ろくろ首(後)


昇りきった太陽が、世界を照らしていた。

九月にも関わらず、この街は人間の身体ぐらいの熱を持っている。

汗は身体を伝い、雨のように地面に落ちてコンクリートに印を刻んだ。

コンクリートに染み込んだ汗は熱気がすぐにかき消してしまうだろう。

あるいは、この熱では体ごと蒸発してしまうかもしれない。

住宅街を歩きながら、クビはそのようなことを考えた。


「こんにちはー」

熱をよく吸収するであろう真っ黒なセーラー服、

赤いリボンタイを結んだ短髪の少女がいる。

その髪色は白髪で、若白髪というにはあまりにも多すぎる。

だが、少年とも少女ともいえないような中性的な容貌が、

老人というよりは天使の髪色といった印象を与えている。


野球をするというわけでもないだろうに、ずりずりと金属バットを引きずっていた。

コンクリートとの擦り傷が金属バットの先端に見える。


そして、短髪の少女の後ろでにこにこと、

この世のあらゆる罪悪から解放されたかのような笑っている黒い長髪の少女。

モデルのような体型に、

短髪の少女と同じ黒いセーラー服と赤いリボンタイを纏っている。

最も緩んだ口元と目を細めた笑みのせいで、身長と容姿よりも遥かに幼く見える。


六原久比ろくはらくびさんですね」

声をかけられて思わず振り向いたクビの先には、そのような少女がいた。

初めて見たというわけではない、

首屋敷に行くと決めた帰り道にクビは彼女らを見たことがある。

だが、何故名前まで知っているというのだ。

クビは薄ら寒いものを感じた。暑さとは違う種類の汗が滴り落ちた。


「そういえば、この前会いましたね。

 覚えていますか?名乗っていなかったですね。

 僕の名前は蘇芳八雲すおうやくも

そう言うと、八雲は両手でもうひとりの少女を指し示した。

「そして、あちらにおわすのがハーン先輩です」

「こんにちは~!」

ハーンと紹介された少女は満面の笑みのまま挨拶をして、両手をぶんぶんと振った。


「は、はぁ……」

クビの中にある思考は唯一つである、この少女たちから逃げなければならない。

話の通じない手合というのは世界にいて、そして目の前の二人は確実にそうである。

高校生のクビにもその程度のことは理解している。


「……死にましたよ」

「えっ」

「穂木さんですよ、アナタが相談しに行った」

「なっ」

「なんのことですか……はダメですよ、

 昨日アナタに電話したのはハーン先輩なんですから」

「くびくん!うそついちゃだめだよ!めっ!」

笑うのをやめたかと思えば、

頬を膨らませて、腰に手を当てて、背を凛と伸ばして、

幼児が赤子に注意するようにハーンが声を上げた。


耐えるにも限界はある。

クビにとってはそれが今、この時だった。

二人の少女に背を向け、クビは勢いよく走り始めた。


ごんと鈍い音がした。

投げられた金属バットが自分の背に当たる音だと少しして気づいたのは、

痛みに足を止め、蹲ったクビの後ろで八雲が金属バットを拾い、

今度は投げるではなく、思いっきりクビの背に振りかぶったからである。


「あぁぁぁぁぁっ!!!!」

「背中だし、いうて僕の力なんて非力なものなんだから大丈夫ですよ」

 絶叫するクビを気にも留めずに、「けど」と冷たい声で八雲は続けた。

「逃げたら、追います」

「やくもちゃん!めっ!」

「怒られちゃった」

やはり頬を膨らませて怒るハーン、少し嬉しそうに頭をかく八雲。

あまりにもその様が現実と乖離しているくせに日常のフリをしているのが、

クビにとっては恐ろしくてしょうがなかった。


「さて、何の話からするべきか」

八雲が言う。ぜいぜいと蝉が鳴く、日は照る。

周りには家が立ち並ぶが、今この瞬間は三人しかいないとクビは確信していた。

平日の昼間と言っても、家に人がいないということはないだろう。

しかし、悲鳴を上げても助けを求めても、

誰にも届くことはないだろう。


「ろくろ首の話をしましょうか」

八雲が左手で自分の首を抑えて、下をべっと伸ばした。


「穂木さんの事務所を調べたら、

 パソコンとメモ帳にアナタが話した内容と穂木さんによる診断がありました。

 ……穂木さんは残念でしたね。

 幽霊退治なら、いや……おばけ相手でも理解すれば祓えたでしょうから」

「……おばけ?」

「アナタに憑いてる存在ですよ、さて……」

八雲は咳払いをし、言葉を続けた。


「穂木さんによる診断は、アナタに幽霊は憑いていない。

 検索履歴を調べれば、そもそも首屋敷などというものもないらしい。

 だったら話はこれ以上となくシンプルです。

 アナタは幽霊に憑かれていないし、首屋敷なんて場所にも行ってない」

「わー!やくもちゃん!たんていみたーい!」

「ふふ……まぁ、幽霊に憑かれてなければ霊能者に会ってはいけない、

 なんてルールはありませんからね」

「……俺がなんのために?」

「そりゃあ……彼女さんのためにでしょう」

「ソラの……」

思わず恋人の名を呼んで、クビは口を塞いだ。

何を考えているかわからない人間に、

恋人の名を知られることほど恐ろしいことはない。

何をされるかわかったものではない。


「ろくろ首が首を伸ばす手伝いですよ」

暑い暑い世界で、冷たく冷たく八雲が微笑む。


「この前、ぬらりひょんというおばけを殺しました。

 少しずつ、少しずつ、本人の知らぬところで本人のように振る舞い、

 いつしか本人と入れ替わってしまうというおばけなんですけどね」

「いにはか、いにはか、ぬらりひょん。えいやれ、こらうと、ぬらりひょん」

ひょこひょことハーンが踊っている。


「寄生した相手のいないところでぬらりひょんは動きますが、

 ろくろ首というのは逆みたいですね……アナタの中にしか、彼女はいない」

「は?」

「いや、幻覚ってわけじゃないんですよ。

 アナタと一緒にいる時は、姿も形もある、物も食えば、キスも出来る」

ぎぃぎぃという音をクビは聞いた気がした。

周りの家から、聞こえる何かが軋む音、揺れる音。


「知ってますか、ろくろ首って妖怪を。首がびよーんと伸びるんです。

 けど首が伸びるって言ったって、胴体がなきゃあいけません。

 アナタはろくろ首の胴体ですよ。

 ろくろ首……アナタの彼女はいる。

 その認知を広げて、アナタの知らぬ範囲でも首が動けるようにするための。

 いつか、ろくろ首が八の首を持つおばけに至るための、その胴体です」

「んーん、やくもちゃん。やまたのおろちはいないねぇ!

 ろくろくびだよ!ろくろくびだよ!ろくろくびだよ!」

「そうですね、ハーン先輩。

 八岐大蛇にもネッシーにもなれませんよ、ろくろ首です」

金属バットの先端を突きつけるように、八雲は、すいと腕を伸ばした。


「さて、首屋敷……これがいけない。

 おそらくですが、

 ろくろ首は最初はアナタの彼女として寄生するだけのおばけだったのでしょう。

 アナタの彼女としてどこまでも側にいて、

 どこまでもその行動範囲を伸ばしていく、アナタが首だった。

 ところが、首屋敷……肝試しをするために、

 アナタはちょっとした嘘を言ってしまった」


クビは思い出す。

――ソラの家を見て、何もない場所を心霊スポットのように扱おうと思ったこと。

――別に、悪意はない。ちょっとだけ怖がらせて、いい雰囲気を作りたかったこと。

――ソラの家で待ち合わせ、ソラが家から出てきて、そして二人で首屋敷に……


「アナタの彼女の家は、何の変哲もない空き家でした。

 アナタの彼女が、誰かが住んでいるはずの家にいていいはずがないですからね。

 ところが、アナタが嘘をついたせいで、ただの空き家は首屋敷に変わりました。

 嘘のつきかたを、アナタはろくろ首に教えてしまった。

 アナタの彼女だけが自分の役割ではないと知ってしまった、

 穂木さんの秘書のように振る舞えることを知ってしまった」

「んもー!くびくんのうそつき!」


「どこまで無意識か、どこまでわかっているかわかりませんが。

 アナタ達は首屋敷に入った、別にそれで何がどうということはありません。

 ただ、アナタの彼女は霊障に悩まされるフリをした。

 けれど、怖いから代わりに霊能者のところへ行ってくれとでも言った。

 首を伸ばしていくために、その邪魔者を消すために。

 そして、今日は平日の昼間ですよ……学校はどうしたんですか?

 サボるのなら、もうちょっといい場所があるでしょう。

 それとも、自分の彼女を皆に紹介でもしましたか?」


 ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ。なんの音?

 家の中で首吊死体が揺れる音。

 

「どこまでも認知を広げて、首を伸ばしていくおばけ……

 アナタの恋人!穂木さんの秘書!首屋敷の死体!バカバカしい!」

「しさやか、しさやか、ろくろくび。はれまれ、はらまれ、ろくろくび」

ハーンが歌っている、意味の無いような歌詞を。

ハーンが踊っている、もがくのと大して変わらぬような様で。


八雲は、思いっきりクビの首に向けて金属バットを振り抜いた。

クビに痛みはなかった。

ロープの切れる音、どしゃと死体が崩れ落ちる音。

そして、意味のわからぬ涙。

何もかもよくわからぬままに、ただ彼女は死んだということだけは理解できた。


「ろくろ首って言ったって、首切り離せば死ぬんです」

「ねぇ、やくもちゃん。おなかすいちゃったよ」

「じゃあ、またハンバーガーでも食べに行きますか」

「うん!はんばーがーだいすき!」


何の変哲もない日常の会話をしながら、

クビの目の前で二人の少女が日常に溶け込もうとしていく。

手を伸ばそうか、声を上げようか。

しかし、何もすることは出来なかった。

蝉がぜいぜいと鳴いている。

一人だけ、クビは取り残された。


家に帰ることも出来ず、クビはぼんやりと駅に向かっていた。

どこかに行くというわけでもない、誰かを待つというわけでもない。

もうその相手はいない。

海水浴や花火、電車に乗って行った夏休みの残滓を感じ取ろうとしたが、

ただ、日常だけが流れていくだけだった。


どれほどの時間をぼんやりと過ごしていたのだろう。

気づけば、時間は夜になっていた。

電車のライトをクビはいやに眩しく感じている。


それもそうだろう。

気づけば、クビは白線よりも更に外側へ踏み出していた。


死んだ恋人と、同じ場所へ行くために。


ばらばらになった死体の、頭部は未だに見つかっていない。



ろくろ首は、日本の妖怪の一種。ろくろっ首。

大別して、首が伸びるものと、

首が抜け頭部が自由に飛行するものの2種が存在する。

(wikipediaより引用)

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