第23話 空間は人を選び、人が場を形成する

「どうだった?」


そう真っ先に言ったのは追浜だった。


それはどこかのドラマのワンシーンで見る、手術室から主治医が出てきた時の家族の反応そのものであった。


俺は手術をしたわけでもなく、彼に追浜という一女子生徒の考えを引っ張り出して、俺の思う現実を突きつけただけだ。学校なんて言う、学級なんていう空間は、そういう視点をもって考えれば 解釈できてしまうほど、異常にいびつで汚い。だが、その彼女の言葉に答えないわけにはいかなかった。むしろ俺は答えたかったのかもしれない。


それは、彼女に安心材料を与えるといったことではない。


彼女が、弟という存在を解釈し、獲得するために。


「彼は、あまりにも気がつかなくて良い分野に長けている、そう感じた。」


こういったとき先の手術室の描写を考えるならば、命に別状はありません張りの 彼なら大丈夫だなどという言葉をかけるべきなのかもしれない。これは多少嘘が含まれていても言うべき、言ってもいい言葉な気さえする。ただ俺にはそれはできなかった。


俺はあまりにも学校内に存在する“大丈夫な部分”を知らな過ぎていた。


俺は彼があの空間を許せない、許せなかったのだと考えていた。


しかし、今、さらに考えてみれば、彼は彼がその空間に存在する意義を、理由を得ることができなかった、そうも考えられる。


「それであなたはどうしたの。」


そう雪宮が将棋の駒を進めるようにして俺に差し込んできた。


「学校という空間がだめなら姉さんのところに行け、それが嫌なら俺らのところに来いといった。」


「それで、彼は変わると思うの。」


「少なくとも変わるとは思うぞ。だがそれの良し悪しまでは保証できない。」


頼まれておいて、やっておいて、その発言は ある意味、非人道的なのかもしれない。


しかし、それが事実だ。学校という場所だけではない、世の中というのが嘘にまみれていることなんて百も承知だ。しかし、事実を事実と認識しない限り、嘘は嘘として機能しない。事実を知っているべき人間というのが、その中で必要なのだ。


「それでも、人間関係を変えるには既存の関係を抹消するか、新たな空間を提供するしかない。おそらく彼の、彼の考えた、思った新たな空間があの部屋とそれに付随する空間だったのだろう。そう考えれば、彼が食事が喉を通っていたことも追浜との会話もしていた状況も納得がいく。」


時系列から読み解けば、彼が許せる空間は彼の身が存在する彼自身の部屋であり、その周りに追浜や家族がいただけなのだろう。だが、その空間が彼自身を保ったていたのは事実だ。


“学校に行っていない”という状態は良いものとは必ず言えないだろう。しかし、それは認めるべき事実であり、彼を存在させる唯一の部分だったのだ。




そう俺は脳内を再整理してから、追浜を正面からとらえた。


「ここまで言っておいてあえて言う。俺の考え、いやある一種の押し付けはここが彼が存在できるという空間なのだという事実のもとに成立している。だから、この空間を決してなくさないでやってくれ。弟のためだなんてわかったようなことは言わない、座談部の第一案件として頼む。」




彼女はそういう俺の目をじっと見つめていた。


俺にとっては異様に心臓に悪い状況なはずだ。だが、俺自身が目をそらすことを許さなかった。




その状況を見かねたかのように雪宮が言った。


「そろそろ出るわよ。」


その声につられるようにして見た雪宮の顔は決して見かねてはいなかった。


彼女は何か満足げに、正面を向いていた。


出るという言葉とは裏腹にまさしく戦場に赴く百戦錬磨の兵士のようであった。




俺が地面を擦るようにして靴を履き終えると追浜がただ一言 言った。




「ありがとう。」




俺はその言葉に返すことができなかった。ただ俺は左目のみで彼女をとらえるように振り返り、唇に力を入れた。




雪宮がノブに手をかけて、ドアを開けた。


ドアの上方についてる空気ばねによりゆっきりと閉まるドアの間から鍵穴を見る。




「また、お目にかかるかもな。」




そう俺は無生物に話しかけた。






それから間もなく、ドアの向こうで鍵が閉まる音がした。


このドアを開けた時に聞いた笑い声の主はもうそこにはいなかった、そう感じる。




いつもより駅が近いことを音や周りの景色が俺に訴えるようにして伝えた。


追浜の家の敷地内を出たところで俺は少し立ち止まり腹に溜めた空気の塊を空に放つように息を吐いた。


そうすると雪宮は少し笑うようにして俺に言った。


「やさしいのね。」


俺は胃のあたりから胸の奥底に、心臓をかすめながら千枚通しが突き刺さるような感覚に襲われた。


「そんなんじゃねえよ。」


本当にそんなんじゃないのであるが、その言葉に説得力がないことを俺は知っていた。


あまりにも照れ臭かったのである。


「そう。」


彼女は少し疑問を含めたように語尾をあげて言った。


俺はその疑問に答えるかのように、雪宮に聞いた。この状況ではドサクサに紛れるように聞くしかなかったのである。


「良かったと思うか。」


「良し悪しは歴史が判断するんじゃなかったかしら。」


そういう彼女の言葉に返す言葉がなかった。それと同時に少々からかい気味にいう彼女の表情や仕草に俺は何か安心感のようなものを得ていたのだ。




「でも、なぜこうしたのしら。私たちは人助け部でもボランティア部でもないわ。」




そう雪宮は俺に言った。


この考えは雪宮にしかできないものである。


座談部というものの、これまでを知っているのは唯一彼女であり、彼女は彼女の道理があるからだ。この部は俺と彼女の成果物でもある。誰が勧誘したわけでもない。


だからこそ、俺にも俺の原動力となったものを言うべきだと思った。




「心が震えたからだ。」

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