ろくろ首

ろくろ首(前)


人生で死体を見たことが二回ある。

一回目は六歳の頃、父方の祖父の葬式だった。

いつも気難しげな顔をしていた祖父は、

その時ばかりは眉間の皺からも解放されて安らかに眠っているように見えたよ。


二回目は八歳の頃。

母親の実家に遊びに行った時のことだった。

ひどい田舎で、コンビニすら無いような有様だったけれど、

何かを買うようなお金は持っていなかったし、

祖母はやたらと腹いっぱい食べさせてくれたから買い物の必要もなかった。

それで毎日、山に入っては蝉を取ったり、

カブトムシやクワガタを探したりしていたんだ。

といっても、結局あの山には蝉ぐらいしかいなかったよ。

まぁ、とは言ってもガキの俺はそんなことを知らないわけだから

一生懸命に山に入るわけだ。


あの日は、不思議と蝉のじぃじぃ鳴く声がうるさかったよ。

空には雲ひとつ無く、地面にまで溶け込むほど青い空がどこまでも広がっていた。

そんないい天気だから、暑いはずなのに、不思議と汗は出なかったんだな。

変に俺の身体は乾いていて、けどそんなことは気づきやしない。

木に蜜を塗ると虫が寄ってくるって話を聞いて、

自分が塗った木にはとうとうカブトムシやクワガタが寄ってくるのか、

それを確かめることしか考えてなかったからさ。


急いで走った木に、ぶら下がっていたのを見たよ。

地面から浮いていたから、一瞬幽霊だと思ったね。

赤い舌がでろんと伸びて、首にはぶっといネックレスみたいにロープが掛かってた。

白目をむいて、スカートがぐっしょり濡れてて、変な臭いがした。

変に綺麗に並べられた赤い靴。白い封筒。

その身体に虫が集ってたからって、いくらガキの俺だって喜べねぇよ。


未だに、あのやけに首が伸びた死体のことは覚えてる。

だからさ、人生で何があっても――首吊って死ぬことだけはないだろうね。



夏色の透明なラムネをクビは一息に飲み干した。

高く掲げた空っぽの瓶は青空を映している。

ころりと、瓶の中のビー玉が奇妙に澄んだ音を立てる。


「スーパーにラムネが売ってると、まだ夏だなぁって感じするよ」

「わかるー」


スーパーマーケットの駐輪場、高校生が二人ガードパイプに座って話している。

男子高校生と女子高校生のカップルだ。

飲み干したラムネを、

彼女の分も自分の自転車カゴに放り込んでいる男子高校生がクビ。

ガードパイプに自分の体重と両腕を委ねて、

脚をぱたぱたと揺らめかせている女子高校生がソラ。

付き合って一ヶ月になる。


「九月だっていうのにね」

「ねー」


暦の上ではもう九月になっていたが、今年の夏は秋を殺す勢いだった。

どこまでもじりじりと八月の熱は九月を焼き焦がしている。

夏休みが終わっても、清々しく夏と別れることはできない。


「サクッとさぁ、秋が来ればいいのに」

「ねー」

自転車の鍵を開けながら、独り言のようにクビが呟く。

脚をぶらつかせながら、ソラがウンウンと頷く。


「んじゃ、帰ろっか」

「よっしゃ!」

サドルにクビがまたがった瞬間、ぴょんぴょんぴょんと跳びはねて、

ソラがクビを後ろから抱いた。

二人分の体重を受け止めた自転車が少しよろめく。

制汗剤の柑橘系の匂いが入り交じる。


自転車はよろよろと動き始めたが、

何度かペダルを踏んでやれば、理性を取り戻したかのように真っ直ぐと進む。

蝉がまだ鳴いている。空はどこまでも青い。

時間は五時を過ぎていたが、夕暮れを忘れたかのようだった。


「クビくん、クビくん、暑さをふっとばすいいアイディアはないかねー」

「なんだろなぁ」

「そんなんじゃ出世しないよー君ー、アイディアを出したまえー」

「ははー」

自転車を漕ぎながら、クビは考えを巡らせる。

花火をし、海水浴に行き、風鈴を二人で作ったこともあった。

夏休みに一度行ったことを二度もやるのは芸がないように思える。

二人で協力して夏休みの宿題に手を付けた時は、

残り時間の関係からか恐ろしいほど冷や汗が出たが、

あんなことは二度としたくはない。


「肝試しはどう?」

夏休みの宿題から不意に連想したのは、恐ろしいことだった。

夏休みの間に二人でいろいろなことを行ったが、

不思議と肝試しだけは行っていない。

「肝試しぃ?」

クビからはソラの表情が見えないが、

小首をかしげてそう言う様が容易に想像できる。

そして、満面の笑みを浮かべてこう言うだろう。


「よきにはからえ!」

「ははーっ」


にひひと笑って、ソラが言う。

「やるねぇ、クビくん」

「まぁ、ソラが好きそうだと思ったからね」

「ふふ……わかってるねぇ」

「で、どこに行こうか」

「そりゃあ君……どこかいい場所あるのかな、んー」


場所の候補を適当に言いながら、自転車は進んでいく。

どこを言っても、ピンとは来ない。

といっても、きらきらと言葉をかわしているだけで楽しいのだ。


ソラの家が見えて、なんともなしにクビが言った。

「首屋敷」

「えっ?」

「首屋敷っていう廃墟があってさ……一家全員が首を吊ったっていう……

 そこに線香を上げに行くっていうのは?」

「首屋敷っていう名前がいいね、クールだね。いいよ」

きぃとブレーキが掛かった。

ソラの家の前、ひょいとソラがクビから手を離して、自転車を降りる。


「じゃあ、次の土曜日に行こうか……その首屋敷に」

「うん、じゃあ、そこで」

別れを惜しむように、二人は顔を見合わせた。

また明日学校で会うことはわかっているし、

帰ったっていくらでも通話アプリで話すことは出来る。

それでも何故、いつまでも自転車に二人で乗っていたいのだろう。

顔を見合わせた二人は、言うでもなく同じことを考えて、手を振って別れた。


ようやく空が赤らんで、夜を迎える準備が出来た頃。

自転車に乗るクビは二人の少女とすれ違った。


自分よりも背の低い短髪の少女と、自分よりも背の高い少女だ。

二人共、セーラー服を着ていて、

背の高い少女の方は何がおかしいのか、幼児のように無邪気に笑っている。


「あっ」

甲高い声がした。

背の高い少女の声は、クビを見て発せられたらしい。


「うそつきだよ!うそつきがいるねぇ!」

「嘘つきですか、ハーン先輩」

「うん、うそつきだねぇ!」


けんらら、けらら、けらららら。

少女が狂ったように笑っている。

けらら、けらら、けららと笑っているのを背に、クビは力を込めてペダルを漕いだ。


「かわいそうにね」

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