第22話 異なることは悪とはならず、“なんとなくウザイ”となりえる。

入室した俺と 入室させた その“男子”は互いの間合い、距離を測り、確かめるようにしていた。


彼を男子と呼ぶのは、俺の中で彼はあくまで個人的な関係ではないという印象を俺の中に残すためであったのだが、いま改めて彼を見ると “男子”という表現が似合っている気がする。というのも、少年というには彼は大人びていて、いやいわゆる“ガキ”にはない特質を持っているのだが、だからと言って“男性”と呼ぶには不足すべき点に欠陥が見られるような気がしたのだ。


ただ、前にも述べたとおり、彼を男子生徒と呼ぶと俺自身の生徒という立場が無用に干渉してしまう懸念があった。


だから俺は彼を男子ととらえ、ダンシと自身の中で呼称するようにした。






そのようなことを考え、観察している間、彼はずっと黙って、部屋の一部を見ながら、じっとしていた。


彼の意図に沿わず上がりこんできたのは俺のほうであり、当然の態度であり、むしろ俺に考える時間をくれた。


だから、俺は俺自身を推し進めるようにして発した。


「まず、俺がここに来た経緯を話す。要は姉さんが君を家の外に出したがっているんだ。」


俺は顔色をたびたびうかがいながら、それを悟られぬように注意を払いながらさらに続けた。


「姉さんの気持ちとかを俺は伝えることはしないが、俺が聞いた内容を文法的に要約すれば、こうだ。“外を見ないのは、弟にとって損である”」


俺は同情を誘うような、情に訴えかけるような話し方を嫌った。


俺という他人が追浜の気持ちなるものを理解するのなど到底不可能だ。


おそらく、それは兄弟であっても多少当てはまると思う。


幼い時からの経験則で、互いの行動予測をすることはあっても、気持ちを察するや理解するなどはできないはずである。




そしてなによりも、情に訴えることで伝えられた事柄の内容は、俺の経験上 異常に信ぴょう性が低く、その内容を胸に行動した結果裏切られるなんてことが往々にして発生する。




みんな持っているから という“みんな”は否定されるが、みんな心配しているのみんなは異様に肯定されるのである。




血がつながっていようと、親友だと言い張ろうと、結局はそれは“他の個体”なのである。


お前の言う“みんな”のなかに、お前がどのくらいの介在するかということを考えたことがあるか。


幼いころ言った「みんな持っているから買って」に対する「みんなって誰だよ」という質問への返答で5人程度しか列挙できなかった、そういった経験がある者は多いのではなかろうか。


そのくだりを引用するならば、各“他の個体”いうみんなもその程度であり、少なくとも信用に値するものではないということが理解できるであろう。






そのようなことを考えていると、過去の俺の姿が目の前に映った。


顎の底の方から、苦い唾液が出てくるような感覚に襲われた。


俺はそれを、わざとらしく胃酸で中和させようと飲み込み、ダンシに改めて言った。




「ここで感じてほしいのは、姉さんが弟という存在を気にかけているということ、外に出ろと言っているわけではないということ、あくまで損得勘定の上での話だというところだ。」




何を言っているんだ、こいつは そのような声が聞こえた気がした。


ダンシは俺の胸元のあたりを、目からエックス線を放って見ているようだった。




彼は非常に用心深い人間なのかもしれない。


いや、警戒を怠らないのだ。


二度と同じ手を踏まない、ある意味利口な人間なのだ。




「あなたは、今までのどんな人とも違うにおいがします。親にも先生にも姉ちゃんにもなかったものです。」




いや、こいつはこいつで何を言っているんだ、文脈からしておかしいだろう、その発言は。


そういったことを、この状況を見ている人物がいたら言うかもしれない。




しかし、ダンシのその発言は、彼という存在の軸の一部を俺に知らしめた。


俺は やっと、“彼と”談ずることに到達したのである。




「姉ちゃんは学校での僕をどうだと言っていたのですか。」


「“平たく言えば、いじめなんじゃないか”とは言っていた。」




「そうですか。」


そう彼は言って、少し悲しそうに何かが零れ落ちないように気を付けるようにしながら、天井へ視線を向けた。




「みんな、バカなんですよ。」


その、字面だけでみたらこれ以上ないほど人を卑下するような単語を、その男子は何かを悟るように、その単語をあえて選ぶようにして言った。だから俺には彼の言うその二文字を責めるような気には到底ならなかった。




「なんでそう思うんだ。」




俺は彼の意志をくみ、彼の言おうとした言葉を極力変換しないで話すように勧める口調でそう言った。




「なんで、あんなに楽しそうに、うまくできるんだろうって。どうして大切なものとして扱えるんだろうって。」




彼の言う“バカ”はそういうことか。


要は、彼には そいつらが“おかしく”映っているのだ。


わからないのであろう、彼には。


その彼が属している学校の、学校の一部のシステムが、構造が、異常なのではないかということに、彼は気が付いたのかもしれない。


俺に言わせれば学校という空間は明らかなる“異常空間”であるが、俺はそれを昔に受け入れた。


受け入れたといえば、多少は格好がつくだろうが、本質的なことを言えば、学校という空間の異常性を知り、その道中でボッチとなった、あるいはそれを選んだのかもしれない。


パズルや数学の難問の答えを聞いてしまえば、なんだそんなことかと、どこか冷めたような、くだらなく、滑稽に思える感覚と それは、通ずる部分があるのだろうか。


そのような感覚を学校という空間や学級という構造に持った俺は、その無機的なものに追放された。


そのように俺は、自身の経験や、思考、今までの知識を どうにか引っ張ってきては繋いでといった具合に、彼を分析していた。


「僕は他とは違うんですよ。」


そう彼は話を改めて切りなおすかのように言った。


彼の言う『違う』とは天才と呼ばれる人間たちをたたえる伝記とかにあるそれとは明らかに違っていた。


「だから、人の目につくし、笑われるし...でも、何も言わなかったんです。普通に生きていたかったから。でも、普通には到底なれなかった。」




そういう彼の言葉の余韻と表情筋が動く様がこの空間に残った。


「なんか、変ですね。違うって言って、普通がいいなんて。今言ってから気が付きました。」




俺は彼のその言葉とそれに連動する心情を黙ってみていた。


コミュニケーションというものや、心理学的な会話という観点から言えば、ただ黙って話を聞くというは良くないのかもしれない。相槌を入れたり、質問したりするのがいいのかもしれない。


しかし、俺にはただ座って微動だにせず、表情すら作らないで聞くことしかできなかった。


それが俺にできる最善でもあったとも思う。


いや、俺自身が俺自身を切り離すための動作だったのかもしれない。


つまるところ、時系列から言えば、“最善”というのはこじつけに過ぎないのであろう。






この男子は学校に行けないのではない。では、学校に行きたくないのか。それは間違っていないが本質ではない。彼は学校という、いやより根本的なことは言うならば、学級という場所にただ存在し、存在し続けることができないのだ。


いや、彼が“ばか”という言葉を使ったことを考えれば、彼はその空間、その場所が存在しているという事実を許すことができないのだ。




そのようにただ彼から感じたことをまとめ、振り返るようにしてから、俺は唇を離した。


「君は普通に過ごしたいがそれに失敗した。そういった。だが、こうも考えられる。その空間が君を乖離させたのだと。いずらくなったら別の子と仲良くなればいいとか何かあったら先生に言えばいいというような簡単な話じゃない。学級内では明らかにその上下関係が存在する。その中で、少数の不適合者を除いた人間に対して、収まりよくいられる立ち位置が決まる。それはある意味での個性や才能によって決まる。だから、その中で収まれる場所はただ一つになるんだ。そう聞くと直観的には納得できるんじゃないか。よくいうだろ、だれもが特有の才能を持ち、個性とはその人物の誇るべきもので、否定はできないとか。才能や個性がそんなきれいな響きな物じゃないことの一つの例だ。それに、中学校なんてものでは、いやでも毎日同じやつと顔を合わせなければならない。それは集団の構成が変わらないということで、立ち位置は不変だということになる。」




そう俺が言い終えると男子の顔が納得の裏に悲しみを抱えた表情をしていた。


今になって、冒頭に男子を否定するような発言をしたことを後悔した。




これでは、コントラクター失格なのかもしれない。


しかし、この問題に対して俺が学生生活で得たものはこれだ。


学級とはいわゆる社会の縮図よりももっと質の悪い、旧体制的な構造をとっている。




そして、俺は最後に自身の発言をまとめるかのように追浜の発言を引用した。




「それと、姉さんはこうも言ってた。帰ってこられるなら、外を見てほしいと。」




そういって、俺は男子の顔がふと上がるのを確認して続けた。




「わかるか、要は姉さんは君という人物を認めているんだよ。」




おそらく、追浜という女の子は弟が大切だとか、大事だとかという気持ちから行動をしたのではない。あくまでもそれは彼女の行動の概形や結論部なのだろう。


「姉さんは彼女の弟を迎える準備をしているんだよ。」


「当たって砕けろなんてことは言わないが、何かあったら姉さんを頼ってみてもいいんじゃないか。」




そう俺は言いながら右ひざを挙げた。


そうして、後ろ手にノブに手をかけて最後残すように言った。




「姉さんでうまくいかなかったら、俺らのところに来い。相手してやるよ。あと 受験勉強、しっかりな。」




俺は彼女らが待つ一階に向かう階段を下りながら、考えた。


ダンシが俺のところに来たら本当に何かをしてやれるのだろうか、受験して合格して座談部に入部したらどうするのか。




格好をつけながらも格好の付きようがない影を、俺は背負っていた。


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