第31話 もう認めざるを得ない

「それで、今日は何すんだ」

「まずは、勉強...って、そう言ってなかったけ」

「まあ、そうは聞いてるが、勉強するって言ったって、学校の授業のことなのか、趣味のことなのかとか色々あるだろ」

「うーん、私は数学やりたいかな」

「どうだ」

「いいんじゃないのかしら、課題を片付けるってことで」

雪宮は俺が数学という言葉に反応して少々嬉しそうになっていた表情を読み取ったのか、クスリと笑いながら俺にそう返した。いつもなら、ここで俺は、そんなことはないと取り繕うとするのであろうが、今回に限っては、その様な素振りを見せる発想すらなかった様に思われる。つまるところ、まあいいかとなったのである。実際に俺は数学に興味がある。テストはいつも満点といった優等生や成績優秀者のそれではないが、なにかと数式をいじってみるのが好きだったりする。そんな俺の鱗片を彼女に悟られて、彼女の笑みの題材となってもいいかという心の余裕と言うべきものがあった。偉そうにいえば、身の丈に合わず、その状況を許せたのである。

「まあ、そうだな」

そう俺が言うと今度は追浜がふふと俺と雪宮の会話をコンビ芸人の漫才の導入部を見るかの様な目で見ながら口角を上げていた。


傍からみれば取り上げられることもない様な一下りによって、俺らは目的を共有した。

なぜだろうか、とても穏やかな心地である。しかしながらこれは青春を高らかにブランドとして謳歌するやつらの持つような、みんな一緒で横並びに自他ともに自身の持つ目で大して見ることもせずに絆だの友情を崇拝する感情とは断じて違う。


俺が持っているのは俺の意志だけだ。雪宮が持つのは雪宮の意志だけだ。追浜が持つのは追浜の意志だけだ。それが結果的に一致したのである。あくまでも個人の働きによる産物なのである。決して横並びにおててをつないでいるのではない。決して。


俺はそう自身に強く演説した。


しかし普段から行っている行動というのはいやおうなしに発生するものであり、意識の外で行われるなんてことがしばしばだ。俺の独断の演説の中に道を渡るから止まらなくてはといった念がすっと横切った。

これにより俺は演説から引きはがされたわけだ。そして俺は、現実空間では俺が彼女たちの後ろを歩いていたことに気が付いた。それを認識した俺はふっとほくそえんでむ。


ああ、横並びじゃないさ。



俺にこのわずかないら立ちをはらんだ内情が渦巻いている中、追浜が言う。

「教室、冷房かかってるといいね?」

「そうね」

そう雪宮が言うと、追浜が返した。

「でも、平日じゃないしね…」

「次から和団扇でも持って来るか」


やはりこれは、どこか心地よい空間である。

追浜が場を作り、雪宮が対応し、俺が眺める。あるときには追浜が俺に話を振り、俺がねじれた応答をし、雪宮が補正する。

何か、完成された食物連鎖を彷彿させる。どこもかけていない、正しく機能している、そのような生態系だ。

だが、それは完璧すぎるのかもしれない。

機械だって、あまりにもピーキーな設定は操縦者を滅ぼし、生態系もガタがなければ現状維持で進化を望めない。

つまり、必要な欠陥が欠落しているのかもしれない。



「夏の予定はなんかあるの?」

そう追浜は制服のワイシャツの第一ボタンを片手でくるりと外しながら言った。

「まあ、あるといえばあるのだろうが、わざわざ言うほどのもんでもないって感じか。いや、こうやって勉強しに来るって言う予定が入ってるし、“ある”だな」

そう俺が言うと追浜は ほぇ― と口元のみを動かした。

その、どこか意外そうに関心している彼女の横には雪宮がいた。

「“元々は入っていなかったが、たいしてしたくもない勉強の予定が入った”とかなんとか言うと思ったわ」

彼女はそう、前半部を少々皮肉りながら、彼女の出しうる低い声で言った。

「そうか」

「あ、はるか、それ似てるぅ」

そう、追浜はキャッキャと無邪気に笑いを込めて発言した。

俺はそれに釣られて、俺は頬の筋肉を内側からすぐられるように感じたかと思えば、雪宮は冷静に純粋にその状況を楽しむような笑みを俺たちに向けた。


俺はその彼女らを見て、どこか無性にかわいらしく感じた。

そのかわいらしさは、いわゆる女性らしさや動物的なものから出現しているのではなく、子犬の兄弟がじゃれあう姿を見ていると思わず笑みがこぼれてしまう、そういった類のかわいらしさであった。



俺はこの関係を決して無くしたくないのである。

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