第30話 春は過ぎずとも夏は来るのか

夏休み あぁ夏休み 夏休み


この夏休みという響きは、俺に微々たる安心感を与える。


夏休みの間に何をするかと言われれば 取り立てて予定はない。


だから、「あと一週間で夏休みだ」といって、歓喜の舞を踊る学生とは全く違った感情を俺は抱いている。


勿論、夏休みが楽しみではないと言ったら大ウソとなる。だが、夏休みというものは俺に直接的な影響を与えていない。冒頭に述べた安心感は、学校に行かなくてよいという状況が導いた感情なのである。あの忌々しい空間に身を投じなくていいのだ。




これで、課題さえなければ、なんという素晴らしい期間であろう。




世の天才たちや芸術家たちが言った、『素晴らしい芸術には、上質な孤独が必要である』という考えに、常々同意はしていたが、それに身をもって同調できる。






そういって、自室の椅子の背もたれに体重の8割ほどを乗せてのけぞった。


対して運動をせず使っていない肺を、俺が久しぶりに使ってその7割5分ほどの空気を吸い込んでいると、机が振動する音が聞こえた。




黒い板をこつこつと親指でたたき、受信メールを開くと、最上段の未読メールに


追浜


と書いてあった。


表現の仕方が少々ぶっきらぼうであるが、人間の名前が書かれた送信者名を見るのはいつぶりだろうか、そう思ってしまった。




わかってる?10時だよ。




追浜、もう少し文章らしい文章というか、もう少し書きようというものがあるだろうよ。


そう俺は内心で突っ込んだ。


そう、俺らは勉強会とやらを開くことになったのである。


いいや、正しくは「やることもないんだしやっておきましょうかい」とでも言った方が良いのであろうか。


“かい”と“会”がかかっているなんてことは断じてない、あらかじめいない相手に向かって弁解しておく。




確か始めは飯田先生から話があった。


座談部で学校に週2日程度で集まって勉強したらどうだという提案であった。話を聞くところによると、勉強とはいっても“夏の陣”とかと行書体で荒々しく描かれた看板を立てて、勉強をみっちりするとかそういったことではなく、自分自身、つまりは飯田先生自身の暇つぶし程度の気持ちでもいいから学校にきて勉強をしないかとのことだった。


あと、これに関しては俺だけであるが、どうせ お前は宿題をやらないんだし、来るだけ来てサッサか片付けろとも言われた。




「どうせうんたら」とかそういった発言をすると、今時は自主性が云々となるのであろう。実際俺もそういったことを軽々しく言われたら腹が立って仕方がないが、鼻っから宿題なんぞやる計画はしていないので、これに関しては取り立てて何も思わなかった。




そして、これに俺は同意したのだ。


宿題はやらずとも勉強する気はあったし、散歩が学校までの道のりで、クラスなんていうところに行って無駄に関わりたくもない空間とツラを付き合わせることがないのであれば、ただ箱と化す。そのあたりに転がっている通販の段ボールなんかと大して変わらない。中に何をどう詰めようとそれはこっちの手の内にある。だからこっちが向き合った分だけ応じてくれる。ある程度の向きと量を持った目的や意識があるのであれば、学校という場所に取り立てた苦痛は感じることはまずないと言える。




そしてしばらくして分かったことが、この勉強会とやらは追浜の提案だったということだ。


というのも、彼女は俺に、飯田先生から夏のことは聞いたかと尋ねたのである。そして俺が、聞いたぞといったところ、彼女は、「じゃあ、よろしくね」といったのだ。


細かいことが気になる性分が染みついている俺は、何がどうよろしくなのかと違和感を持ち聞いたところ、その夏のこととやらは追浜の提案だったということが分かったのだ。


彼女自身も勉強したいが、なかなか1人ではできないし、家にいて弟の勉強を邪魔するようなことがあってはならないし、それを飯田先生に伝えたところ、これだと言わんばかりに採用したのだとか。




そして、その計画の伝達を先生に託したのち、教室の使用許可まで取っていた。


追浜自身が俺に計画を伝えれば、なんやかんだと断れるかもしれないと踏んだ上で、教師らや他の部活動なんかからの文句が出ないように活動許可まで取っている。


こういう時の追浜の手配というか、手際の良さには正直眼を見張るものがある。


自身が決めたことや定めたことに関する行動は早く、芯を持っているのである。


だから、おそらく、彼女が決めた目標を達成するために取れる方法が100通りあって、現時点では そのどれ最も効率的かとか、所要時間が短いとかが分からなければ、なにも言わず1通り目から順に100通り目まで行うであろう、そんな気がする。




徐に携帯電話を机におくと今度はなんだやかましくバイブレーションを始めた。


「はい、西村です」


「そりゃ、かけてんだから、分かってるよ」


「悪いな、電話には慣れてねぇんだ」


声の主は追浜であった。


「忘れない、絶対だよ」


そんなに念を押さなくたって、良かろうに、そう思いながらも俺はニヤつきながら、わかったわかった、参考書を鞄に詰めたところだと言った。


その後も数回念を押されたのちに通話を終えた。




彼女の勢いというか、推進力のある声が聞いている俺の体力までも奪っていった気がした。


この勢いバカとでも言うべき、追浜という女子生徒は俺をお構いなしに連れ出し、毎度のごとく俺に何かを与える能力を持っている。たかが数か月の付き合いで、軽々し口にするべき内容ではないが、彼女には そのような俺には到底得られない強さを兼ね備えている気がした。








「...9時30分、なかなか上出来でだな」


そう一人で言いながら、俺は駅の改札を出た。


俺は改札を出てから進行方向を変えず、目の前の壁に向かって進んだ。


俺も追浜も、乗ってくる路線は一緒だ。だから、改札が見える位置で待っていれば、彼女を捕まえることができる。


俺は壁に背中を押しあて、左手をポケットに突っ込んだ。


独特の音程の下がり方をする音が、ホームに列車が到着したことを俺に知らせた。


長期休暇中ではあるが、時間と平日ということも重なって、俺らの登下校時より改札から発せられる電子音がたまに途切れる。


すると、カシャンという音とともに雪宮が現れた。


「あら、待っていたの」


「いや、どうせなら、その方がいいし、追浜が今日は三人で行こうって」


「そう」


「ということは、聞いていない」


「えぇ」


「まあ、追浜らしいわな。」


「ということは、いつもの三人で登校ということかしら。」


「だな。」




だがここで、納得というか収まりの悪いことがある。


それは、普段見慣れた格好とは違う格好の女性が俺の横に立っていることである。


これは夢なんじゃないかとか、そのような漫画的茶番をやろうとは思わないが、少なくとも俺からすれば非日常極まりない状況なのである。まあ、見慣れた格好とは違うとは言えども、普段よりラフで手抜きな着方をした制服姿なのであり、いわゆる“普通の”高校生から見れば、夏休みにもなって制服で登校とはご苦労なこってといった具合なのかもしれないが、俺の高校は、妙に制服の着方とかその辺りにうるさい。別に否定しているわけではないが、どこか小うるささが目立つのだ。それは恐らく、心の乱れは衣服に出るとかいって、従わんものなら権力という戦斧をちらつかせて従わせようとする状況に、俺自身苛立ちを覚えているからなのだろう。しかし、今日の俺は、普段より教師らはうるさく言わないだろうと踏んで、全くの手抜きをしている。髪は大して整えず、取り立ててアイロンがけはせず、適当な茶色のベルトを閉め、運動靴を履いている。これを聞いて、どこが手抜きなのかと思った者がいれば、これを手抜きとしても差し支えない程度の校則があると考えて欲しい。


いずれやってみたいものである、「駅で百人に聞いてみたシリーズ 写真のどこが校則違反なのでしょうか」、そうは言いつつもやる気はさらさらないのであるが...




そう冗談をかましつつも、俺の視線は彼女の方向へと流れていた。


雪宮は学生としては大きめな普段学校に持ってきてはいないであろう鞄を肩にかけていた。


水色のような、白のような、ある種女性らしい上着を羽織っていたのは彼女も俺と似た思考の元身支度をしたことの現れなのだろうか。無論、羽織り物の下は我が学校の制服であるのであるが、それは公私混合故の生活感というか、それらしさを纏っている。俺はファッションなるものに疎いので、具体的な表現を用いて、解することは到底できないが、とにかく彼女の姿は異様なほど俺の中に飛び込んできた。


画像記憶や瞬間記憶なるものの気分を少々味わったかのように感じられるほどだ。


彼女の肌や白っぽい服装が俺を狙うかのように、そこらじゅうの光を反射して網膜に投射した。


「あの...何かしら」


そう雪宮は俺の網膜に移された自身をのぞき込むような目線で俺に言った。


「いや、その...なんだ。違うな...てな」


「まあ、休み中だから」


そう言って、気候のせいか、彼女は頬を少し赤らめ、肩を少しすぼめた。


どこか落ち着きのない様子をはらんで俯き、彼女は自身の手を軽く握った。


その瞬間であった、俺は胸の内側から外に空気砲を打たれるような感覚に襲われた。


そして、俺はその空気砲の勢いに任せて、言葉を発するに至った。


「そうかもな」


これが、地球温暖化の影響というやつか。ああ、そうに違いない。


「その、なんだ、あちーな。あとで着いたら冷たいもんでも飲むか」


「ええ、そうね」




「ごめーん、遅れた。」


「お、おう」


俺はそう言いながら、左腕の袖をまくった。


遅れ...10分遅れたのか。


いつもの俺ならば、不平不満は言わずとも、それに対して何か反応があるはずだ。何かを思ったり、遅刻に関する過去の経験を思い出したり...


しかし、俺の脳細胞には遅刻という事実を認識することしかできないほど、処理容量を超えていた。


えっと、こういう時買い替えるのはグラフィックボードだったか、マザーボードだったか...




「じゃ、いっこか」




追浜の放ったその一言は時空を調整するかのように聞こえた。






やはり俺は青春なるものが性に合わない。


虚像にすがるようにして崇めて日々を送ろうとする姿勢を認められない。








春なんてこなくたって構やしない、俺は自分にそう言い聞かせた。

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