第21話 俺曰く、彼は『引きこもりではない』
「...それで、そんな提案をしたのかしら。」
「その通りでございます。」
雪宮はそう言った。
この、部室で。まあ、彼女とこのように会話するのはここでしかありえない。
互いに教室内、いやこの部室以外では特に干渉しないのだ。
だからこそ、悪くない。雪宮という名の女生徒と話すべき時に話し、俺自身が俺自身を守れる空間、それは悪くない。だが、それを良いと表現するには、俺自身が未熟すぎる。
この悪しき学校という組織の中で、異常な律令の中で過ごしてきた俺が、この状況許す空間を表現するのならば、他より悪くない と 悪くない自分がそこにいる というのが限界だった。
そして、俺は そのある意味での唯一無二な場所で彼女に説かれるという意味での説教をされている。
俺は飯田先生に追浜が俺らを雇うことを提案した。
俺が、あの時“俺ら”という言葉を使うからには、少なくとも雪宮にこの内容を伝えておくべきだったのである。
それは、部活として機能する、複数人存在する意味を保つうえでしなければならないことであるからだ。
今思い返してもあの瞬間、あの時間、俺は明らかにおかしかった。
変なのではない、変であるのは時々だ。常日頃は他と異なっているだけだ。
「いや、その、なんだ、悪かった。」
俺は それ以上のことを言えなかった。
「別に怒ってるわけじゃないわよ。」
俺は彼女のいわゆる“い抜き言葉”に引かれながら彼女を見ると、少し空気を入れすぎた風船のような顔をしながら 視線を外した。
そうしていると、ドアの前で止まる足音が聞こえた。
「俺らのクライアントと 俺らのオーナーの到着だ。」
俺がそういうと、実にタイミングよくドアがひかれた。
「あの、私に雇われてください。」
まさか、“雇う”などと言葉をそのまま使うとは思わなかった。
先日の初の来訪者とは別人のようだった。
そう言う“彼女”に対抗するように“彼女”は言った。
「協力するわ。」
そういう雪宮の表情はすっかり“ニュートラル”であった。
追浜いわく、俺らの雇用方法はとりあえず俺らを家にあげることだった。
俺らは、いや少なくともそのうち二人はいつもより早く学校をあとにした。
歩く速度を追浜より一歩と半分ほど遅くして俺と雪宮は歩いた。
しばらくすると雪宮がもう半歩ほど速度を落とし、俺はそれにつられるように四分の三歩ほど歩くのを遅めた。
雪宮が俺の視界の淵の方から肩のあたりをめがけるように言った。
「何か気前よく見えるのは気のせいかしら。」
そういう彼女に俺の左耳のみを貸すようにして答えた。
「まあ、意図的ではないがそうなっているかもな。」
「あなたの答えの歯切れが悪いほど、嫌な予感が湧いてくるのだけれども…」
そう言われ俺はまた少し考えるかのように間をあけて、答えた。
「まあ、機嫌が良いかもしれないという確信じみたものはあるぞ。」
日本語の意味として崩壊した、その前の答えと何一つ進歩が見られない、むしろ衰退したかのようにすら聞こえるこの答えに、俺は理性なるものが許さない感覚はあれど、感覚的な納得を得ていた。
それから、俺らの通学路の3分の1も満たないところで追浜が鞄の中で手さぐりに何かを探し始めた。
何かとは言ってみてはいるが、大方彼女の玄関の鍵であろう。
そのようなことを思いながら周りを見渡すと、さほど普段の帰り道と景色が変わらないことに気が付いた。違うことといえば、いつもより日が出ているせいか、普段より鮮明に見えることくらいであろうか。
カシャンと俺に、何かくぎを刺すような音を立てて鍵が開かれた。
いまさらだが、同級生の自宅に上がり込むなんて人生初だぞ。
いまさらか、いまさらなのである。何か流れのようなものに流されてここまで来てしまったが大丈夫だろうか。何が大丈夫かって、それはわからない。が、しかし、大丈夫だと言えないことは明らかだ。
靴をごそごそと脱ぎながら思った。
流れとはいったものの、自分から放流させておいて下流に降りてみたら、丸太が流れてきたから、乗ってみましたというような行動をとったのは自分自身である。
そう考えると鍵の音が耳に響いた理由に嫌に納得がいく気がする。
俺の右後方にある鍵穴から何か笑い声と、視線が感じられる気さえする次第だ。
「いつもに増して動きが鈍いわよ。」
そう雪宮が腰を落とすようにしてかがみながら靴のつま先をドアの方に向けていた。
「あなた、他人の家に上がるなんて初めてなのでしょう。」
「失礼な、親戚の家の敷居ぐらいは跨いだことがある。」
「でも、それくらいなのでしょう。」
「そっちはどうなんだよ。」
「ないといったらうそになる程度かしら。」
そう彼女は立ち上がりながら言った。
「なら、“ある”は偽なんだな。」
「そうこと 言うの、良くないと思うわよ。」
「まあ、電気ガス水道の修繕屋と一緒だ。俺らは“雇われた”んだからな。」
「まあ、そういうことね。」
“とりあえず、そっちで待ってて。”そう彼女の声がトトトトトという階段をかける音とともに聞こえた。
「そっちってどっちだ。」
間違えて入っちゃったぜいというわけにはいかない。それ相応に、他人には知られたくないが 手元においておきたいものもあるはずである。
「そうね、ここが安全地帯であることは確かみたいね。」
結局のところ、そっちはここになったわけであったなどと脳内でナレーションをしていると追浜の声が階段を回ってこちらに飛んできた。
「ちょっと、階段を上がってきてもらってもいいかな。」
「だそうよ。」
「だ、そうだな。」
雪宮と俺はそう、互いの進むべきベクトルを確かめ合うようにして、階段を上がった。
「ごめんね、あまり出たくないみたいで。」
そう追浜は俺らに言った。
まあ、そうやすやすと出られるようだったら、追浜自身に話をもう一度聞かなくてはならないし、なにより 俺自身の格好がつかない。
「じゃあ、とりあえず行ってらっしゃい。」
そう雪宮が言った。
追浜は俺らが、自身の弟と話すのをやめてしまうことを予想していたようで、俺らを引き留めるために何かをするつもりだったようだ。彼女は、俺がすんなりと彼と話す方向へ動いたことに、少々驚いているように見えた。
「それなら、おたくらはとりあえず、下がってもらうということで。」
そういって、俺は彼女らを少なくとも会話を聞かれない範囲に遠ざけた。
「あの、追浜、お姉さんの学校の生徒だ。入室させてもらいたい。」
すると、ドアと床のわずかな隙間から小さな紙切れが出てきた。
俺はそれを拾い上げた。
「要件は特にない。だが、君と話す目的は君の姉さんの懸念を晴らすことだ。」
すると、さらに紙切れが出てきた。
「そう聞かれると、答えに困るが、友達やクラスメイトとかではない。もちろん、教員でもないし、学級委員長とか生徒会長とでもない。ただ、雇われただけだ。平たく言えば、俺にとっては仕事だ。あえて言えば、クライアントとコントラクターってところだ。」
俺はそれこそ格好をつけるようにして言った。
真に切れる人間や力のある者、頭の良い者は無駄に外来語を使わないものである。
世界を変えた人々の残した言葉で、自分の母語以外の言葉をむやみに引用している場面を俺は知らない。
ただ、俺は単純に格好をつけたかったか、自身が毛嫌いすることを自ら自分に対して行うことで強烈な印象を脳に、体に、触覚に残したかったのかもしれない。
そして、俺の目の前のドアは、俺にそのようなことを考えさせる時間を与えたかのようにして開かれた。
そこに体をドアの陰にしまい込み、顔の半分ほどを出し、俺を簡易的なスキャナで読み取るようにして見ているた男子がいた。
彼は俺一人分が丁度通れるほどドアを開け、俺を入室させた。
彼は無言だった。
いや、閉ざしたのだった。
何も言わない、話さない、こぼさない、あいつは何を隠し持っているかわからない、そう思いながら間合いを取っている気がした。
彼によってパタンと閉められた そのドアは、その音に似合わず、開けて入るには重すぎて、開けて出るには複雑すぎるような印象を俺に与えた。
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