り出しました。

ハーンさんは何も知らないような顔でにこにこと笑って、

私に「ばいばい」と手を振りました。


隠さなければならないものがありました。

燃える空を背にして、私は急いで家に帰ります。


「ただいま」も言わずに、私は階段を駆け上がり、自分の部屋へと入りました。

デスクトップのパソコン、デジタルカメラ、プリンター。

他の女の子が持っていないような機械が私を出迎えます。

デスクトップのパソコンを置いた四足のテーブルの下に、

クッキーの缶詰があります。

そのクッキーの缶詰の中には、私が撮ったたくさんの写真があります。


いろんな写真を撮りました。

友達と遊んだ時、旅行に行った時、なんでもない日でも、

ああ空が綺麗だなと思えば窓から写真を撮ったりします。


流石にスーパーで涼むだけだから、とデジタルカメラを持ち出しませんでしたが、

今日持ち出してれば、間違いなく写真を撮っていたでしょう。


クッキー缶の蓋を開き、プリンターで印刷した写真たちの下の方に、

私の秘密の写真があります。


何故、私はこんな写真を撮ってしまったのでしょう。

何故、こんなことをしてしまったのでしょう。


猫の写真があります、私が飼っているというわけではありません。

死んだ猫の写真です、病気や事故で死んだわけではありません。


私が殺しました。

楽しかったです。


自分でもおかしいとわかっているのに、本当に不思議です。


ハーンさん達は私を退治しに来たのでしょうか。

私は、いつの間にか鬼に殺されていて、

鬼が私のフリをしているのでしょうか。

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