第10話 そして俺は“正解”を得るのだろうか

日に日に気温が上がり、夏が近づいていることを感じるが、それを再確認させるような朝日と目が攻防する中、重い上半身を起こす。伸びと同時に腹にためた空気を一気に脱力感と共に吐き出すと、目覚まし時計が少しばかり不快感を与える音で鳴り出した。

今朝はいつもより早く起きたようだ。何で起きられたんだと自問しながら階段を下りる。何でと言ってはいるが思い当たる節はある、というかむしろ複数個あって自身で整理ができていないといったところだろう。

朝食を自分で何とかする。毎度のことだが俺の朝食と夕食は作るというには程遠い。本当に何とかするというのがぴったりだとつくづく思う。


学校への道のりは憂鬱に感じる。学校に入ってしまえば、まあ仕方ないかという気持ちになるのだが、この自宅と学校の中間というのが妙に心地悪い。

そうはいっても、このようなことを考えていると、下駄箱で靴を履き替えているというがいつもの落ちである。いつもはそうだけれど今日はと期待するのは筋違いといったところで、俺は今日も“いつもの”登校をするのだ。

いつもの階段を上り、いつもの重さのドアを引き、いつもの席へ向かう。


「早いな。」

「...そう。」


いや、俺が遅かったのだ。何となく重心移動を足が追いかけるような感覚で俺は登校していた。

だが俺には彼女にそうあれこれと突っ込む気は起らなかった。

ただ、彼女がその席にいつも通りにいたという事実が俺にそうさせなかったのだ。


いつものように授業を受け、昼食をほおばり、また授業を受ける。


昨日のこともあってか、いつも以上に周囲との距離感があるように感じたが、そんなことは慣れっこだし、彼女もそのようなことは気にしなかっただろう。ただ気になるとすれば、ある意味 隔離的なこの空間に俺と雪宮が同時に存在していることが、俺に妙な快適さをもたらしていたことだ。


もう放課後になり、会議が始まるが、俺は鞄に荷物を詰め教室を出ようとしていた。雪宮は10分ほど前に教室を出て行っていたからもう会議室で“補助員”をやっていることだろう。


教室を右に曲がり、下駄箱へ向かうと、踊り場の角に飯田先生が壁に背をつけて立っていた。

「実行委員に顔出さなくていいんですか。」

「君はどうなんだ、西村。」

「体調が悪いんすよ。」

そういったものの、そんなことはこれっぽっちもない。先生もそれは分かっているだろう。

「説教なんてしないさ、他の教員ならすぐに会議室に向かわせて、その後君は30分以上立ちっぱなしになるだろうな。」

「それは、どうも。」

この時、先生は俺とその周辺で何があったか大方の予想がついているように見えた。結果的に俺の直観的な考えは当たっていたようで、彼女は端的に俺に問うた。

「で、昨日はどうしたんだ?」

「気づいたんすね。」

それから俺は教室でのいざこざ、電車での会話、加えて俺の考えと、想像できる範囲での雪宮の思いを話した。結局、30分以上立ちっぱなしになったが、俺は話せるだけを話した。

その間、先生は何も言わず、うなずくこともなく壁に体を委託して目線を少し下に落としていた。この人なら、ほとんどが想像通りだったといわれてもおかしない気もするが、彼女は俺の一言一句を解読しているように見えた。

話が終わって、先生は言葉を選ぶように間をおいてから口を開いた。


「それで西村は、今後、どうするべきだと思う?」


そう聞かれると複雑だ。

俺は結局、雪宮を説得したわけではない。俺の言葉を彼女が理解して、今は会議室にいるといったところだ。俺の言葉には美しさや尊さはない、俺はその時に得られた自身の解を与えたに過ぎない。

「どうするべきなのか、正直不明瞭です。僕はただ、持ち合わせていた文句を組み合わせてそれらしく構築しただけなんです。でも僕にはそれ以外にもそれ以上にもできなかっただろうし、何かを求められてるんだと感じて、『“自分にしか”できないこと』なんて考えちゃったのかもしれないです...」


俺自身でもまとまらない解答を言うと先生はたばこを吹かすかのように斜め上を見上げて息を吹き出し、背中を持ち上げ俺に言った。

「確かにどうするべきかなんてわかったら苦労はしない。思うに、君は君の与えたものが彼女を変えてしまうのを恐れているんじゃないか。でも、今そこで私が捨てた空き缶が何かしらに影響してしまうかもしれないんだ、人はそこにいるだけ自他に影響し続ける。それとな、西村、わからないなら思考を止めるな。わからないのは君がわかろうとする過程にいるということだ。」


わからないのは君がわかろうとする過程にいる、そのフレーズは『君はまだわかる過程には到達していないんだ』と俺に突きつけている気がした。これは試験中に途中まで記述解答を書いたのではなく、問題文の把握途中でチャイムが鳴ったというのと同じ感覚と捉えていいのだろうか。俺の頭の中では多種多様な“思考のベクトル”が合成できなくなっていた。ただ一つ頭に大きくよぎったのは、俺ならわかるかもしれないという自身への欺瞞の存在の可能性だった。


「まあ、私個人は君の“ものをすべて正しい方向に進めるなんて無理だ”っていう話、結構好きだけどな。」

その“好き”という言葉はいびつに俺の中に滲んだ。それと同時に雪宮はその言葉をどのように感じ、考えたのかを知りたくなった。


窓との入射角を徐々に小さくしながら入り込む日光を背にして、飯田先生は少しばかり年寄り臭さく腰を伸ばしてから俺に言った。


「あとこれは主観的で直観的かもしれないが、私は君が雪宮に何かを与えることを願っている。」



彼女がなぜそのように願うのか、なぜ俺に願いを言うのか、俺にそんな何かを見出しているのか。

そう考えると、彼女の『主観的で直観的』という言葉が異様に目立ち、この言葉にはどのような意義があるのかと考えてしまう。


だが、その願いは俺の背中を突くような力を持っている気がした。


                         例えそこが切り立った渓谷であったとしても。

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