ろくろ首(中)


土曜、夜、闇に穴を開けるかのように月がぽっかりと浮かんでいた。

クビは待ち合わせ時間の少し前にソラの家に着いて、

なんともなしに携帯端末を操作している。

「やっ、クビくん」

それを見計らったかのように、ガチャと扉が開いて家の中からソラが現れる。

夜で、肝試しだというのに相変わらずの制服を着て、微笑んでいた。

「待ち合わせ時間ぴったりにインターホンを……

 なんてこと、わざわざ考えなくてもいいのに」

「面接とか、デートとか、時間早めに来すぎるのって良くないらしいからさ」

「ふーん、ネットで見たの?」

「うん」

「ネットじゃなくてぇー……私を見なきゃダメだよ?」

なんてね、と言ってソラがにひひと笑う。

釣られるようにして、クビも笑った。


「じゃあ行こっか」

「うん」


そして、二人は首屋敷へと入っていった。



「……それからなんです」

霊問題解決事務所という冗談みたいな看板が掲げられた雑居ビルの一室、

パイプ椅子に座った青ざめた顔のクビと、机越しに向かい合う男が一人。

スーツを着た、金髪の男だ。日に焼けた濃い肌の色をしている。

そして少し離れて、会話内容をパソコンで打ち込んでいく眼鏡の女がいる。

「んー……なるほどねぇ」

男はクビの言葉にうんうんと頷くと、どんと自身の胸を叩いた。

「まっ、大丈夫っしょ。サクッとお祓いするんで、任しといてよ」

「……はい、お願いします」

「とりあえず、準備が出来たら連絡するんで、よしなによろしく。

 あ、これお守りね。大切にしといて」

男はニコニコと応対し、部屋から出ていくクビを見送ると、溜息をついた。


穂木ほぎ所長、なにか感じましたか?」

「微妙だね、茜原あかねばらさん」

パソコンを閉じた茜原の声に、少々オーバーに見えるぐらいに穂木は頭を振った。

「首屋敷に肝試しに行って以降……家でも、学校でも、街でも、

 そこらかしこに首を吊った女の姿を見るようになった……でしたか。

 それは幽霊によるものではない、と」

「一応、お祓いはしてみようとは思うけどさぁ。

 親御さんに連絡してカウンセリングなり、受診なり、

 本当に必要な処方はそういうんじゃないかなぁと思うね、俺は」

「では、彼に渡したお守りも?」

「安産祈願のやつ」

穂木は羽織っていたジャケットを椅子の背に掛けると、

シャツの袖をめくり、冷蔵庫へと向かっていった。

「コーラ飲む?」

「ありがとうございます」


「グラス一個しか無いから、俺は直で飲むよ」

グラスが一つ、しゃあと爽快感のあふれる音を立てて、

ペットボトルのコーラが注がれていく。

グラスを茜原の元まで運んで、穂木が言った。

「あ、ちょっと首屋敷について調べてみてよ。茜原さん」

「かしこまりました」

「だいたいさぁ……肝試しなんてするのが悪いよね、

 そんな罰当たりなことしてないで、

 若いんだから、家で格ゲーでもやってりゃいいんだ」

炭酸が弾けるようにぶつぶつと穂木が呟く。

「穂木さん」

「あ、見つかった?」

「違います、見つかりませんでした」

「ん?どういうこと?」

「一家全員が首を吊った廃墟……あの少年が行ったという住所に、

 範囲を広げても、少なくとも彼が行ける範囲にそのようなものは存在しません」

炭酸の弾けるしゃあという音が消えた。

穂木はペットボトルに直接口をつけて、ぐびぐびとコーラを飲んだ。


「彼の嘘か、噂に尾ひれがついたか、彼が先輩とかに騙されていたか」

真剣な目をする穂木の中に、茜原が間違えたという選択肢はない。

「いずれにせよ、それなら幽霊は憑かないだろうし、

 いよいよカウンセリングの先生の出番になっちゃうな」

「お祓いはどうなさいます?」

「意味のないやつをフリだけやって、気休めにしてもらおう。ただ……」

「ただ?」

「幽霊じゃないけど、なんかイヤ~な感じはしたね」

「幽霊ではない厭な感じですか?」

「なんだろうね、幽霊ってさ因果があるわけよ。

 全く何の理由もなく人を祟ったりはしないし、

 ってか人が死なないと発生しないわけだから無から生じることもないわけよ」

そこで穂木は首を捻り、少しうんうんと唸ってみたが。

適した言葉も、相応しい考えも出てこないようだった。


「わかんねぇ」

穂木は頭をかき、ただ吐き捨てるように言った。

茜原は、ただ「そうですか」とだけ言った。


「ところで茜原さん」

「なんでしょう、穂木所長」

「カップルで肝試しに行ったらさぁ、相談って二人で来ないかなぁ」

「別れたんじゃないですか?」

「そうかなぁ……そうかもなぁ……」

「えぇ、きっとそうですよ」

三分の一程中身が残ったペットボトルを、穂木は両手で包み込むように持った。

中の黒いコーラは炭酸によるものではなく、湯が沸き立つように泡立っている。

絶大なる才能を持つ者ならば、

幽霊に対する毒となる聖水を液体の種類を選ばずに作ることが出来る。

ペットボトルの蓋が、触れずしてくるくると回り、飛んだ。

噴火のようにペットボトルの中のコーラが溢れ出て、

無重力であるかのようにかたまりを作った。

意思を持つ生命であるかのように、コーラは茜原に襲いかかった。


「……何だ、お前」

「わかりませんか?」


艶やかに茜原が笑った。



「――もしもし」

クビが相談所から帰ってきて、数時間が経過した。

何か出来るというわけでもなく、クビは布団に入っている。

突如として、携帯端末が振動した。穂木からの着信が入っている。

霊能力者――という人種が実在することを、クビは知っている。

そして、オカルティストの先輩に紹介されたおかげで、

本物であるという穂木に相談を受けてもらうことが出来た。

高校生料金として五千円、それが高いのか安いのかはいまいち判別はつかない。


「どーも、穂木です」

穂木の軽い声がする。

「それで、どうでした……?」

クビには尋ねるべきことが多すぎた。

あらゆる質問がただ「どうでした」の五文字に集約される。

「あー、そのですね。いないんですよ」

「いない?」

「俺、一人で事務所やってるんですよ。秘書なんているはずがないんですよ。

 けど、幽霊じゃない。あれは幽霊じゃないんですよ。

 いないはずのものがいるみたいに振る舞ってる……けど大丈夫です」

「穂木さん?」

クビの声が聞こえていないかのように、

あるいはひたすらに呪文を唱えるかのように、しかし、熱量はない。

穂木は平静なトーンで話し続ける。


「俺はアレを祓うことが出来ませんでした、いやそもそもアレを祓うというのが間違っていたのかもしれません。だってアレはそもそも幽霊じゃない、だから俺の担当じゃねーよ、わかるか?アレは違うんだよ、修行したことが何一つだって役に立たねぇよ、意味がねぇもん、ルールが違うんだよ。一体何だったんだろうなアレは、でも俺はもうわかったから大丈夫だ。アレは幽霊ではない、アレは人間でもない、アレは人間の認識を食い散らかす化け物だ、俺のやってることは何ら意味のないことだ、アレは俺達のルールには合わせてくれないんだ」

「穂木さん!?なんなんですか!?どういうことなんですか!?」

「けど、安心してください!」

奇妙に明るい声がした。


「俺はわかったので」

そして通話は断たれた。

叩きつけるように、クビは携帯端末を操作する。

リダイヤル機能、どれほど待っても穂木の応答はない。

直接穂木の元へ向かうか――否、そのような恐ろしいことは出来ない。

悲鳴を上げそうになる、だが不思議と声は出ない。

このような状況下でも理性というものは働くらしい。


その時、再度携帯端末が振動した。着信元は不明。

このような電話を、普段ならばクビは取らない。

だが、なにかに駆られるようにクビは電話を取った。


「――ろくろ首」

「えっ」

電話越しから、奇妙に明るい少女の声がした。

「ろくろ首がいるねぇ!」

「あの……もしも」

もしもしすら最後まで言えぬまま、通話は途切れた。

クビには何もわからぬ。


「……ソラ、俺はどうすればいいんだ?」

「大丈夫だよ、クビくん」

クビの部屋隅で、ソラが座っている。

「私がついてるからね」



霊問題解決事務所で、ぎいぎいと穂木の死体が揺れている。

首を吊って死んだらしい。

顔色は青ざめ、白目を剥き、赤い舌が口から放り出されている。

そして、その首は――伸びている。


そして背の高い少女が、ブランコを押すように死体を押している。

ぎいぎいと死体が揺れるたびに、少女はいやに甲高い声できゃっきゃと笑った。

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