第29話 時にその感覚はまやかしと化す

行って来いと飯田先生に言われ、部室に向かう道中、ふと思い出した。


実のところ、追浜の弟に関する案件が全て片付いたら、飯田先生の元に行こうとしていたのだ。


無論、事後報告を含めた、彼女のシナリオの真相を確かめるため。




俺が勝手に言っているシナリオが存在するのであれば、その著者は飯田先生だ。


だから、それを確かめようとした。


正直に言えば、少し不快感を覚えていた。


発足した座談部を早速試すような真似に見えたからだ。




もちろん、雇うということを提案したのは俺だ。


しかし、彼女が俺らと追浜を付き合わせた、向き合わせたのは事実だ。




だからこそ、彼女がどこまでを知っていたのかを知りたかったのだ、




だが、今となって端的に言ってしまえば、どうでも良いこととなってしまった。


いや、『飯田先生が俺に追浜を直面させ、俺が何かしらの行動を起こす』といったシナリオの有無に関する問題が、意識の外にあることを結果的に認知したのだ。




そんなことを考えているうちに部室前に着き、俺はやれやれと言わんばかりにドアを開けた。


「あ、西くん来た。」


そう、彼女は俺が教室に一歩踏み入れるか入れないかほどのタイミングで言った。


「ニシ...クン...」


そう雪宮は疑問の目線を向けた。


「それ、なんかやめてくれないか。」


「なんで。」


そう彼女は子供のような口調で、カウンター攻撃をするように聞いた。


「なんか、そういうの慣れてねぇんだよ。」


「あだ名がってことかしら。」


そう雪宮が会話を円滑にするような気の利いた質問をした。


「でも、あだ名とかニックネームなんてものの一つくらいはつけられたことあるでしょ。」


追浜の口調はいつものどこか勢いを感じる。“運動量”とでも言えばわかりやすいだろうか。彼女が発言するとその会話の流れに勢いや激しさが乗っかる。


「まあ、ないこともないが...」


「ずいぶんと切れが悪いのね。どんなあだ名なのかしら。」


「ラムシニとか。」


対して俺の発言はどうも抵抗分が大きい。動摩擦係数、静止摩擦係数ともに大きいらしい。だがこればかりはどうしようもない。なぜならばそれらの量はその物体そのものに依存するからだ。


「どういうことそれ?」


「要は、西村を逆から読んだだけだ。それで、うわー死んでやんのみたいな、しょうもないからかい文句だ。今までにつけられた、“低脳”極まりないからかいだ。」


しょうもないとか低脳とか言ってはいるものの、ガキとは、大人になれば社交辞令として言うのを少々ためらう単語を言うのが好きなのものである。まあ、そのからかいによってへこんでいた俺もガキだったのである。


「他は?」


「あいつとかあれとか、そこのとか...か。」


「それ、指示代名詞よね。」


追浜がテンポよく発言する中で、雪宮はあきれる顔で言った。


「ああ、名詞ってことしかあっていない。」


「あ、でもラムってお酒あるよね。なんか、かっこいいじゃん。」


「それは、褒め言葉として捉えておく。」


いや、でも、ラムってすごいんだぞ。


子羊はキリストの使いだし、追浜の言ったラム酒は甘味と香りが上品なカラメルのような味わいなんだぞ。




なんで、未成年がそんなこと知っているかって...まあ、つまり、何かむしゃくしゃしたから、当時調べたのだ。




やはり、結局はガキだったのである。




「じゃあ、下の名前...はなんていうの?」


「言わない。」


「なんで、それならいいでしょ。」


「なんか下で呼ばれたことがないから、気持ち悪い。それに、それを今いったら、それで呼び始めるだろ。」


そう俺が言うと、追浜は下唇のみを動かし、まさしく、への字にした。


「今、内心舌打ちしなかったか。」


「はるか、教えて。同じクラスなら、わかるでしょ。」


「まあ、わからないことないけれど、嫌といっている以上、教えられないわね。」


同じクラスならって...俺の場合 同じクラス“でも”知らない や、同じクラス“ってことだけは”わかるがデフォルトだ、追浜さん。




「それより、はるかって...」


「ほら、引っかかるだろ。そういう人種もいるってことだ、追浜。」


「え、でも部員が三人になったら、名前を呼ぶ必要が増えるでしょ。二人だったら、片方が呼べばもう片方だけど...それで、雪宮は4音、遥は3音。だから、呼びやすさでハルカを採用ってことで。」


この、追浜の異様なほど道筋だった解説によって、雪宮は仕方ないか、といった具合に了承した。


それと同時に俺は下の名を言わずに、よかったとも感じた。


追浜の論理によれば、俺、つまり西村の場合では下の名が5音以上でないと、苗字で呼ばせる理由がなくなってしまう。3音以下ならば言わずと知れたこと、4音でも一緒なら下でいいよねと返されかねない。それに、返されてしまったら、それはそれで打つ手がない。


だったら、ニシクンでよいからそれを定着させて、いずれ時間の問題で知られるだろう俺の下の名を呼ばせないほうが得策だ。


あだ名は、一回定着させるとそうたやすくは変わらない。


その、人間関係や組織が変わらないことが前提の話だが、学校という空間は閉鎖的だ。


つまり、学校では一度つけられた名は派生はあれど、簡単には変化しないのだ。


それに、学級内を見てもあだ名がつく人間というのはたいがい決まっている。


場を作れる人間と、場に支配され馬鹿にされる人間の二種が、その大概だ。


それを考えると、あだ名が変化に乏しいという俺の説明が少し補強されるであろう。




なぜだろうか、あだ名と言う単語が異様に俺の中に引っかかる。いや、より直感的に言うのならばピン止めされていると言ったほうが正確であろう。


俺はこのあだ名と言うものに安心感、安全性を含有した保証書のようなイメージを持っていたのかもしれない。


それは、「やはり食品は国産」や「やはりメーカー純正のパーツ」などいうある種のこだわり、心地よさに酷似している、そう感じる。


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