第11話 その資料に彼、彼女は載っていない
もう5月も終盤で、学校祭は目前だ。
俺の学校では学校祭は6月の第一金曜日から日曜日の三日間行われる。
これは周辺の小中学校や高校を見ても稀であり、その多くは土曜、日曜日の二日間で行っている。期間が長い分、俺の通う高校の学校祭はなかなかの盛大っぷりを見せる。それに、建前と言ったら語弊を生みそうだが、地域性などという今は勉学から遠のいている奴らが優秀だとかいうから、俺の学校は“自称”進学校であり、多くの中学生が学校見学として訪れる。
まあ、結局のところ、実行委員はかなり本腰を入れて取り掛からないと痛い目を見ることになるのだ。それを踏まえて俺の目の前にある会議室でもらってきた当日のタイムスケジュールを見ると、各団体の展示物の紹介や有志によるステージ発表の部分は秒刻みになっていて、それが より現実味を突き付けている。
ここまでしても予定通り進めるなんて難しいし、むしろずれて当然なのではないかと思わないこともないが、それくらい厳しい時間との戦いがあると理解しておくことにした。
肺の底の方から横隔膜を意識的に動かした ため息をして、普段見ることのない ところどころ茶色く変色し、老朽化で亀裂が入った天井を見ていると、右目の端でドアが開くのが見えた。
椅子の後ろ側の二本の脚でバランスを取りながら首を傾けると戸を閉める雪宮がいた。
「あら、一人?」
「二人でいるほうが驚くはずだが?」
それもそうだなといったようにして、彼女はいつもの席に座った。
彼女の横顔を見て、我に返ったかのように黒板に向かい、前方に声を飛ばした。
「あぁ、その、なんだ、この前は電車を降りてからどうだった?」
彼女は少しばかりの驚きを含めながら、さあどうでしょうといった具合に改めて考えるような仕草をした。
「別にいつも通りよ、食事をして宿題をやって、起きて。」
「...そっか。」
俺はまあそうだろうなと反省するような感覚で返事をした。
俺も特に深い意味を持たせるような質問文を言ったわけではないし、彼女の返答も当たり前であって、むしろ場合によっては、それ以外に何があるのかと思うかもしれない。
これはいたって“普通”なやり取りである。
ただ俺に何か心地悪いような感覚があることを除けば...
だが雪宮はさらに続けた。
「それで朝登校して、あなたが来た。それからはあなたも、およそ わかるでしょう、それに取り立てて言うこともないわ。」
彼女、雪宮が俺の行動を発言に含めたことに、俺は腰が浮いて椅子のおさまりが悪いような妙な高揚感に似たものを覚えた。その時、ふと彼女との“あの”朝の会話がよみがえる。より鮮明に、よりリアルに、より痛切に。
「そりゃ良かった。」
俺自身何が良かったのかと聞かれたら明確に答えられる自信はない。
だが、『良かった』のだろう。そうなのだと感じた。
俺は収まらなかった腰を無理やり押し込むような感覚で、教室の掛け時計に目を向けた。
「帰るか。」
雪宮に対する質問なのか、ただ単に俺が漏らした言葉なのかわからないような口調で言ってかばんを持ち上げる。すると彼女もかばんを机上に置き、パチンと乾いた音をさせてかばんのボタンを留めた。その音は教室内で反響し、この“教室”という空間で俺と雪宮が存在していたということを俺に再認識させた。
アスファルトを革靴がはじく音と、スニーカーが擦れながら接地する音が混じりながら駅に向かう。
「もう学校祭だな。」
今は妙に会話が切り出しやすく感じる。
「何か楽しみなことでも?」
「いや、今まで学校行事にここまで関わったことがなかったからな。まあ、ほこりをかぶるような仕事だが、どんなもんになるかは気になるよな。」
「でも当日も薄暗いところでほこりをかぶるんでしょう?」
「まあ、恐らくは...」
ホームで電車を待ってから、電車に乗り込む。
以前、ドアが開き足をかけたときに感じた重くこもった空気とは違い、非常に涼しく、気が休まるような感覚を得た。電車が少々強めに揺れて発車する。俺は何となく車内広告を見上げて、天井の淵をなぞるように目を滑らせる。荷棚の上の紙袋が揺れているのを見て、冷房がかかっていることを知り、先ほど感じた空気の感覚はこのせいだったのだと思いながら、やはりもう春は過ぎて暑くなってきているのだと改めて感じる。
ドアが開き彼女がかばんを持ち上げる。
「資料、読み終わってないでしょ。」
そう彼女は言って足早にホームに降りた。
忘れかけていたが、確かにそうだ。俺が資料を読んでいるときに彼女が入ってきたのだ。
かばんの中を覗きクリップで止められた資料があることを確認し、かばんを閉じる。
学校祭は、もう、すぐそこにある。
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